INTERPRETATION

第269回 英語は楽しみながら

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

ここ2週間、とある番組を集中的に観ました。NHKのBS1で放映されている「BS世界のドキュメンタリー」です。放映時間は夜中の0時からで、後日、17時から再放送されます。製作国もアメリカやイギリスだけでなく、ヨーロッパやアフリカなども含まれており、分野も多岐に渡ります。

私が観たのは「シリーズ ギャレス・マローンの職場で歌おう!」でした。これはイギリスのTwenty Twenty Televisionが製作したもので、BBC2で2013年に放映されたものです。英語タイトルは”The Choir: Sing While You Work”で、今回放送されたのはSeries 2でした。

この番組は、音楽家のGareth Maloneが5つの職場を巡り、そこで合唱団を形成します。そしてそれぞれが練習を積み重ねて大会に出場し、勝ち抜いていくというものです。ここ数年、欧米ではリアリティ・ショーが盛んですが、この番組もその一つと言えるでしょう。

今回出場したのはフェリー会社、地方自治体、流通小売店、消防署、金融機関の5組織でした。かつて私が暮らしていたイギリスの懐かしい風景が画面にたくさん映し出される中、それぞれの職場に働く人々の様子や仕事にかける思いなどが描かれ、実に見ごたえのある番組でした。

どの組織もユニークで、従事する人々の人間ドラマは魅力的でしたが、中でも私が一番応援していたのはCheshire Fire Serviceでした。人命救助と消火活動を第一とする消防隊員、そしてそれをバックアップする事務職のスタッフたちが一丸となっていき、心を一つにして合唱団をはぐくんでいった様子に魅了されたのです(ちなみにどのチームが優勝したかについては、ネタバレになりますので、ここでは控えますね!)。

ちなみに随分前にNHKの教育テレビ(と今はもう言わないのですよね。正しくは「Eテレ」です)でギャレスの別シリーズが放送されていました。若きギャレスが合唱団をまとめあげ、一人一人の個性を伸ばしていくそのリーダーシップは、私自身同じ「指導をする者」として大いに参考になりました。ギャレスの飾らない人柄、楽しくチームを盛り上げていく様子、プロ意識など、「人に教える仕事とはかくあるべき」というものを感じたのです。私にとって、指導者のロールモデルとも言えます。

そのギャレスのドキュメンタリーが久しぶりに放映されるとあり、前から楽しみにしていたのですが、私にとってのネックはその放送時間でした。早朝シフトに携わる私にとって、睡眠時間の短縮は大敵です。真夜中から午前1時近くまで番組を観るとなると、ほとんど寝ることができないまま放送通訳現場へ向かうことになります。あいにく我が家のDVDデッキは調子が悪く、録画することもできません。それでもどうしても観たい番組でしたので、初回は何とか頑張って夜中まで起きていましたが、やはり睡眠不足は色々な面で悪影響となってしまいます。はてさて、困ってしまいました。

こうなると夕方の再放送に賭けるしかありません。幸い何とかスケジュールをやりくりして調整し、夕方に集中的に観ることができたのでした。仕事の前倒し作業をしたり、動かせるものは別の隙間時間に押し込んだりとハードではありましたが、そこまでして観たいという思いを大切にし、いざ放送中も集中して観るようにしました。

今回は放送を堪能するにあたり、せっかくでしたのでオリジナルの英語音声で聞くことにしました。初日は内容そのものを味わって観ていたのですが、面白そうな表現がいくつも出てきます。あわててメモ用紙を手に取り、興味深いフレーズをどんどん書いていきました。そして放送終了後、お気に入りの紙辞書「ジーニアス英和辞典」と首っ引きで調べ、意味を確認しました。ちなみに私の場合、辞書で引いた単語は必ず下線を引きますので、50分の番組から多くのフレーズを知ることができたのはありがたかったです。

2日目は家族も一緒に観たため、日本語字幕付きにしました。英語を聞きつつ、画面には字幕が出ますので、これも便利でしたね。近年日本では耳の不自由な方向けに字幕が付くようになりましたが、字幕があれば我が家のように「英語で聞きたい派」と「日本語で内容を知りたい派」が共存できます。ありがたい時代です。

3日目はまた私一人でしたので、字幕はオフにしました。字幕はすぐに意味が分かるので便利なのですが、画面の半分ぐらいが字幕で隠れてしまい、顔のアップになると表情が見づらくなるのが難点なのです。そこで今回はこれまで同様、フレーズをメモしつつ、自分なりにその語をどう訳すかも書きながら観てみました。そして後に辞書で確認しつつ、自分の訳が合っていたかをチェックしていったのです。

このようにして「好きな番組」を通じて楽しみながら新たな英語にも接することができました。私にとって幸せな2週間でしたね。

・・・でも欲を言えば、これほど素晴らしいドキュメンタリーなのです。ぜひぜひゴールデンタイムでの放送を!!

(2016年7月25日)

【今週の一冊】

“Translation and Cognition” Gregory M. Shreve and Erik Angelone 編集、John Benjamins Publishing Company, 2010年

放送通訳をしていると、リレー通訳状態になることがあります。これはニュースに出てくる人物が英語以外を話し、それをテレビ局の通訳者ないし現場の通訳者が同時通訳するケースです。私たち放送通訳者は、その通訳された内容を聞きながら今度は日本語に訳していきます。たいていは何とか内容を把握できるのですが、たまに元の通訳者が多大な苦労をしながら訳していることもあり、そうなると、こちらも全容を把握するのが難しくなります。同じ通訳者として、つい同情したくなる瞬間です。

ちなみに欧米では通訳者のことをtranslatorとよく呼びます。日本では文字に残すのであれば「翻訳」、ことばであれば「通訳」と棲み分けがなされていますが、英語圏の場合、必ずしもそうではありません。interpreterとtranslatorを区別していこうとの動きもありますが、一般的にはtranslatorの方がなじみがあるようです。

今回ご紹介する書籍もtranslationという語が書名に入っていますが、取り上げられているトピックは翻訳・通訳の両方です。学術論文集で、それぞれの専門家が研究結果を述べているのがこの本の特徴となっています。

方法論を始め、認知面での分析、心理学的見地からの説明など、一見難しくも思えますが、各章は10ページぐらいですので、好きなところから読むのでも構いません。ちなみに私は巻末索引でinterpretingを探し、該当ページを拾い読みしました。このようにすると、自分の最大の関心分野をまずは知ることができますので、楽しく読めると思います。

中でも印象的だったのが、通訳者がどのようにしてスキルを身につけるのかという論文です。たいていの通訳者は10代後半以降に通訳トレーニングを始めます。そうした状況と、たとえば音楽やスポーツなど、幼児の頃から始めるものを実際に比較した内容でした。著者のK. Anders Ericsson氏によれば、やはり通訳者に必要なのは”deliberate practice that extends for years and thousands of hours of practice”なのだそうです。結局は努力の積み重ねなのですよね。な~んだと思われそうですが、そうした内容を学術的に分析し、巻末に参考文献リストも豊富に載せているのが、このような学術書の特徴です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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