INTERPRETATION

第276回 目立つということ

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳者デビューして間もないころ、とあるビジネス会議の仕事を請け負いました。訪問先は一部上場企業で、お会いするのはそのトップの方々でした。

案内されたのは社長室隣の応接室。立派なソファにローテーブルがあり、壁には著名な日本画家と思しき方の絵がかけられ、室内にはアンティークの壺なども置かれていました。

「どうぞこちらへおかけください」と言われて着席したのですが、膝頭よりも腰が下がってしまうぐらいの深いソファでした。その日はスカートを着ていたため、膝頭が離れて失礼にならないようにという意識が先立ってしまい、通訳に専念できなかったことを覚えています。以来、通訳現場へはパンツスーツで行くようになりました。

通訳者はまさに「黒子」のごとく、黒やグレーのスーツを着用することが多いようです。ビジネス現場が仕事場ですし、工場では靴を履き替えたり、歩きづらいところに行ったりということもあります。ですのであくまでも「動きやすいこと」と「靴の着脱がしやすいこと」がカギを握るのですね。

そのようなことから、私も通訳現場では地味さを意識しているのですが、日常生活では赤や青の原色など、着ていて元気が出るカラーが大好きです。色が気持ちに効果を及ぼすことは心理学でも言われていますが、私もその日の気分や天候に合わせて色を選んでいます。「気の持ちよう」と言われればそれまでなのですが、色のおかげで前向きになれるのであればそれに越したことはありません。

ところがここ数年、グレーや茶色などのアースカラーが流行しているためか、店頭で鮮やかな色の服を見かけることが少なくなっています。流行は業界が作るゆえ、パターンやカラーなどはどうしても同一傾向になるのでしょう。店頭で売られる服もそれを反映させたものとなりますので、なかなか自分好みの服にありつけなくなってしまうのです。確かに街頭を見てみても、原色を着ている人は少ないように思えます。

そういえば先日読んだファッション雑誌に興味深いアンケート結果が出ていました。子育て世代の女性に対して、どのような服装を心掛けているかという問いだったのですが、答えとして挙がっていたのが「悪目立ちしないこと」「好印象であること」「反感を買わないこと」などでした。要は、「人と違う装いをして浮き上がることは良くない」ということを意味しているようです。なるほど、だからその時々の流行カラーが多く売られているのですね。

こうした「皆と同じ」という価値観は、ある意味で日本における「団結力」や「規律」を形作ってきたものです。よってそれ自体は良いことだと思います。けれどもその一方で「同一基準の中で少しでもセンスが良いと見られたい」という思いも存在しているように見えるのです。どんぐりの背比べである一方、周囲からは高い評価を得たいという「他者による自分への評価」が強くあるように私には感じられます。

子育て関連の英語文献や海外のファッション雑誌を見ていると、いかに「自分らしさ」を演出するかが綴られています。その子一人一人の個性をどう伸ばすか、自分の長所をいかに表に出していくかが大切にされています。そういえば、海外の街を歩いていて気づくのは、シニア世代のおしゃれ具合。華やかな色を身につけ、女性もきちんとお化粧をして街中を歩いています。

そう考えると、日本にはまだまだ「同調圧力」が存在し、「人と異なることをする人」への風当たりが強いのかもしれません。「集団よりも一人でいるのが好き」「周りと異なることをしたい」という人への視線が厳しいと言えるでしょう。その一方で、「みんな違ってみんないい」「世界に一つだけの花」のような詩や歌詞が人々に支持されていますので、心の底では「ホントはもっと自由に生きたい」という思いがあるのでしょうね。

なるべく他者と同じようにすることで日本という国はまとまりを見せて存続してきました。その長所は認めるべきだと私も思います。けれども同調圧力は妙な方向に行ってしまった場合、命に関わることにもつながるとさえ個人的には感じます。たとえばもし大災害が発生したとき、「本当は逃げたいけれどみんながここにとどまっているから」と周囲の様子を重視してしまったら、どうなるでしょうか?

ここ数年、日本でも様々な国籍の方達が仕事や勉学で暮らしています。すでに多様性も見られつつあります。「目立つこと、人と異なること」への視線がこれからはきっと穏やかになっていくのではないか。そのように私は感じています。

(2016年9月19日)

【今週の一冊】

「カルピス創業者三島海雲の企業コミュニケーション戦略『国利民福』の精神」 後藤文顕著、学術出版会、2011年

大学図書館で企業広告の棚を見ていたところ、ふと目に入ってきたのが今回ご紹介する一冊。カルピスは誰にとってもおなじみの飲み物ですが、三島海雲という名前は私自身、今回初めて知りました。カルピスの創業者です。

カルピスの歴史は実に古く、20世紀初頭にまでさかのぼります。会社を興した三島海雲は仏教系の家の出で、後に国際的ジャーナリストとなる杉村楚人冠の元で英語を学びました。まだ楚人冠が本願寺文学寮の英語教師をしていたころで、三島は楚人冠の教養に感銘を受け、また、楚人冠本人からもかわいがられたようです。ちなみに楚人冠はのちに東京朝日新聞(のちの朝日新聞社)に入りました。千葉県我孫子市には「我孫子市杉村楚人冠記念館」があります。

さて、三島の生きた当時の日本は国民の間での貧富の差があり、栄養面でも大きな問題がありました。そうした状況が念頭にあった三島は、仕事で大陸へ出かけた際、酸乳に出会います。それを商品化しようと思い立ち、努力の末に生まれたのがカルピスでした。

本書はカルピスの販売戦略として使われた広告のことやネーミングなど、マーケティングの観点からカルピスの歴史を振り返っています。商品名を決めるにあたり、三島が山田耕筰に相談したところ、音楽的見地からカルピスという名称に太鼓判を押されたエピソードなども綴られていました。また、今はなき「黒人マーク」についての成り立ちも詳しく出ています。それによると、三島は貧しいアーティストを救うためにカルピスが国際的企業コンペを開催したのだそうです。このマークはドイツ人デザイナーが制作したもので、内部の審査では当初第3位だったそうです。その後、店頭での投票を経て1位となり、最終的にシンボルマークとしての採用が決定したのでした。

本マークは人種差別的見地から1990年代に姿を消しました。しかし、著者の後藤氏は荒俣宏氏の文献(「広告図像の伝説」平凡社、1989年)を引用しています。それによれば、三島がこのマークを選んだ理由として、「人種としての黒人」ではなく、健康的な女性が日焼けをした様子を表しているのではないかとのことです。

昔も今も、人々に良い商品を届けるにはどうすべきか、売り手は様々な工夫をします。歴史を振り返りながらそのことを学べる、そんな一冊です。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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