第212回「取り組んだ」という事実は残る
イギリスに暮らしていた幼少期、当時通っていた学校ではEnglish Literatureという授業がありました。まだ小学校5年生ではあったものの、シェイクスピアやブロンテ、ワーズワースやマンスフィールドなど、イギリスの文学者の記した作品をクラスで講読するという授業です。
そもそも英語がわからないままいきなり現地校に転入した私にとって、このクラスは正直なところ、かなりつらいものでした。当時はインターネットはおろか、子ども向けにやさしく書かれた辞書などもなかった時代です。家にあったのは三省堂の「コンサイス英和・和英辞典」だけでした。ほとんど例文もなく、今の紙辞書と比べても字がとても小さい大人向けの辞書だったのです。英和辞典を引いてもそこに出ている漢字が判読できない、という状態でした。
そうした中、「嵐が丘」やシェイクスピアの三大悲劇、ワーズワースやキーツなどの作品を授業では取り上げていきました。生徒が1パラグラフずつ音読し、先生が英語で解説を加えるという授業です。本の内容もチンプンカンプン、先生の話していることもさっぱりわからない状態が長いこと続きました。
今振り返ってみると、自分が先生に指名されて音読した時、「とにかくつっかえずに読もう」という焦りだけは強く抱いていたことを思い出します。当時読んだ作品名もおぼろげに覚えています。けれども本の内容はすっかり忘れているのですね。あらすじを思い出すこともできません。
ただ唯一言えること。
それは「わけがわからない状態ではあったものの、とりあえず取り組んだ」という事実があることです。そしてその事実が今の私に「大変だったけれどがんばった」という「経験」を与えてくれています。
日ごろ勉強を続ける際、「大変だなあ」「いやだな」「めんどうくさい」といった思いで取り組むことは少なくないかもしれません。けれどもどれだけしんどいものであっても、そこから逃げずに過ごしたことは、のちのちの自分の人生において「自信」というご褒美を与えてくれるのではないか。
最近の私はそのように思っています。
(2015年5月25日)
【今週の一冊】
「記録された記憶 東洋文庫の書物からひもとく世界の歴史」東洋文庫編、山川出版社、2015年
社会人になったころから私は古地図に興味を抱くようになった。きっかけは何だったのか今となっては思い出せない。ただ、色とりどりに大きく描かれた世界地図が何とも魅力的で、宗教画のような、あるいは測量図のような雰囲気に大いに惹かれていたのだった。オリジナルはとても買えないので、絵葉書やグッズなどを探してはせっせと集めたのである。今回ご紹介する書籍は、その古地図が表紙に描かれていたもの。迷わず手に取った。
東洋文庫は三菱財閥の岩崎家が私財を投じて設立した研究機関である。今でも研究は続けられており、数年前からは施設の一部が博物館として一般公開されている。本書には東洋文庫が所蔵する数々の宝の一部がオールカラーで紹介されている。
中でもじっくり読んだのは「清英交渉の図」という19世紀半ばに描かれた洋画である。当時の中国はアヘン問題や列強による関心など緊迫した状況に直面していた。この図は1840年にイギリス軍が清側に降伏勧告状を突きつけた場面を描いている。その中心に位置するのがドイツ人宣教師チャールズ・ギュツラフだ。
ギュツラフは宗教関係者でありながら、交渉時には通訳をつとめている。ほかにも南京条約の際にその語学力が買われたほどである。電子辞書もインターネットもないような時代に、政府間交渉をつとめるというのはどれぐらい大変だったのだろうかとその頃に思いを馳せたくなる。
山川出版社といえば、高校時代に日本史や世界史の教科書でお世話になった会社だ。当時は「硬くて難しいテキスト」というイメージがあったのだが、本書は読みやすく、「これぞ、元祖クール・ジャパン!」などのように若手読者を意識したような文言もある。
美しい写真に貴重な資料、わかりやすい解説を楽しみながら、一人でも多くの人が過去に興味を抱いてくれたらと思う。
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