第184回 仕事への臨み方
フリーランス通訳者にはいくつかのメリットがあります。一例としては「自分でスケジュールを調整できること」が挙げられます。会社勤めの場合、企業側の事業計画で物事は進められますよね。一方、フリーで働いていれば、繁忙期や閑散期などにどのような仕事をどれぐらい請け負うかは自分で決めることができるのです。女性の通訳者の中には結婚・出産後も仕事を続けている人がいます。子どもの成長と共にPTA役員や地域自治体の仕事なども回ってきますが、そうした役職と通訳業務をバランスよく組み立てられるのもフリーならではの利点です。
他にも良い点は色々あります。たとえば私の場合、通勤ラッシュが大の苦手です。会社員のころは毎朝同じ電車に乗り、乗客同士もみくちゃになり、乗換駅では大雑踏の中、人をかき分けかきわけ歩くということを毎日続けていました。職場まで遠いところに住んでいましたので、オフィスに着くころにはいつもぐったりしていましたね。体力を朝一番で消耗させられ、それからさらに夕方まで仕事というのはなかなかハードでした。フリーになり、ラッシュを避けられるようになっただけで本当に気分的にもホッとしました。
もちろん、長所もあれば大変な部分もあります。その筆頭に挙げられるのが「自己管理」です。フリーの場合、一度仕事を請け負ったらキャンセルすることはできません。ご指名の仕事であればなおさらです。「代わりがいない」ということは、自分自身が当日まで体調を管理し、仕事の予習をしっかりしておかなければならないのです。ある意味では舞台俳優やオペラ歌手、テレビ出演者と似ているかもしれません。「この人でなければダメ」とお客様はとらえてくださっていますので、それを自覚した上で節制することが求められます。
もう一つは「孤独感」です。社内通訳のように仲間がいる通訳業種とは異なり、フリーで仕事をするイコール基本的にすべて一人で対応することになります。間にエージェントさんが入ってくれはしますが、通訳現場で通訳者が一人しかいない場合はその場その場で自分が決断し、対応しなければなりません。社会人として責任ある決定を下し、大人として失礼のない言動をとることも必要になってくるのです。誰にも頼れなくても自力で切り開く、そうした孤独な状況での対応力もフリー通訳者は兼ね備えておかねばなりません。
「そんな大変な中、ストレスはたまりませんか?」
そう尋ねられることがよくあります。日英・英日と瞬時の言語変換活動をするだけでも脳を酷使しているのです。終わりのない受験勉強のような予習、体調管理、事務連絡や現場での対応など、緊張感を強いられる状況が続くのが通訳業です。こちらの思いがなかなか通じず、難しい場面を目の前にして内心途方に暮れることも少なくないのですね。他の仕事同様、ストレスというのは通訳業でもたまると思います。要はそれをどう発散させ、建設的に次へとつなげるかだと私は思っています。
随分前のことですが、教え子からこんな話を聞きました。いわく、先方の無茶ぶりがあまりにもひどく、本当にどうしようもなくなってしまった。あまりにも頭に来たので、思わずSNSに書いてしまったと。
詳しく尋ねてみると、確かに立腹したくなるのもわかるような状況でした。けれどもSNSでストレスを発散することには注意が必要だと私は考えます。なぜならたとえ会員限定のものであっても、どこでその書き込みが流出するかわからないからです。インターネットというのは誰がいつ見るかわかりません。そこに文章を載せるということは、節度ある態度が求められると私は思うのです。
通訳者は単に言語変換作業が上手だから務まるわけではありません。社会人として、人間として、トータルな部分をお客様は見ています。どれほどストレスがたまったとしても、それにムキになって反応したり反論したりしてはいけないと自戒の念を込めて本稿を締めくくる次第です。
(2014年10月20日)
「宇宙飛行士の採用基準」山口孝夫著、角川oneテーマ21、2014年
本を買うお店というのは書店に限らない。美術館のミュージアムショップに行けば厳選されたアート関連の本が買えるし、セレクトショップにはその店主が選び抜いた数冊が並ぶ。大型書店でなくても、自分が求める本に巡り合えることがあるのだ。
今回ご紹介する一冊は9月に幕張メッセで開かれた「宇宙博」で手に入れたもの。私が出かけた週末にはゲームショーがお隣の会場で大賑わいだった。しかし宇宙博も大勢の来場者が熱心に見学していた。コースの最後には宇宙関連グッズのお店があり、多数の書籍の中に本書が並んでいたのである。
著者の山口氏はJAXAで宇宙飛行士の採用に携わっている方だ。ページをめくると日本がどのような人材を求め、どう育てていくかが綴られている。宇宙飛行士といえば若田光一さんのISS滞在が記憶に新しい。一方、山口氏は現在訓練中の油井亀美也宇宙飛行士や大西卓哉宇宙飛行士の採用エピソードも紹介している。
油井氏は元航空自衛官であり、宇宙飛行士への夢を持ち続けていたそうだ。その履歴書を見たとき、山口氏は油井氏が将来、将官になる人に違いないと思ったという。ゆえにJAXAが油井氏を採用するということは、「将来の日本の国防を担う上で重要な人をひとり減らしてしまう」と考えたそうだ。つまり、それだけ採用には責任を伴うと述べている。
本書には興味深い記述がたくさんあったのでいくつかご紹介したい。まず「恐怖と不安の違い」について。山口氏によれば、恐怖とは「原因となる脅威が明確」であるのに対し、不安は「原因が曖昧で漠然」としているそうだ。恐怖も不安も宇宙飛行士のパフォーマンスを奪うがゆえに、「脅威」をシナリオ化し、訓練していくのだそうだ。少し次元は異なるが、通訳の事前準備も、想定されるあらゆる用語や知識をあらかじめインプットすることが求められる。そうすることで通訳作業に伴う「未知への不安」という恐怖を最小限に抑えるのである。
他にも褒めることの大切さや褒めるタイミング、注意の仕方、リーダーとフォロワーの違い、常にリスクを念頭に置くこと、指導教官の心構えなども綴られている。宇宙飛行士を目指す人はもちろん、部下を指導する社会人や教員なども本書からたくさんのヒントを得られると思う。
中でも心に残ったのは「人が仕事でミスをする時」に関する一文である。山口氏いわく、私たちは不必要な情報が過剰に与えられたときほど、ミスをしやすいのだそうだ。情報過多な今の時代、選択肢が多すぎれば迷いが増えてしまう。あえて選ぶべきチョイスを少なくすること、そして選択肢を厳選するという行為もこれからの時代は求められるのであろう。
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