INTERPRETATION

第262回 acronymのこと

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

限られた時間の中でいかにして勉強時間を捻出するか。これはどの通訳者にとっても共通の課題だと思います。通訳現場を離れれば、家事・育児、あるいは別の仕事があり、父親・母親・妻・夫といったそれぞれの立場があるからです。我が家も子どもたちが小さい頃は本当に目が回るような慌ただしさでした。けれども仕事の辛さを家事・育児で忘れ、育児の大変さが仕事に集中することで救われたなど、相乗作用のおかげで今に至っています。

さて、学習時間を一日の中で確保するのに必要なのは、一にも二にも「工夫」であると私は考えます。今の時代、スマートフォンのアプリや電子書籍など、いつでもどこでも勉強できる環境が提供されています。そうしたグッズを使いこなせれば、隙間時間も有効に使えますよね。

ただ、気を付けなければいけないのは、そうした「グッズ探し」「アプリ検索」をしたこと「だけ」で勉強した気分になってしまう点です。自分にぴったりのものを探し続ける時間というのは、案外かかってしまうものです。こっちが良いかな?いや、あちらの方が使い勝手が良いかも、という具合にウィンドー・ショッピング状態をしている時間も、なぜか「勉強しました」時間にカウントされてしまうのですよね。探すのはあくまでも準備段階。大事なのは、グッズを決定したら実際に学習することです。

私の場合、電子機器やコンピュータ画面を長時間使っていると目の疲労や肩こりが酷くなってしまいます。ゆえにいまだに状況が許す限り、紙版を愛用しています。辞書も紙辞書、プリントも紙版、CDプレーヤーも使いますし、紙新聞で興味深い記事を見つけるとビリビリ破ったり書き込んだりします。そうした「手作業」が好きなのですね。

もう一つ、意識しているのは、「考え続ける」ということです。「これって何だろう?」「あの単語はどういう意味だろう?」など、常に好奇心を大切にしながら日々を送りたいと思います。

たとえば先日のこと。カナダ関連の調べ物をしていたときに「カナダの渡航にはeTA(電子渡航認証)が必要」との一文を目にしました。そこですかさず「ん?eTAって何?」と考えるのです。日本語には「電子」とありますので、おそらくeはelectronicのことでしょう。「『渡航』はtransportかな?あるいはtravel?『認証』はadmissionかしら?いや、admittanceもありうるかも」という具合に、まずは自分なりに想像してみるのです。もうこれ以上自分ではわからないという段階まで考えたら、次は調べ作業。検索したところ、これはelectronic travel authorizationの頭文字でした。

ちなみにこうした頭文字だけでから成る単語を英語ではacronym(頭字語)と言います。通訳業務ではまず頭字語そのものを読み上げ、次に正式名称を言います。そのあとまた出てきたら、頭字語だけを述べれば良いのです。たとえば「FBI」であれば、「FBI、アメリカ連邦捜査局は・・・」と初出時に言います。あとはもう「FBI」だけで大丈夫なのですね。これは同時通訳の際、大いに時間節約となります。

ところで先ほどのeTAの件。ほかの国はあるのか気になり調べたところ、アメリカはESTA (エスタ:Electronic System for Travel Authorization、電子渡航)、オーストラリアはETAS(イータス:Electronic Travel Authority、電子査証)と言うのだそうです。先のカナダのeTAは「イータ」と読みます。頭字語の場合、カタカナ読みも通訳者は押さえておく必要があるので、こちらもその都度チェックです。

私にとってのacronym分析は、まさにパズル解きのようなもの。日常生活でもお菓子のパッケージや食材の袋、街中などで何らかの「頭文字の羅列」を見ると、つい書き下し文は何かと考えてしまいます。まさに「LOL」(lots of laugh)、日本語でいうならば「カッコ笑い(笑)」状態です。

(2016年6月6日)

【今週の一冊】

“Being a Successful Interpreter” Jonathan Downie著、Routledge, 2016

通訳翻訳関連の学術書を海外で多く発行しているのはJohn BenjaminsとRoutledgeです。いずれも研究者向けの書籍であるため、日本の一般書店では入手しづらいのですが、今はネット書店がありますので注文すればすぐに手元に届きます。そういう意味でも、海外の通訳動向を知ることが以前と比べて格段にしやすくなりましたね。

ただ、学術書の多くが大学教授や研究者を読者の対象としています。ですのでそうした学術論文を読み慣れていないと敷居が高く感じられるかもしれません。実際、私もこれまで何冊かそうした文献を読んできたのですが、脚注がたくさん書かれており、ページを行ったり来たりするだけで読むのに一苦労ということもありました。こればかりは読み慣れるしかないのでしょうけれども、最初のうちは本文に栞をはさみ、章末の脚注を開き、さらに巻末の参考文献もめくりと、ずいぶん慌ただしい読み方になりました。

さて、今回ご紹介する一冊は、そうした学術出版社から出てはいるものの、一般の読者向けに書かれた書籍です。著者のDownie氏は現役の通訳者で、本書は自身の体験談を始め、通訳の関係者へのインタビューも掲載されています。読んでいてメリハリのある一冊です。

本書の副題は”Adding Value and Delivering Excellence”です。著者いわく、これからの時代は単に語学ができるだけでは立ち行かなくなるため、通訳という職業に通訳者自身が付加価値を付けることが大切なのだそうです。「現役通訳者は、厳しい労働条件や賃金についてつい文句を言ってしまう。けれども不満を言うよりも、自らに価値を付けることこそが業界全体の底上げにつながる」というメッセージが本書には何度も出てきます。

100ページほどの薄さで、参考文献も豊富にあります。現役の通訳者はもちろん、これから通訳者デビューを考えている方にもお勧めしたい一冊です。ユーモアいっぱいの記述ですので、肩ひじ張らずに楽しめること請け合いです。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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