第198回 熱い思いを抱けるか
「どうすれば通訳ができるようになりますか?」
仕事柄、このようなお尋ねをよく受けます。質問する方にしてみれば、今まで色々と努力をしてきたけれど一向に伸びを実感できない、早く通訳者になりたいなど、切実な思いがあることでしょう。自分では一生懸命取り組んでいるのに検定試験の点数が伸び悩んだり、通訳スクールであれば進級できなかったりということもあります。学習に費やした時間やお金が大きいほど、その悩みは切実だと思います。
何か目標を抱いて英語の勉強をする場合、その思いの強さに学習集中度は比例すると私は考えます。「通訳者にどうしてもなりたい」「だから一刻も早く現場デビューしたい」という気持ちが強烈にあれば、寝ても覚めても気持ちは勉強に向かいます。
私の場合、フリーの通訳者になったのはイギリスでの大学院を終えて帰国してからでした。大学の研究者になりたいという夢は「高学歴・高年齢・女性」、しかも「国内の大学院を出ていない」との理由で断たれました。他に残されていた道は、自分が以前から興味を抱いていた通訳者しかなかったのです。早く生計を立てる必要もありました。
しかし通訳業の場合、晴れてデビューしたからおしまい、というわけにはいきません。むしろ延々と続く勉強をいとわず、むしろ楽しめるかにこの業界での生き残りはかかってきます。毎回毎回業務ごとに新しいテーマが与えられ、受験勉強さながらの準備が必要とされます。「たくさんすぎて覚えられないから、ま、いっか~」というわけにはいかないのです。「覚えられない?ならば覚える工夫をするしかない!」と追いつめられていきます。また、現場では多大な緊張を強いられ、心臓は常にバクバク、耳から入るすべての音に神経を集中させ、自分が発する訳語は正確に分かりやすくするなど、様々なことに気を遣います。座り仕事なのに終了後はフルマラソンを完走したかのようなグッタリ感です。
病気欠勤も慶弔休暇も有給ももちろんありません。体力作りも仕事のうちです。万が一大病になってしまい、代わりの人をお願いするのであれば、自分のネットワークから適任者を選ぶ努力も必要です。日ごろからの交流関係が生きてくるのです。そうした人間関係を築いておくことも覚えておかなければなりません。
そこまで心身ともにエネルギーを要する通訳業ではありますが、ではなぜ何年も私の場合続いているかと言えば、「好奇心」ゆえだと考えます。お金を頂戴しながら未知の分野の勉強をさせていただけることほど、自分の人生にとってありがたいことはありません。そのような恵まれた境遇を与えられたからこそ、現場では最善を尽くしたいと思いますし、お客様のお役に立たねばならないという気持ちになるのです。
2月は大学の後期授業が終了する時期です。自分の努力が成績に反映されることもあれば、今一つという結果にがっかりするかもしれません。通訳学校であれば、そろそろ期末テストがやってきます。今期こそ進級を目指そうと思う方もいるでしょう。
どのような場合であれ、一番大切なのは自分が何をめざし、どこへ向かおうとしているのかを今一度ハッキリ思い描くことだと思います。そしてその思いを熱く抱き続けることが次への原動力になります。ロウソクの灯を燃やし続けることこそ、新たな一歩を踏み出させてくれる。そう私は考えています。
(2015年2月2日)
【今週の一冊】
「世界史劇場 イスラーム世界の起源」神野正史著、ベレ出版、2013年
放送通訳現場では連日イスラム国に関するニュースが出てくる。一つのニュースを理解するために大事なのは、歴史を学ぶこと。歴史には宗教や文学、音楽、政治、経済など実に多様な分野が含まれるが、中でも宗教をきちんとおさえることが大切だと私は考える。
インターネットでも知識を吸収することはもちろんできる。しかし膨大な量に圧倒されかねない。そうなると編集者の目を経て厳選された情報が載る書籍の方が実はコンパクトにまとまっていると言えるのではないだろうか。
今回ご紹介する一冊は予備校で教鞭を執る神野氏が記したもの。イラストもふんだんにあり、説明文も分かりやすく、複雑な内容でもすんなり入ることができる。特に脚注には現在の世界との対比も出ており、理解が促されるような工夫も見られる。
イスラム教がどのような世界的状況の中で誕生したのか、地理的な条件はどこまで影響を及ぼしたのか、当時の為政者と反対勢力との関係なども本書には詳しく説明されている。高校時代の世界史というと、ついつい「大学受験のために暗記をせねば」と思いながら勉強をしてしまうものだ。しかしそうした表面的なとらえかたをしていても、物事を深く理解することには至らない。大事なのは大局観的にとらえることが今につながるのだ。
お客様にとって聴きやすい通訳をするために大切なのは、通訳者本人が「内容を理解していること」である。その助けになるのであれば、情報源は何であっても正解だ。本書のようなイラスト入り書籍はもちろんのこと、子ども向け百科事典やインターネットのキッズサイトなども私は愛用している。
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