第181回 「つもり」の落とし穴
海外の小中学校を経て日本に帰国した私にとって、ひとつ大きな違いを感じたことがあります。それは「ノートのとり方」でした。
イギリスでは字の美しさはさほど問われず、むしろ中身で評価されました。きちんと論理的に展開してあるか、本人が理解をしているか、独自性があるかなどが基準となったのです。奇抜な意見であっても、それを支えるだけの理由が述べられていれば「A+」の評価が下されました。逆にありきたりの文章ではグレードが低かったのです。
このようなことから、クラスメートの多くが「美しいノート作り」よりも「独自性」を目指して勉強に励んでいました。一方私の場合、転入当時は英語力がまったくありませんでしたので、せめて板書をきれいにノートに写すぐらいしかできることがありません。級友が「きれいに書いてるね」とたま~に言ってくれることもありましたが、大抵の場合はそもそも気づいてもらえないという具合だったのです。
通訳者になってからは「いかに素早くメモを取るか」を重視してきましたので、きれいさからはさらに縁遠くなっています。とは言え、日本は書道の文化があるからなのか、やはり美しく書かれた文字というのはその人の性格や気品を反映させるという考えがありますよね。書店でも「美しいペン字」といった本が並びますし、子どもたちが購読する小学生新聞などにも「ノートの取り方特集」が掲載されています。
美しいノートを作成し、それを何度も見直し、知識を頭に入れるというサイクルができれば、ノートのきれいさというのは私たちの学びに多大な効果を発揮します。けれども「ノートを美しくとった」ということ「だけ」で完結してしまうと、知識の定着には届かないように私は思うのです。
以前このような光景を見たことがあります。それは高校生向けの授業だったのですが、教員がパワーポイントをフルに使ったものでした。板書の手間が省けますので、パワーポイントは時間の節約になりますよね。重要項目も色や文字に変化をつけてありますので、実に見やすい画面になっています。
授業では、生徒たちが黒板に映し出されたその画面をひたすら自分のノートに写していました。画面の切り替えがテンポよく進んでいることもあり、生徒たちも必死に手を動かして書いています。居眠りする子は一人もいません。緊張感の漂う、密度の濃い1時間でした。
けれどもここで一つ気をつけなければいけないことがあります。それは教員と生徒が、この形式の授業でお互いに本当に中身を吸収できていたのか、という点です。生徒たちがひたすらノートをとる姿というのは、教師にとって「ヤル気に満ちたクラス」に映ります。一方、生徒たちも必死にノートをとることで、「今日も寝ずに緊張感を持って授業を受けられた」と感じます。実はここが落とし穴だと思うのですね。
教員側がパワーポイントを作成するには、授業外で多大な時間を要します。いわば「力作」を生徒たちが書き写してくれればうれしくなりますし、教師のさらなるモチベーションにつながります。しかし、生徒の理解度を把握したり、授業内で「間(ま)」をとることであえて考えさせる数秒間を与えたりというのも、教育においては大事だと私は思うのです。
生徒の方も、先生の脱線話から思いがけないひらめきを得られるでしょうし、あちこちに考えを巡らせることで、様々な領域に渡る学びを得ることができます。真の学びというのは「ノートをとったイコール勉強した」だけではないのです。
教えた「つもり」になってもいけませんし、学んだ「つもり」に留まっても先へは進めません。意識が覚醒した状態で作業を進めている分、こうした「つもり」というのは案外気づきにくいものです。「つもり」の落とし穴にはまらないことも、物事を吸収する上では大切だと私は考えています。
(2014年9月22日)
「華麗なる女の生き方 美と魂を求めて」廣田奈穂美著、春秋社、2014年
一冊の本とどう巡り合うか。これは運やタイミングが大いにあると思う。今回ご紹介する書籍はそんな偶然が積み重なって手に入れたものだ。
たまたま文具を買った書店で、これまた偶然カウンターの下に目が行き、平積みされていたPR誌を手にした。そのあとカフェで一服しながらこの冊子をパラパラとめくっていたところ、小さな字で書かれた「編集後記」を見つけた。その中で紹介されていたのが本書だったのである。編集後記には股関節脱臼のことが書かれていたのだが、私自身、関節のリハビリを現在続けていることもあって、おそらくアンテナに引っかかったのであろう。
その小文には、著者の廣田氏が病を乗り越え、地元群馬でネイル事業を興し、成功を収めていると紹介されていた。本からの一節である「女は外面の美しさが魂の美しさを高める」も引用されている。先日読んだ松浦弥太郎氏の文章にも「美しさ」「手入れ」といったキーワードがあった。男性女性を問わず、「美」というのは私たちが生きていく上で大事な要素なのではと思っていたところだったのだ。
本書には、生まれつき先天性股関節脱臼に見舞われながらも手術を経て病を乗り越えていった廣田氏の半生が綴られている。今でこそパワフルに活躍する氏だが、落ち込んだり悩んだりといったことも包み隠さず記している。高校卒業時には通訳者をめざしていたというエピソードも嬉しかった。
「とにかく悩まない環境に自分の身を置く」
「あれこれ考えてしまう時間を作らない」
「私にとって、他人を非難することは、時間の無駄であった」
このように語る廣田氏の文章から、私はたくさんの元気をもらうことができた。「前に進みたい」と考えるすべての人にお勧めしたい一冊。
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