INTERPRETATION

第218回 いつ謝るか

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳学校で教えていると、次のような質問を受けることがあります。

「先生、もし誤訳をしてしまった場合、いつ訂正すればよいですか?」

これは実に鋭い問いです。と言いますのも、状況によってどのタイミングで訂正と謝罪を入れるかが異なってくるからです。

まず、同時通訳から見てみましょう。同時通訳の場合、英文を聞きながら頭の中で通訳者は日本語に解釈し、聞き手にとって一番わかりやすい日本語を紡ぎだしたうえで日本語訳を口頭で述べていきます。すべて同時進行ですので、一瞬の迷いがきっかけで長い沈黙をしてはいけません。なぜなら私たち通訳者が黙ってしまえば、聞き手である聴衆に大きな不安を与えてしまうからです。よって、瞬時に訳語を判断し、即断即決で日本語を口にしていくことが求められます。

けれども通訳者とて人間ですので、時には間違いもしてしまいます。思い込みで訳語を言ってしまったり、概念自体を理解していないがゆえに的外れな日本語を述べたりということもあります。不安が不安を招き寄せ、さらに混乱してしまうケースもあるのです。すべて瞬時の判断にかかっていますので、私たちは多大なストレスにさらされながら同時通訳を行っています。

大きな国際会議のときは複数の通訳者が携わりますので、パートナーが横でメモを取ったりサポートしたりしてくれます。誤訳をしてしまった時も、すぐにメモで正しい訳を書いてくれる心強い存在がパートナー通訳者です。このように誤訳に気づいたのがすぐであれば、直後に「失礼」と言って正しい訳を言っていきます。「訂正いたします」「申し訳ございません」など誠意を持った謝罪を本来ならしたいところですが、同時通訳の場合、話はどんどん進みますので、そこまでお詫びを言う時間がないのです。

一方、逐次通訳の場合は多少時間に余裕がありますので、誤りに気付いたときはあとになってからでも「先ほど○○と訳しましたが、正しくは△△です。申し訳ございません」と言うことができます。このように述べた上で、続きを落ち着いて訳すのが最善策と私は考えています。いずれにせよ、誤りに気付いたらとにかく早くお詫びと訂正をするのが通訳界での鉄則です。

と、ここまで書いてふと思い出したことがありました。脚本家・工藤官九郎氏と水田伸生監督が2014年に生み出した映画「謝罪の王様」です。この映画は阿部サダヲさんや井上真央さん主演のコメディで、テーマは「謝罪」です。複数のエピソードがオムニバス形式で描かれており、いずれも阿部サダヲさん演じる東京謝罪センターの黒島譲所長から見た「謝罪」が描かれています。

「海外では謝っていけない」と教育されていたアメリカ育ちの帰国子女や、テキトーに謝ったがゆえに訴えられた男性社員などが出てくるのですが、中でも私にとって印象的だったのは、阿部サダヲさん演じる主人公がなぜそこまで謝罪にこだわっていたのかを描いていたエピソードでした。

詳しくはぜひ本編を見ていただきたいのですが、一言で述べると、「謝罪」とは「当事者」「誠意」「タイミング」が大切であるという点です。黒島所長にとってはほんのささいな出来事であったがゆえに、当の本人にひとこと「ごめんなさい」と言ってもらえれば済んだはずでした。ところがその人物は謝ることをせず、直属の上司や会社の幹部らが代わりにどんどん出てきて、事は大きくなっていくのです。状況は泥沼化してしまい、ピント外れになってしまう様子がスクリーンでは描かれています。

「謝罪」という行為は、「該当する本人」が「誠意をもって」「なるべく早く」詫びを述べることで、たいていの場合、その場で解決します。しかし、「本人以外」が出てきたり、時期を置いたりすればするほど、事態はこじれてしまうのです。

通訳現場で誤訳をしたときも、ビジネスやプライベートの場面で何かミスをしてしまった際も、結局は本人が誠意を見せ、迅速にお詫びをすることが問題をこじらせない最善策である。

このことを私は水田監督のコメディから学んだのでした。

(2015年7月6日)

【今週の一冊】

“Pygmalion” Penguin Classics, Penguin

私はLondon School of Economics(LSE)という大学で修士課程を終えたのだが、卒業からずいぶん経った今でも同窓会報が届いている。当時私が在籍した学科は大学院再編でなくなってしまい、今やお世話になった先生も鬼籍に入ったり他大学に異動されたりという状況だ。それでもこうして定期的に大学の様子を知ることができるのはうれしい限りである。

先日届いたニュースレターを見ていたところ、LSEに関するトリビアが載っていた。たとえば1980年代に学部生の鉄道愛好家たちが働きかけたおかげで、LSEのプレートを冠した蒸気機関車が走ったことを私は初めて知った。記事を読むと、そのプレートは現在大学敷地内にあるパブの天井からつりさげられているそうだ。気になったので大学のサイトを見ると、なんとこのパブを運営しているのは大学本体なのだとか。うーん、日本の大学が敷地内で居酒屋を経営するというのはあまり想像できないのだが、そこはパブの国・イギリスなのであろう。

もう一つはジョージ・バーナード・ショーの作品「ピグマリオン」にLSEが言及されていたこと。これも初耳だった。「ピグマリオン」は映画「マイ・フェア・レディ」の原作で、映画の方はオードリー・ヘップバーンの名演技が見ごたえ大だ。花売りの娘が言語学専門の教授の指導でレディに成長する様子が描かれている。

「LSEは原作のどこに出ているのだろう?」と気になったので、勤務先の大学図書館から早速借りてみた。紙版は1914年が初版で、1963年に再版されたもの。大学図書館の自動書庫に保管されており、紙色もすでに茶色くなっている。わくわくしながらページをめくると最後の最後に出ていた。ポーランド生まれの画家フェリックス・トポルスキーの挿絵も味わいながら。

本作品は脚本なので、私は今回音読しながら最初から楽しんでいる。今の時代とは異なる言葉の選び方やリズムなど、声を出して読むと実に興味深い。難解な言い回しも多いのだが、映画であらすじをおさえていれば大丈夫。黙々と読む代わりに声を出して味わう洋書に久しぶりに出会えた。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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