INTERPRETATION

第225回 競争について

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

高校生の頃、私にはあるライバルがいました。競争相手というと何だか物々しい感じがしますが、私にとって彼女は純粋に仲の良い友人でもありました。ただ、今思い返せば私が一方的に彼女をライバル視していただけなのかもしれません。彼女の方はおおらかで私と争う様子など一切見せなかったからです。そう考えると、彼女はライバルと言うよりも、私が一方的にあこがれていただけなのかもしれませんね。

今の時代、競わせるのは良くないという風潮があります。「運動会で一斉ゴールイン」は半ば都市伝説のような感じがしますが、それでも「学級委員長」と言う代わりに「代表委員」と名前を変えてあまりステータス差を持ち込まないようにするといった教育的配慮が見られます。いわゆるデキる子ばかりが目立ってしまい、物事に不得手な子ががっかりしたり、やる気を失ったりしてはいけないという考えも一理あるとは私も思います。

けれども誰もが平等になってしまうと、それがややもすると悪平等になりかねません。健全な競争はかえって良き雰囲気を生み出すことがあるからです。かつて読んだビジネス書で紹介されていたのですが、ある運送会社が運転の上手なドライバーを表彰するようになったところ、他のドライバーもそうした賞を目指すべく運転に気を配るようになり、事故率が大幅に減ったとありました。これなど健全な競争のもたらす効果だと私は考えます。

私のかつての教え子で、地方出身の学生がいました。帰国生が多いクラスだったのですが、その学生は海外在住経験も留学経験もありませんでした。しかし英語力は突出しており、文法も構文も単語の用法も実によくできていたのです。その理由を尋ねたところ、自分が地方出身であり、このクラスに帰国生が多いからこそ負けたくなかったと答えてくれました。これも立派な動機づけだと思います。

こうした学習者がクラスに一人でもいると、全体が良き緊張感に満たされます。帰国生の方も「もっとしっかりやらなければ」という気持ちになるのですね。私自身も帰国子女で学生時代に同じような状況に直面しましたので、「のんびりしていてはいけない」という気持ちを国内組からもらうことは意義があると思っています。

「競い合うこと」は、指導者や周りの環境がそれをうまく活用すれば、物事をより良くしてくれます。お互いが切磋琢磨することで全体的な実力向上になりますし、勝者・敗者という立場をそれぞれが経験することで、相手の立場に立てるようになります。英語を学ぶことも、単に資格試験の点数アップだけではないはずですし、自分が上手に流暢に話せればそれで良しというものでもないはずです。英語学習というのは、情報収集手段を日本語以外にもう一つ持つことであり、英語を通じて世界を知り、他文化や他の国・地域の方々に思いを寄せることだと私は思うのです。相手の立場に立つ、他者に心を寄せるということは、競争を通じて得られることでもあると私は信じています。

「他人よりも優位に立ちたい」「他者よりも抜きん出て評価されたい」という思いは、誰もが潜在的に持つものです。しかしそれも度が過ぎれば単なる自分勝手・自己中心で終わってしまいます。最近の自己啓発書には「好かれる人」「デキる人」「一流の人」といったタイトルが並びます。純粋な気持ちで目指すのであれば人々の人格が総合的にアップし、思いやりに満ちた社会ができあがることでしょう。そうであれば私も異論はありません。けれども、他者を押しのけてまでという考えが少しでもあれば、競い合うこともすべて打算になってしまいます。

競争やライバルなどをいかに健全なものにしていくか。それは親や教師、上司など「上に立つ者」の課題なのではと私は思っています。

(2015年8月24日)

【今週の一冊】

「作家の使命 私の戦後―山崎豊子自作を語る 作品論」山崎豊子著、新潮文庫、2011年

「運命の人」や「白い巨塔」「二つの祖国」など、山崎豊子氏の作品名だけでも知っているという人は多いと思う。かく言う私もその一人で、ドラマでは見たことがあるものの、原作はお預けである。いつか読もうと思いつつ、文庫本でも数巻とあれば、読むにも気合が必要に思えてしまうのだ。

このような印象を私は山崎作品に対して抱いていた。しかし今回、作品そのものよりも先に「メイキング」に相当する本書を読んだのであるから、ある意味ではフライングなのかもしれない。書店で何となく棚から取り出してパラパラとめくり始めるや、やめられなくなってしまったのである。

ここ数か月、私の中では「沖縄返還」が大きなテーマとして存在し、関連書籍やドキュメンタリー番組などを見てきた。本書も沖縄を題材にした作品「運命の人」の制作話から始まっており、その内容に私はグイグイ引き込まれたのである。と言うのも、私が存じ上げている方が紹介されていたからだ。

私はずいぶん前に仕事を通じて元・外務省の方に何度かお目にかかったことがある。その方は外務省の中でも重責を担っておられたのだが、ご自分の業績を積極的にお話になることはなかった。むしろ若い人たちの話を熱心に聞いておられるタイプであった。こちらの語ることに耳を傾けつつ、言葉少なではあるものの、私たち若手世代の心に残るようなことをおっしゃっていた。

その方が沖縄返還において非常に尽力されていたことを、私はその方が亡くなられてから詳しく知った。ご本人が生前に語られなかったのは、ご自分の仕事に誇りを抱き、国のためを思われていたからであろう。山崎氏は「運命の人」を執筆するに当たり徹底的な取材を行ったのだが、なかなか関係者から証言をとれず、こう着状態に陥っていた。そのときにインタビューしたのがこの外交官の方で、何度かお話を伺ううちにその方はぽつりぽつりと語ってくださったのだそうだ。

思いがけず本書の中で以前お世話になった方に「再会」できたのは、私にとってうれしいことであった。たまたま書店で手にしなければ、おそらくそのままになっていたであろう。その偶然に感謝したい。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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