INTERPRETATION

第259回 1年間の高校授業

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

大学時代に私は様々なアルバイトを経験しました。スーパーのレジ係、ファストフードの店員、デパートの催事売り場スタッフ、棚卸のアルバイトなどなどです。学生時代はサークル活動もしており、それに時間を割かねばいけなかったため、私のバイト選びは「単発・短時間でバイト代が高いもの」でした。当時は今のようにインターネットがなかったので、もっぱらバイト情報誌とにらめっこしていましたね。単発バイトは掲載後すぐに定員になってしまうので、いかに早く電話をかけるかがカギを握りました。

色々と数だけは経験したアルバイトですが、大学時代に唯一できなかったのが「塾講師」でした。一対一の家庭教師は継続的にしていたのですが、教室で生徒たちを前に指導をするという経験がなかったのです。大学卒業後は普通に会社に入りましたので、塾講師をしていなかったことは特に気に留めませんでした。

ところがロンドンのBBCを退職して日本に帰国した直後、「授業」を担当するという状況に直面したのです。当時我が家は夫婦ともども仕事を探さないままBBCから帰国し、日本では失業状態でした。その後、塾講師経験のある主人が幸いなことに通訳学校の講師を務めるようになり、何とか収入にはありつけるようになりました。ところが主人が別の学校へ移ることになり、通訳学校での授業を誰かが引き継がねばならなくなったのです。そこで名前が挙がったのが私でした。もともと通訳者ですので、通訳を教えることもできるだろうと思われたのです。

けれども「通訳業に携わること」と「通訳を教えること」は全く異なるのですね。共通点は「通訳」という2文字ぐらいで、実践と教育は大いに違います。当初私は何とかなるだろうと楽観的だったのですが、いえいえ、そう簡単には行きません。指導の世界というのは私が思っていたほど甘いものではなかったのです。授業計画を念入りに立ててもうまくいかず、なかなか慣れることもできずに非常に苦戦したことを今でもよく覚えています。

それでも何とか「教える」という行為に慣れてきた私は、社会人だけでなくもう少し自分の指導層を広げたいと考えるようになりました。そのとき偶然にも地元自治体の広報誌で高校の英語非常勤講師を募集していることを知り、迷うことなく応募しました。大学時代に英語の教職をとっていましたし、通訳学校の授業レベルと比べれば、高校生はもう少し指導しやすいはずと思っていたのです。

しかし結果は惨憺たるものでした。教育というのは、年齢層が高いほど、あるいは目的意識がはっきりしている人ほど、実は指導がしやすいのですね。通訳学校の場合、受講生の大半は社会人であり、お金を払ってでも通訳の勉強をしたいという方ばかりです。授業での目の輝きも真剣で、高い授業料を払った以上、一生懸命勉強しようという傾向があります。

一方、私が担当した高校1年生は、いわば「つい先日まで中学生だった」という子たちでした。英語が好きな子もいれば大の苦手という生徒もいます。部活で寝不足になり、授業中バクスイという子たちも見受けられました。そうした生徒たちを、通訳学校の受講生同様のスタンスで教えることには無理があったのです。

私が担当したのは「コミュニケーション」という科目でしたが、ふたを開けてみると主に英文法や英作文を指導するというものでした。私は帰国子女で英文法や作文はそれまでずっとフィーリングで取り組んできたのです。なぜ高校生がこの箇所で間違いやすいのか、どうすれば理解できるかという観点からの指導が私には全くできませんでした。そして、その高校での授業は私にとって苦しいものとなっていったのです。1年間試行錯誤を続けたのですが、「自分には高校生を指導できるだけの実力がない」との結論に至り、その年度を持って退職してしまいました。

当時の生徒たちのことを思い出すと、自分の未熟さゆえに申し訳ないことをしてしまったと今でも反省することしきりです。もっともっと努力すべきだったと思います。当時の教え子たちが何とか自力で飛躍し、社会人となった今、羽ばたいていてくれればと願うばかりです。

この経験から私が感じたこと。それは、どうしてもうまくいかないときは自分の中で猛省し、心の中で詫びる以外ないという点でした。そしてそこから自ら教訓を得て、同じミスをしないように生きていくしかないのです。今、大学生や社会人を私は教えていますが、あの高校での1年間の授業は私の中に大きな「忘れ得ぬ出来事」として残っています。心が弱くなったり、怠けたりしそうになると、当時を思い出しては自分を叱咤激励しています。

(2016年5月9日)

【今週の一冊】

「午後には陽のあたる場所」 菊池桃子著、扶桑社、2015年

菊池桃子さんと言うと、私にとってはアイドル時代の彼女の記憶が印象に残っています。しばらくお名前をお見かけしない時期が続きましたが、つい最近、注目する出来事がありました。菊池さんが、今問題となっている日本のPTAについて勇気ある発言をしたのです。それはニュースとして取り上げられ、大きな話題になりました。ことPTA問題に関しては私自身、「保育園落ちた」問題と同じぐらい大変な状況だと感じます。進展させない限り、それこそ「PTA問題があるから子どもを産まない」という女性が増えかねません。それぐらい逼迫していると私は思っています。

さて、今回ご紹介する本は、桃子さんにとって実は初著書なのだそうです。結婚、二人のお子さんの出産、離婚を経て大学院で修士号を修めた菊池さんですが、その陰には実に多くの苦労をされています。特に第二子のお嬢さんが赤ちゃんの頃の脳梗塞の影響で体に不自由があり、教育をめぐり母親として奮闘する様子は本書に詳しく記されています。

本書を読み進めると、タイミングや行動力、チャンスがいかに人生に大きく作用するかがわかります。私にとって桃子さんと言えばほんわかしたイメージでした。けれどもお子さんやご自身の学問などに関しては、静かなる情熱を秘めておられます。だからこそ、厳しい大学院生活も目的意識を持って乗り越えていらしたのだと思います。

「芸能界」というと、つい華やかなイメージだけで私たちはとらえてしまいます。けれどもそこで活動する方々も私たちと同じ、一人の市民です。私たちと同じように喜んだり悲しんだり苦しんだりするのですよね。本書は、使命感や目標、目的意識などを考えたい方に特にお勧めしたいです。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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