INTERPRETATION

第227回 記憶すべきこと・忘れるべきこと

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

英語の学習アドバイスをしていてよく出てくる質問があります。

「先生、どうしても単語を覚えられません。何か効率的な覚え方はありませんか?やってもやっても忘れてしまうんです。」

うーん、「効率的な覚え方」、ですか。むしろ私の方が知りたいです。何しろ放送通訳現場で私は訳語を度忘れして苦しむことなど頻繁にありますし、辞書を引いてみれば、前に何度も調べた跡が下線で残されているのです(私は紙辞書派で、調べた単語には線を引いているのですね)。

恥ずかしながら、いまだに「肝臓」と「腎臓」の英単語でゴチャゴチャになりますし、millionやbillionが出てくれば緊張します。映画の作品名の場合、俳優名も役名も原題・邦題タイトルも知っていたはずなのに、のど元まで出かかって沈黙・撃沈・・・ということも数知れません。ですので単語にせよ知識にせよ、効率的に覚えられる方法があるならば、私としてもぜひぜひ導入したいのです。

けれども、どんなに科学技術が発達しても、どうやら人間の記憶力には限界があり、人間というのはそもそも物事を「忘れるもの」としてできているようです。よって、忘れることに罪悪感を抱いても、実はそれが不毛のように感じられます。「覚えられない」と悩むぐらいなら何度も何度も見直す。その繰り返しをするしかないのではと思えるのです。

ところで「記憶」についてふと思い出したことがありました。随分前のこと。知人に久しぶりに会った際、昔の思い出話が出てきました。かつて私は悩み多き時期にその友人に相談をしていたのです。そのようなとき、彼女は電話口で「しっかり、ね」と励ましてくれたのでした。以来私は何か困難に直面すると彼女の「しっかりね」を思い出しては自分を励ましています。

そのエピソードを話すと、本人は「ええっ?私、そんなこと言ったっけ?」と意外な様子。どうやら記憶の彼方へと行ってしまったようです。私にとっては何物にも代えがたい彼女からの思いやりと親切心だったのですが、当の彼女はそれ自体をさほど深く記憶に刻んだわけではなさそうでした。

でもその時思ったのです。

人への親切は忘れても良い。

でも、人から受けた親切は忘れてはいけない、と。

人から受けた温かい思いやりは一生残ります。辛いときもそれが励みになるのです。だからこそ私は人から頂いた御恩は忘れてはならないと感じています。一方、自分がして差し上げた親切はささっと忘れた方が良いと考えます。これは佐藤初女先生の「奉仕はさりげなく、振り向きもしないで」という文章から

頂いた考え方です。

一方、「罪」に関してもこれは当てはまりそうです。

人からひどいことをされたらなるべく早く忘れる。

でも、人に対して自分が罪を犯してしまったら、その罪を軽々しく忘れてはならない。反省し続けよ、と。

潔く自分の非を認め、反省し、教訓を得て改善し続けることは簡単ではないかもしれません。けれどもこれも繰り返し自分に課すことによって、一人の人間として一歩でも前進できればと思います。

(2015年9月14日)

【今週の一冊】

「仁義なき宅配:ヤマトVS佐川VS日本郵便VSアマゾン」横田増生著、小学館、2015年

仕事柄よく宅配便を使っている。原稿の受け渡しやオフィス機器の購入、通訳業務に必要な参考書籍の入手、重くて運べないお米などなど。我が家にとって宅配便は生活の一部になっている。

以前、仕事帰りにオフィス街を歩いていたときのこと。連日の雨で道は水たまりだらけだった。傘をさしても雨脚が強い。ふと顔を上げると宅配便のお兄さんがずぶぬれになりながら颯爽と荷物を運んでいた。荷物のカートには厳重にビニール袋をかけて。

私たちが今暮らしている日本は本当に便利だ。ネットで買い物をすれば翌日に届けてもらえるし、通販サイトの多くは「送料無料」をうたっている。比較サイトもあるので、自分にとってのお手頃価格も探せる。部屋から一歩も外へ出なくても、至れり尽くせりなのだ。

ただ、それで良いのだろうか、と私は思う。これは宅配便に限ったことではない。台風で電車の電気系統に異常が生じれば、必死になって直してくれる人たちがいる。私たちには見えないところで仕事に忠実になってくださる方たちがいるからこそ、私たちは大きなサービスを受けられるのだ。その恩恵を当たり前と思ってはならない、と私は思う。

本書は物流を専門とするジャーナリストが昨今の宅配業界を多方面から取材したものである。潜入取材も行い、外から中から本人が見たありのままをつづっている。私たち消費者が表からはうかがい知ることができない内情も記されている。私たちが送料を一切支払わずに商品を受け取れるのはなぜか。そのことを知りたくて私はこの本を手に入れた。

組織や労働というのは、社員が100人いれば100通りの感じ方があると思う。著者の場合、一時的に潜入した体験談を本書に記しているので、それも「一つの感じ方」という前提で我々は読むべきであろう。

ここ数年私が感じていること。それはなぜ人々が「自分で店頭で買う楽しみ」を自らそぎ落としてしまったか、という点である。店員さんとのやりとりや、ふらりと立ち寄ったお店で意外な商品と出会うことなど、自力で買うという行為は多くの巡り合いや気づきを私たちにもたらしてくれる。好きなものを手に入れてホクホク顔で帰宅すれば、先ほどまでの買い物体験を思い出しながら買い物袋を開けることができる。歩き通しで疲れたけれども、心地よい疲労感を味わえる。ダイエットやジムなどと言わずとも、出歩くだけで実はしっかりと運動になるのだ。

家から一歩も出ずに画面だけで買い物をし、「運動不足だ~」と嘆くことに何か違和感を抱く私にとって、本書はひとつのきっかけをくれたように思う。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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