INTERPRETATION

第294回 相手の行動理由を考えてみる

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

昔読んだ齋藤孝・明治大学教授の本の中に「上機嫌でいることは技である」という趣旨が書かれていました。機嫌よく過ごすことは自然にできるのでなく、日頃から意識して鍛えるものなのですね。上機嫌の「わざ」を身につければ、たとえ大変なことがあっても負の感情に振り回されずに済むということを知り、私には新鮮な驚きでした。

とは言え人間は機械でないため、どうしても周囲に左右されます。出がけに雨模様となりモチベーションがダウンしてしまったり、買ったばかりのニットを引っかけてしまったりという具合に、自分の不注意や不意のできごとで気が滅入るものなのです。

先日、カフェでこんな光景を目にしました。

その日私は大荷物を抱えており、トレイに飲み物とスイーツを載せた状態で座席を探していました。その時、通路に少し足を出したまま座る男性がいたのです。3人グループで談笑中で、通路を通る人には気づいていない様子でした。もっとも、その方の足が完全に邪魔だったわけではなく、「ちょっと危ないかも」というレベルだったのですね。「多少気になる」程度のことでしたが、大荷物プラスお盆持ち状態の私には若干ヒヤッとする状況でした。

これを機に、私は「人の行動」について考えてみたのです。そして私なりに出した結論、それは「人の行動には『無知』『故意』『必然』の3パターンがある」ということでした。

先の男性の場合、「足を通路に投げ出してはいけない」というルールを知らなかったり、うっかり忘れていたりということが考えられます。これは社会規則を知らないという「無知」から出た行動結果です。マナーを守らない幼児などは「無知」の部分が大きいわけですので、大人がきちんと指導せねばなりません。

一方、「故意」というのは意図的な気持ちから生じる行為です。まあ、今回に限ってはまさかと思うのですが「どう?僕って足長いでしょ?」と敢えて他者に見てもらいたいとこの男性が思っていたのなら、これは「故意」から生じたことになります。

「必然」は、やむを得ぬ理由でそうなってしまった状況です。たとえば先の男性の場合、ズボンの外側からは見えないものの、実は足をけがしているため、どうしても曲げて座ることが難しいというケースも考えられます。

つまり、上記3パターンで考えた場合、「ったくもう!足なんか投げ出して~」と即時反応してこちらが不機嫌になる前に、冷静に把握する必要があると思うのですね。どうしても明らかに足が出過ぎて危ないのであれば、こちらも一言相手に言う必要があるでしょう。けれども相手が「故意」でやっている場合、「ま、そういう自己顕示方法もあるかもねえ。でも私は人間として、そうやって目立とうとは思わないな~」とのんびりとらえれば頭に来ることも少なくなります。

むしろ相手の「必然」から生じた行為の場合、こちらがどこまで相手の立場を慮り、共感や理解を示せるかが大切だと最近私は考えています。そこまで想像することができれば、たいていのことはムッとせずに済むからです。

ところでこの3パターンを「クライアントと通訳者の関係」でシミュレーションすることもできます。「事前に資料を頂きたい」と切望する通訳者がいる一方、情報がクライアントから提供されないということは稀にですが発生します。これは「通訳者はもともと英語力が高いのだから、資料は出さなくてもきちんと通訳者は訳してくれる」というクライアント側の思い込み、すなわち通訳業務に対する「無知」から来ることがあります。この場合、通訳者やエージェントは「事前準備がいかに大切か」をクライアントに啓蒙することで、「無知状態」を改善することができます。

もっとも、クライアントが「故意に資料を出さない」ということは、まず無いでしょう。よほど依頼担当者が何か思うところがあってそういう行動に出れば別ですが、そうなるとこれはもうミステリー小説の世界です。映画「チーム・バチスタの栄光」で、とある内部人間が事件の大きなカギを握っていましたが、まさにそれぐらいのサスペンス(?)となるでしょう・・・!

一方、「どうしても事前に資料を出せない」という「必然」は今の時代、致し方なくなりつつあります。本当は通訳者に資料を提供したいと願っても、個人情報や機密情報など、情報管理全般が厳しくなってきているため、事前に通訳者の手元へ渡すことが難しくなっているのです。情報保護は私が通訳者デビューをしたころと比べて特に顕著になっています。これは時代の流れなのですよね。よって、通訳者自身もそうした企業サイドの立場を理解する必要があると私は考えます。

デジタル化が進み、何事も「瞬時」にできる時代となりました。人間もそれに合わせてややもすると「せっかち」になりつつあります。だからこそ、一歩退いて物事を考えてみる、相手の立場を想像してみるという姿勢も大切だと最近の私は感じています。

(2017年2月13日)

【今週の一冊】

「増補改訂版 最新 世界情勢地図」 ボニファス他著、ディスカバー・トゥエンティワン、2016年

最近は地図ソフトが大いに進歩したこともあり、日常生活では「紙の地図帳」を見なくても済むようになりましたね。スマートフォンのアプリやカーナビの技術力には目を見張るばかりです。

私は幼少期から紙の地図が好きで、今でも時間さえあれば地図を眺めては空想の旅を楽しんでいます。地元の地図はもちろんのこと、観光マップや世界地図など「地図」と名のつくものはついつい見入ってしまいます。一時期「古地図」に凝っていたことがあったのですが、さすがに高額すぎて本物を買うことはできませんでした。その代わり古地図デザインの絵はがきはせっせと集めていました。また、イギリスには海図が描かれたレターセットも売られており、よく購入していましたね。海図は英語でnautical chartと言います。

さて、今回ご紹介するのはフランスで出版された地図帳です。最近の世界情勢を始め、様々なデータが地図付きで解説されています。興味深いのは、フランス、つまりヨーロッパを地図の中心に描いて説明していることです。この観点から世界を眺めてみると、ヨーロッパと北米は思いのほか近く、その一方で日本や中国はずいぶんと離れていることがわかります。

データの項目には人口、宗教、南北格差、エコロジー問題、テロなどがあります。また、それぞれの地域がとらえた世界も地図で描かれています。「イランから見た世界」「ブラジルから見た世界」など、視点を変えてみると、昨今の地政学的な動きも理解できるような気がします。

物事の見方は一つではないのですよね。そのことに気づかされる一冊です。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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