INTERPRETATION

第202回 マルチタスクをやめてみた

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

 ここ数年のデジタル社会の発展には目を見張るばかりです。パソコンやスマートフォンさえあれば、いつでもどこでも情報にありつけます。かつては手間暇かけて調べていたことが、今や瞬時に分かるのですから便利ですよね。

 けれどもその一方で「世の中全体がせわしくなった」と私は感じています。私は性格的にせっかちですので、スピード感をもって良しと考えるきらいがあります。ちなみに歩くのも食べるのも早い方で、これはもしかしたら長年の同時通訳という仕事から培われた習性なのかもしれません。何しろこの仕事は「時間厳守、瞬発力必須、食事時間はタイミングを見て素早く」を求められます。

 そうした「忙しさ」があるため、ついつい私などはマルチタスクを目指してしまうのですね。Aという作業をしながらBという課題を思い出し、それをネットで調べつつ、Cの雑用をこなす、という具合です。

 同時進行で3つのことに取り組むのですから、無事に仕上がったときの達成感は格別です。「お~、自分ってすごい!よくやった!」と一人にんまりしてしまうこともあります。

 こうしたアプローチは一見効率的です。しかし、いつまでたっても心が休まらないのですね。常に何かに追われている、いつも焦っている、心臓もドキドキ、体の筋肉に緊張が見られる。そんな状況が続きます。

 けれどもそれは逆の見方をすればアドレナリンが大放出のとき。そのスリルがかえって病みつきになっているのです。「忙しいけれど何事も滞りなくやり遂げられる自分」に酔いしれてしまうこともあるのでしょう。

 先日読んだ新聞に「マルチタスクはかえって非効率」という文章が出ていました。イギリスのThe Guardian Weekly という新聞です。それによると、同時進行で複数のタスクに取り組むたびに、実は脳が多大な負荷をかけられているとありました。

 私自身、マルチタスクによるせわしなさにここ最近くたびれていたところでした。ですので思い切ってマルチタスクをやめようと今は意識しています。たとえば「ネットの検索結果を待つ間にメールソフトを開かない」「パワポ画面が出てくる間にニュースサイトを覗かない」などです。あちこちに関心を向けないよう、あえて気をつけているところです。

 もちろん、マルチタスクをやめたから即、私の人生が劇的に改善したわけではありません。ただ、「せわしない気持ちが減ったこと」と「目の前のことに丁寧に取り組もうと思うようになった」のは事実です。

(2015年3月2日)

【今週の一冊】

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「NPR (National Public Radio)」

 毎回このコーナーでは書籍を紹介しているが、今回は少し気分転換ということでお気に入りのラジオ局を。

 最近はインターネットやスマートフォンが普及してきたためか、「ラジオ」を聴くという人がめっきり減った。私の授業でも「家にラジオそのものが無い」と語る人も少なくない。私はラジオ世代なので、今でもラジオは大活躍。家には乾電池で動く小型ラジオがあり、スイッチを入れればすぐに音が飛び出してくる。パソコンの場合、まずはハードディスクを立ち上げて目的のサイトにアクセスして、LISTENボタンを押し、広告をやりすごしてという複数のステップがある。それが私にはどうもまどろっこしいのだ。アナログ機械の方が実は素早いと思う。

 さて、今回ご紹介するのはNPRというアメリカの公共放送。私は早朝の放送通訳シフトの日は朝4時に起きているのだが、AM810kHzで聞けるAFN(米軍放送網)はこのNPRをリレー中継している。NPRはニュースや時事問題解説、日替わりでジャズ音楽やアーティストインタビューなど盛りだくさんで実に聴きごたえがある番組だ。AFNでは午前6時まで中継している。

 NPRを気に入っている最大の理由は、幅広い話題が耳に入ってくること。「へえ、今はこういうことが注目されているのか」「この著者のインタビューが面白かったから今度本を買ってみよう」という具合に、「次への行動」のきっかけとなることが多いのだ。人間というのは自分が関心を抱いたものであれば、それが多少難しい英語でも苦にならない。「知りたい」という知的欲求は私たちの原動力となるのだ。

 最近特に熱心に聴いているのが週一回放送のOn the Mediaという番組。メディア関連の話題が満載だ。コンテンツの分析などを番組プレゼンターとゲストが行うのだが、そこに出てくる専門家も最近はviral news editor などと呼ばれている。viral(SNSを使って口コミで広がる)という語の普及を感じる。

 NPRはもちろんインターネットでも聴ける。けれども私にとってはリアルタイムで小型ラジオで聴くことは一種の「戦い」でもあるのだ。一期一会で聞き逃すまいと思うからこそ真剣に耳を傾けるし、興味深い表現は身支度中でもメモに殴り書きをする。「後がない」という思いは英語学習には動機づけになる。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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