第261回 Do the first things first
日本と海外の大学における大きな相違点。それは「学生本人がどれだけ自主的に勉強するか」だと私はとらえています。海外の大学でも学期初めにシラバスが配られ、そこには課題図書や参考文献のリストがあります。日程ごとにテーマと事前課題が記され、学生たちは文献を自分で読み解きながらそのテーマについて授業日までに考えていきます。講義型の場合、授業当日に講師から詳しい説明がなされ、学生たちは事前に予習してきた内容をその場で確認することになるのです。よって、何も読まずに出席することも物理的にはできますが、授業内容を吸収することは難しくなります。
こうした厳しさがあることは、留学前の段階で私も知っていました。大学院の場合、1、2年間の大学院生活の間に読破する書籍を積み上げると、自分の背丈よりも高くなると言われたことがあります。初めてそれを耳にしたときは「まさか!」と半信半疑でしたが、いざ大学院生活を送り始めると、まさにその通りだと痛感したのでした。
ところで「課題図書リスト」と言えば、今でも強烈に思い出すことがあります。ロンドン大学の修士課程で社会行政学を学んでいたときです。初回授業のオリエンテーションに出席し、シラバスが配布されました。パラパラとめくると、そこには学術書のリストが山のようにあり、さらに論文集の紹介もたくさん掲載されています。「うーん、すべてを読むことは今の私の英語力では無理!どうしようかなあ」と思いましたが、「ま、悩んでも仕方ない。まずはランチ!」と授業の後、のんきにも私は学食へ向かったのでした。
お腹も膨れていざ図書館へ行ってみたところ、先のリストに指定されていた文献は何とほぼ貸し出し状態になっていました。そう、「私は文献を借りる」という時点で早くも出遅れてしまったのです。課題図書は「発行年度が新しい順」でシラバスに記載されていたのですが、そうした最新文献、すなわち学術界で最も新しい内容が記されている本はすべて貸し出されてしまい、かろうじて残っていたのは、古い文献数冊のみでした。
さあ、困りました。来週までにとりあえず第2回授業の文献をそろえて読みこなさなければ、授業についていくことはできません。ただでさえ英語力のハンデがある中、「文献探し」に「購入」という時間的・金銭的な消費は貧乏学生に応えました。とは言え、愚痴を述べても進展しません。結局、ロンドンの大型書店をはしごして何とか手に入れることができました。
いざ購入はしたものの、分厚い専門書をどう読み進めるかも私にとっては未知の世界でした。日本での大学時代に文献をどのようにしてメリハリをつけながら読むのかなど実践したことも習ったこともありません。仕方がないので、まさに「表紙」から始めて序文、謝辞とご丁寧にも読み、ようやく目次に到達しました。
慣れない英語を大量に読んだことで、この時点ですでに疲労困憊です。けれどもまだ本題にも入っていません。仕方なく、ただただ読むことを続けましたが、結局徹夜を何日続けても進まず、しかも寝不足と疲労で読んだ内容は全く吸収されずと、さんざんな展開になりました。
文献を買うメリットは、自分の意見や単語の意味を書き込んだり、重要なページを折ったりすることができる点です。しかし、学生の場合、図書館本にも大きな利点があります。それは同じ書籍を先輩方もおそらく読んだであろうことから、重要な個所はページが自然と開くのです。いわば「読んだ跡」がページの開き具合によってわかるのですね。書籍によってはうっすらとアンダーラインが引かれているものもあり、「あ、なるほど~、ここが重要なのね」と推測することもできました。
「連続徹夜のおかげで何とか授業についていけた」と書きたいところですが、私の場合はヘルペスに見舞われてしまい、強烈な皮膚の痛みと共存するというおまけがついてきたのでした。大事なのはDo the first things firstなのですよね。
(2016年5月23日)
【今週の一冊】
「レニングラード封鎖:飢餓と非情の都市1941-44」 マイケル・ジョーンズ著、松本幸重訳、白水社、2013年
先週このコーナーでも取り上げたレニングラード封鎖。前回は音楽的観点からの一冊でしたが、今回ご紹介するのはレニングラード封鎖全体をイギリスの歴史家がとらえた書籍です。主に生存者への聞き取り調査や、歴史的史料からの考察で成り立っています。
独ソ不可侵条約があったにも関わらず、なぜヒトラーはそれを裏切って攻め込んでいったのか。フィンランドがドイツに加担する背景に潜むソ連への感情。レニングラード市民の絶望や飢餓、そして希望など、様々な観点から本書は展開します。包囲されていても、攻撃をされても、なるべく日常生活を営むことで抵抗の心を見せる人々の様子や、燃料や食料を断たれてもなお、図書館で本を読み続ける人の姿などが本書には出てきます。そうしたことを読み進めるにつれ、「レニングラード封鎖」というひとつの歴史的事件は人間味を帯びたものとして読者に伝わってきます。
本書にもショスタコーヴィチの交響曲第7番についての記述がありました。完全封鎖状態の中、ショスタコーヴィチが書き上げた楽譜の写し(マイクロフィルム)は空路テヘランへと輸送され、その後陸路でカイロへと移動し、ニューヨークまで空輸されてアメリカでも上演されました。一方、1942年8月9日にレニングラードでこの曲が演奏された様子はラジオで中継されましたが、拘束されていたドイツ兵は、「ここまで攻め込んでもなお、これだけの曲を演奏する」というレニングラード市民の姿から「この街を攻め落とすことはできない」と驚愕したそうです。
ところで訳者・松本幸重氏は「ヒトラーの最期 ソ連軍女性通訳の回想」(白水社、2011年)も翻訳なさっているそうです。こちらも読んでみるつもりです。
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