第200回 連絡のタイミング
本コラムは今回で200回目を迎えました。これまで長く続けることができましたのも、読んでくださるみなさまのおかげです。本当にありがとうございます。「通訳者のたまごたちへ」の連載から数えるとすでに長い年月が経っています。その間の英語学習環境や通訳業界事情なども大きな変遷を遂げてきました。これからもみなさまのお役にたてるような文章を綴ってまいりたいと考えています。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
さて、今週のトピックは「連絡のタイミング」です。
「何となく体の調子が悪い。でも明日には大きな仕事が控えている」というとき、みなさんならどうしますか?会社勤めをしていた頃の私も何度かそのような状況に直面したことがあります。そのときは、とりあえず早く寝て翌朝、どれぐらいの体調になったかによって出社を決めていました。何とか職場まで行けそうならそのまま自宅を出ます。そうでなければ始業時間に会社へ電話をかけ、体調不良なので休みたい旨を伝えていました。
フリーランス通訳者の場合、自分に割り当てられた仕事はきちんと遂行するのが最優先項目です。依頼の順番に自分のスケジュールも埋まりますので、たとえあとから「おいしい仕事」が舞い込んでも、先約をキャンセルすることはできません。First come, first servedで仕事に取り組む必要があるのです。
体調管理も仕事のうち、給与のうちです。日ごろから栄養・睡眠・運動を心がけて病気にならない体を作っておくことが求められます。夜更かしや暴飲暴食などを続けてしまえば、ただでさえハードな通訳業務ですので、体はすぐに悲鳴を上げてしまうでしょう。自分の体をよく知り、整えておくことも必須なのです。
けれども人間は機械ではありませんので、突発的に何かが起こることも大いにあり得ます。同時通訳業の場合、「声」さえ出れば何とか仕事はできます。極端な話、足や腕のけがに見舞われても、話すことさえできれば務まるのです。
しかし、声が出ないとなると話は別です。
随分前のこと。私は通訳業務本番中、急に声が出なくなり、どんどんハスキー声になった結果、業務終盤では完全に声を失うという事態に見舞われたことがあります。ノドの痛みや発熱などがあったわけではなく、徐々に声を失ってしまったのです。お客様やエージェントさんに多大なご迷惑をかけてしまい、猛省をしたことがありました。
そこで得た教訓は、「いつSOSを発するか」ということでした。具体的には、「エージェントに体調不良の連絡をするタイミング」です。
先の例であれば、「声がかすれつつある」と自覚した時点で私はエージェントに連絡すべきだったのです。あの時は「少し我慢すれば何とかなるかも」「あと数時間で業務終了なので、これ以上悪化しなければ持ちこたえられるはず」と私は見ていました。けれども勝手な自己判断があの時はことごとくはずれてしまい、最終的に声が出ないという事態になったのです。
ピンチヒッターの通訳者を立ててもらう場合、エージェントへの連絡は早ければ早いほど良いことになります。もちろん、本来であれば依頼された私自身が最後までしっかりと業務を遂行しなければなりません。けれどもそれが病気などで難しそうだと分かった時点で、通訳者は「勇気を持って」エージェントに連絡することも仕事の一部なのです。
「まだ一日あるし」「明日になれば体調が復活しているかも」「薬を飲んだからたぶん大丈夫」「昔、気合で体力が復活したことがあるし」などなど、自分のコンディションが戻ることに一縷の望みをかけたくもなるでしょう。私もどちらかというとそういうタイプです。けれども、こと人の体に関して「絶対」というものはありません。自分一人が頑張ってもどうにもならないことは、生きていれば起こりうるものなのです。
どのような仕事であれ、私たちは多くの方々と関わりながら、そして支えていただきながらその業務に携わることになります。マイナスの影響を最小限に抑えることも通訳者に課せられた責任である。そう私は感じています。
(2015年2月16日)
【今週の一冊】
「部下にはレアルに行けると説け!!」矢野大輔著、双葉社、2015年
過日このコラムでご紹介した「通訳日記」の著者・矢野大輔氏の第二弾。「通訳日記」はザッケローニ監督や日本代表と過ごした日々を時系列に記していたが、本書は「リーダーシップ」「コミュニケーション」「チームビルディング」という大きな3本の柱を軸に綴られている。スポーツにおける哲学をビジネスや日常生活にあてはめられる、そんな一冊だ。
今の時代、人は何事においても「最短時間で最大限の効果」を期待してしまう。英語学習しかり、ダイエットしかり、チーム成績しかりだ。ザッケローニ監督はワールドカップ・ブラジル大会で好成績を残せず、監督を辞任した。しかし、組織というのは本来じっくりと時間をかけて作り上げるものなのではないだろうか。そのような観点から見ると、わずか数年でザッケローニ監督がイタリアへ帰国してしまったのが残念でならない。
本書を読むと、ザッケローニ監督がいかに日本人選手たちを大切に考え、尊重しながらチームを作り上げていったかが分かる。そのやり方というのはビジネススクールで学ぶ理論というよりは、むしろリーダー個人の人間性や人格に頼るところが大きい。「この上司についていきたい」と部下に思ってもらえるかどうかが、その組織の成長のカギを握るのではないだろうか。
相手を信じ、長所を見出して伸ばしていく。その「眼識力」を上に立つ者は持たなければならない。これはスポーツの監督だけでなく、ビジネス界や教員にも当てはまるであろう。私自身教壇に立つ人間として、改めてその重要性を本書から感じている。
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