第264回 仕事記録
通訳学校に通う受講生たちにとって、通訳の仕事を得る上での最大のハードルが「実績作り」です。私のようなフリーランス通訳者はほとんどが人材派遣会社、いわゆるエージェントに登録をして仕事を得ています。医師や弁護士の場合は国家資格に合格してようやく仕事をすることができますよね。一方、通訳者の場合、極端な話、自分で名刺を印刷して「通訳者です」と名乗れば、仕事を始めることができるのです。もっとも、どこの誰かわからない人にいきなり仕事を依頼してくださるクライアントさんなど、そうそういません。ゆえに私たち現場の人間にとっては、その橋渡しをしてくださるエージェントさんは本当にありがたい存在なのです。
エージェントに登録する上で必ず必要となるのが「実績」です。今までどのような分野の通訳をどれぐらいしてきたか証明する必要があります。通常、エージェント登録時には履歴書を提出し、それまでの実績を書いた文書も添えます。私の場合、実績表は「○月○日 △△会議、同時通訳 半日」という具合に書いています。通訳経験が増えればこの実績表も充実してきますが、デビュー当初はほとんど実績がありませんでした。これはどの通訳者も同じです。
エージェント側にしてみれば「実績をもっと積んでからぜひご登録を」ということになるでしょう。一方、登録する通訳者にしてみれば、「実績がないから仕事をしたい」となります。
ではどうすれば良いでしょうか?私の場合、通訳学校に通っていたときに請け負ったOJT業務やボランティア通訳を実績表に書きました。また、一般企業に勤めていたときに手がけた通訳や翻訳などの仕事もリストに添えたのですね。要は「語学に関わる作業」「通訳・翻訳関連の仕事」を少しでもおこなったのであれば、それをすべて実績表の中に盛り込んだのでした。
あとはエージェントから頂いた仕事一つ一つを大切にして、業務が終わるとリストに追加していきました。記録をし続けるというのは地道な作業です。繁忙期など通訳準備で手一杯になってしまい、リストをアップデートするのを忘れてしまったこともあります。けれども、自分の実績をその都度記録することは、通訳者としての自分という商品に付加価値を付けることになります。年度末に実績表の最新版をお世話になったエージェントに送ることで、エージェントからはより自分に合った業務をあっせんしていただくことにもつながるのです。
私は大学卒業後、一般企業に就職したものの、どうしても留学がしたくて転職活動を始めました。「大学院に行きたいのだから、できれば学術関係の仕事をしよう」と考え、イギリスの大学事務所に移ったのです。そして留学資金がようやくたまったのを機に、退職してイギリスで学ぶ機会を得ました。ただ、帰国後は研究者になろうと思っていたのですがうまくいかなかったのです。どうしようかと悩んでいたとき、お世話になった通訳学校の先生から通訳の手伝いを依頼されたのがきっかけとなり、本格的にこの世界に入ったのでした。
人生にはどのような出会いがあるかはわかりません。幸い私の場合、通訳のお手伝いを機にこの仕事に魅了され、以来、通訳者として生きていこうと強く思うようになりました。仕事の記録を付けるのは、自分というプロダクトに磨きをかけ、よりお客様にお役にたてるような業務をしたいからなのです。
「通訳者になりたい。でも実績がないからデビューできない」とお悩みのみなさん、どうかあきらめず、目の前の仕事を大切にしてください。少しでも英語関連の仕事をしたり、ボランティアで通訳翻訳を手がけたりしたのであれば、ぜひそれを自分の経験として次につなげていって下さいね。
(2016年6月20日)
【今週の一冊】
「マップマニア デザイナーのための地図のデザイン」 PIE Books編集・制作、パイインターナショナル発行、2015年
今の時代、地図や時刻表と言えばインターネットやアプリを使う方が主流です。けれども紙版が大好きな私にとって、地図や時刻表というのは空想の世界にいざなってくれる媒体です。仕事カバンの中にはポケット地図帳をいつも携えており、時間が空くとそれを眺めては楽しんでいますし、自宅の本棚には大判の電車時刻表もあります。時刻表は欄外に駅弁紹介があったり、巻頭特集で電車のことや地域の話題などがあったりするので、眺めていて飽きません。
今回ご紹介する「マップマニア」は、地図をデザイン的観点から取り上げた一冊です。副題にもある通り、デザイナー向けにレイアウトや配色、描き方などが出ています。日本各地のイラストマップはもちろん、世界の地図もあり、これを見るだけで旅行気分が味わえます。
雑誌の地図特集や、フリーペーパーに出ているお散歩マップなど、私たちの周りには地図がたくさんあります。目的地まで行くために役立てるのが地図でもありますが、その一方で、デザイナーやイラストレーター、フォトグラファーにクリエイティブディレクターなど、様々な人々の努力があるからこそ、一枚の地図ができあがるのですよね。本書に紹介されている地図は、いずれもそうした縁の下の力持ちのお名前も紹介されています。まさに芸術作品としての地図です。
本書を読むと、日頃何気なく眺めている様々な地図にも命が吹き込まれているのだと思うようになります。芸術としての地図を味わえる、そんな一冊です。
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