第279回 楽しみ追求の旅
私が指導する大学では9月末から秋学期が始まりました。私が学生の頃は「前期・後期」と呼んでいましたが、今では「春学期・秋学期」なのですね。当時の「就職活動」は「シューカツ」、「LL教室」は今や「CALL(コール)教室」です。時代と共に呼称も変わりつつあることを実感します。
学生たちの授業登録もほぼ完了し、我がクラスのメンバーもそろいました。今学期取り上げるトピックは年度初めに決めてありますので、あとは夏休み中に準備しておいた教材を授業で実施するのみです。今期も多くの学生たちに通訳の楽しみ、学びの歓びを伝えられたらと願っています。
教えるということは、実際の指導時間の何倍もの準備を要します。大学の授業は一コマ90分ですが、そのための教材選定に音声の確認、スクリプト上の英文法分析から単語調べや訳出など、教員にとってはエンドレスと思しき作業があります。調べれば調べるほど、学びには奥が深く存在し、「ここまでやれば良し」ということではないのだと改めて感じます。これは通訳準備も同じです。
私の場合、通訳業務に携わるようになってから好奇心の対象がどんどん広がっており、「何だろう?」という思いを常に抱いています。これは仕事に限らず、日常生活でも同様です。それこそ食品パッケージの裏面に書かれた「原材料名」を読んでは「デキストリンって何?」「トレハロースの英語スペルは?」などなど、「調べたいモード」に入ってしまうのですね。
学びというのは、何も机の前でテキストを開くだけではありません。インターネットで調べ物ができなければ学習にならないというものでもありません。学びたいという意欲と心の中の「ワクワク感」があれば、いつでもどこでも、そこが学びの場となります。
たとえば最近の例でお話しすると、今年11月には私が敬愛する指揮者、マリス・ヤンソンス氏がバイエルン放送交響楽団と共に来日します。今回のプログラムはベートーベンの「ヴァイオリン協奏曲」と、ストラヴィンスキーの「火の鳥」です。どちらも聞いたことのある曲ですので、いくつかの公演の中から、このプログラムを選びました。
さあ、ここからが私にとっての「学び」タイムです。これまでもコンサート前にはCDを聞いて予習をしていましたが、今年はもう少し幅を広げて学ぼうと思っています。そこで大学図書館から借りてきたのが「楽譜」です。幸いベートーベンの「ヴァイオリン協奏曲」のスコアがありましたので、そちらを借り、目下スコアと突き合わせながらCDを聞いているところです。音だけでは気づかなかった音符がスコア上には散りばめられていますので、それに意識を傾けると、かすかにCDから聞こえてきます。そうした発見がうれしいのですね。
もう一つは「火の鳥」の由来を調べることでした。広辞苑で「火の鳥」を引くと、ストラヴィンスキーのバレエ音楽でロシア民話を素材とすると説明されています。そこで借りたのが「子どもに語るロシアの昔話」(伊藤他著、こぐま社、2007年)と「ビリービンとロシア絵本の黄金時代」(田中友子著、東京美術、2014年)です。前者は子ども向けに綴られたロシア民話の本で、「火の鳥」のことも書かれています。一方、後者はロシア昔話の絵を描いた画家・ビリービンに関する一冊です。子どもを対象とした易しい書籍を読めば素早く内容を知ることができますし、美しい絵からストーリーをつかめばより理解が深まります。
さらにストラヴィンスキーについて調べてみると、バレエ音楽「春の祭典」が1913年に発表されたものであり、その初演は賛否両論で大騒動が巻き起こったこともわかりました。そこで今度はみすず書房から出ている「春の祭典 第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生」(エクスタインズ著、2009年)を大学図書館から借り、目下読み進めているところです。第一次世界大戦からヒトラーの台頭までのことが記されています。
・・・とここまで来ると、今度は手元にある高校生向け世界史図録で第一次・第二次世界大戦当時の世界地図を眺めてみたくなります。図録を開いていると、次は巻末の年表が見たくなりました。そこでページをめくると1910年のところに「ハレー彗星接近で大騒動」と出ています。すると先日映画館で観た「君の名は。」が思い出され、「先日借りてきた『ユリイカ』のバックナンバーは新海監督の特集だっけ。積読になっているから早く読みたいな~」という思いが湧き出てきます。
このような具合に、私にとっての学びは時代や領域を問わず、あちらこちらへと自由に飛んでいます。一つ一つに好奇心を持ってアプローチし、知るたびに新たな知識に感謝する。「楽しみ追求の旅」はまだまだ続きます。
(2016年10月10日)
【今週の一冊】
“Power Dressing: First Ladies, Women Politicians & Fashion” Robb Young, Merrell, 2011
今年のアメリカ大統領選挙は何かと話題多き展開になっていますね。中でも第一回大統領候補テレビ討論会はなかなか見ごたえがありました。とりわけ興味深かったのは、トランプ候補およびクリントン候補のファッションでした。トランプ氏は共和党であり、党のテーマカラーは赤。一方、クリントン氏の民主党は青がシンボル色です。ところがトランプ氏は青いネクタイを、クリントン氏は真っ赤なスーツ姿で登場したのです。とある新聞記事によれば、トランプ氏は青を身につけることで冷静さを、クリントン氏は赤を使って健康不安説を払しょくさせたのではとのことでした。興味深い分析です。
今回ご紹介する一冊は、政治家やファースト・レディのファッションがテーマです。2011年に発行されています。2011年と言うとつい最近のように思えますよね。当時はまだシリア内戦が始まったばかりで、ISISの台頭も報道されていませんでした。オバマ大統領が就任したのは2009年ですので、まだ2年しか経っていない頃です。ちなみに当時の日本は民主党・菅内閣でした。
本書をめくると、世界中のパワフル・ウーマンが登場します。おそらくファースト・レディや国家元首などになるとスタイリストさんも付くのでしょう。それぞれの個性を引き出しつつ、ファッショナブルの装いがどのページでも見て取ることができます。亡きケネディ夫人やサッチャー首相、表舞台から追われたマルコス夫人や暗殺されたブット首相なども登場します。
興味深かったのは、EU離脱決定後に就任したイギリスのテリーザ・メイ首相です。本書では「内務大臣」の肩書きです。実はこのころからメイ氏の「ヒョウ柄好き」は有名だったのですね。他にも日本からは昭憲皇太后、緒方貞子氏や蓮舫氏なども紹介されています。「ファッショナブルな女性たちからパワーをもらいたい」「職場に着ていくフォーマルな装いについて知りたい」という方にとって、大いに参考となる一冊です。
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