INTERPRETATION

第206回 伝えるということ

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

CNNの放送通訳をしていると、たくさんの記者のレポートに触れることになります。紛争地を主に担当する特派員もいれば、IT関連専門という人もいます。いつも凝った表現を駆使する記者もよく画面に登場します。「一視聴者」として楽しむことはできる反面、難しい英語に私などはいつも内心冷や汗をかきながら通訳しています。

中でも毎回オモシロレポートを届けてくれるのがジーニー・ムース記者です。主に芸能分野が多いのですが、実に独自の切り口で取材をするのですね。しかも語り口がべらんめえ調のようで、ついつい引き込まれます。こちらも「見る分には大いに楽しめる」のですが、通訳する際は必死です。「え?その表現を画面のどこにかけているの?」という具合でいつも振り切られています。

先日ムース記者がレポートしたのは手話通訳に関してでした。ヨーロッパでは「ユーロビジョン・ソングコンテスト」という伝統ある国別対抗歌合戦番組があります。私は1970年代にイギリスで過ごしたのですが、そのころから非常に盛り上がりのある番組を展開させていました。あれからEU加盟国もどんどん増えましたので、今では大規模な歌番組となっています。ちなみにスウェーデン出身の人気ポップグループ「ABBA」はこのコンテスト優勝がデビューのきっかけとなったのですね。

さて、ムース記者が今回取材したのはスウェーデンの手話通訳者さんです。ユーロビジョンのスウェーデン予選で手話通訳者のトミーさんは、ある曲を手話で表現しました。それがとても情熱的で見ごたえがあり、歌手本人よりもトミーさんの方が話題になったのです。You TubeなどのSNSではすでに500万回以上のアクセスになりました。

トミーさんは取材に対し、「とにかく歌と一体化している」と述べています。耳の聞こえない方々に伝えたいという思いがあるのだそうです。インタビューでのトミーさんはどちらかというとシャイで控えめな印象です。画面であの歌を手話通訳している様子からは少しかけ離れているだけに、私はよけい興味を抱きました。

気になったので調べてみたところ、トミーさんのご両親はお二人とも耳が不自由なのだそうです。幼少期から両親とのコミュニケーションは手話だったこと、また、手話そのものも独学で身につけたとトミーさんは別のインタビューで述べていました。

手話通訳の仕事を始めてからはミュージカルや音楽を耳の不自由な方たちに届けたいという思いが募り、仲間とそうしたイベントでの手話通訳を手掛けるようになったそうです。以前、ユーロビジョンの地区大会で手話通訳をしたものの当時は適切な施設がなく、シャワールームで通訳したと語っていました。

2015年3月16日付のイギリス・ガーディアン紙にトミーさんが述べた言葉をご紹介します。

“I am always all in. I want to give the whole experience of the music. I have to give my whole body. When I get on the stage the music is pumping and I lose myself. I don’t know what’s happening. I am totally lost in the moment – but somehow I still know what exactly I am doing.”

話者の伝えたいことを通訳者が徹底的に吸収し、話者の思いを相手に伝えるということ。その大切さを私は改めて感じます。

トミーさんのYou Tube動画はこちらです。

(2015年4月6日)

【今週の一冊】

「ゆびさきの宇宙 福島智・盲ろうを生きて」岩波現代文庫、2015年

今回この本に出会ったのも偶然だった。ある本を購入し書店で会計をしていたときのこと。レジカウンターの下にラックがあり、岩波書店のPR冊子が置いてあった。私はカウンターにあるチラシやしおりなど、つい一通り頂いてしまう。岩波のPR誌は月刊誌で複数ページからなっており、新刊書や既刊書、月刊誌の広告などが網羅されている。「ゆびさきの宇宙」はその冊子に紹介されていた。

著者の生井久美子氏は朝日新聞で何度かお名前を目にしており、ここ数年は福祉などを中心に書いていらっしゃるようだ。わかりやすい文章でルポルタージュを構成しており、どの記事も一気に読め、しかも、読者に多くの問題提起をしてくださるのが生井さんのスタイルである。

早速、虎の門の書店で本書を手に入れた。福島智さんのことは、以前どこかの記事で読んだことがある。日本のヘレンケラーとも言われ、目と耳がご不自由な中、現在は東京大学で教鞭をとられている。

本書には福島さんの生い立ちから発症、ご結婚や研究者として東京大学に勤務し始めて現在に至るまでの様子が描かれている。やんちゃで外遊びが大好きだった幼少期のこと、少しずつ体の機能を失いつつも、自ら工夫して成長していったことなどが本書からはわかる。ここまで大変な、それこそ壮絶な状況に置かれているにも関わらず、福島さんは常にユーモアを持ち合わせている。

福島さとのコミュニケーションで使われるのが「指点字」である。詳しくは本書に譲るが、リアルタイムで相手の話を福島さんに伝えるために残された手段は指点字なのである。そんな福島さんを支える「通訳者」さんのこともここでは詳しく描かれている。

私は「音」として発せられる「ことば」を通訳する仕事に携わっているが、人と人との意思疎通には書き言葉や音声言語以外にも方法があることを本書から学んだ。読者は、日々を丁寧に生きておられる福島さんからたくさんの「考えるきっかけ」を与えられることと思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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