第180回 加工食品と加工教材
通訳の仕事をする上で必要なことは色々とあります。まずは何と言っても語学力。A言語をB言語に変換するためには、両方のことばを同じぐらいのレベルにまで引き上げ、瞬時に訳出できることが求められます。
特に同時通訳の場合、迷っている時間はありません。どうしても訳語が思いつかなければ、概念としてなるべく近いものを選び抜き、それをことばにしなければならないのです。多大な集中力と、語彙不足をカバーできるだけの知識力が求められます。たとえ言語能力が追い付かなくても、幅広い知識や一般常識を携えていれば、何とか対応できると私は思っています。
語学力、知識力に加えて必要なのが度胸です。たとえ自分がその分野の専門家でなくても、通訳者は現場においてプロとしての姿勢が求められます。本番までひたすら予習をし、広く深く専門分野の内容を頭に叩き込み、語彙リストを作成します。まさに仕事の度に徹底的な受験勉強をしているような感じです。
もう一つ、私が大切に思っているのが「体力」です。スタミナというのはどのような仕事でも求められますが、特にフリーランス通訳者の場合、病気で仕事をキャンセルしてしまえば、多くの方に迷惑をかけてしまいます。日ごろから体調管理を万全にし、病気にならない体を維持していくことも私は重視しています。そのようなことから、自分が摂取する食事に気を配ったり、運動をしたりということも私にとっては仕事の一部です。
先日、「カロリーゼロって本当はどういうこと?」(郡司和夫著、2013年、三才ブックス)という本を読みました。最近はトクホの食品やカロリーゼロなどがずいぶん増えてきましたよね。私たちの健康を維持する上で、こうしたものを取り入れることはどのような意味を持つのか、どれぐらい大切なのかということを知りたくて読んでみたのでした。
読み進めるにつれて色々な発見がありました。そして結論として私が抱いたこと。それは「生の素材」こそ一番安全であり、添加物などはできる限り入っていないものがベストというものでした。
日本の安全基準は世界の中でも厳しいものですので、トクホやゼロカロリーなどもよく考えて取り入れればダイエットや健康増進に役立ちます。けれどもそれら「だけ」を摂取していることは、運動をさぼったり暴飲暴食をしたりといったことへの言い訳にはなりません。要はバランスを考えることが大事なのですね。
さて、「加工食品」のことをあれこれ考えていたとき、ふと英語教材のことが思い浮かびました。書店に行くと色々な英語教材が売られていますよね。CD音声や解説、和訳などがついているテキストです。これらを仮に「加工教材」と呼ぶことにしましょう。一方「生素材」とは、英字新聞や英語ニュースなどを指します。英語学習者のためではなく、広く一般向けに発信されているものです。
「加工食品」と「加工教材」には共通点があります。それは消費者にとって「摂取しやすい」ことです。たとえば冷凍食品を見てみましょう。すでに手が加えてありますので、あとは温めればすぐに食べられます。加工教材も同様で、特にこちらが努力しなくても、すぐに学習に取りかかることができます。
一方、食べ物の「生の素材」というのは、下ごしらえが必要です。野菜や果物など、そのまま味わえるものもありますが、乾燥豆や生肉などは、調理をしなければ食べられません。英語の生素材も同様で、もし生素材を「学習用教材」にするのであれば、学習者側が色々と準備していかなければならないのです。加工教材のように単語リストや文法解説がない分、学習者が辞書や文法書を開いて調べる必要があります。要は生食材も生教材も、私たちの方で手間をかけなければならないのですよね。
どうしても時間がないときに加工版は大いに助かります。けれどもその一方で、ゼロから生の素材を調理していくことは、プロセスそのものがゴールに向けた必須ステップとなります。時間と手間はかかるものの、やり遂げたという達成感は大きいのです。心を込め、手をかけて作った一品がおいしく感じられるのと同様、自分ならではの形で教材を「調理」していくことも多くの喜びをもたらしてくれます。
料理でも英語学習でも、時間と体力を考えて加工版を利用しつつ、生の素材も大切にしていきたいと思っています。
(2014年9月15日)
「どん底から生まれた宅急便」都築幹彦著、日本経済新聞出版社、2013年
イギリスで仕事をするため、スーツケース一つで渡ったのは1998年。その後4年間、放送通訳者として番組に携わった。帰国を決めたのは2002年のこと。家族も増え、本や身の回りのものも増えた。本帰国の際、迷わず選んだのが日本の引っ越し業者であった。
連絡をすると事前に段ボールも提供してもらうことができ、搬出当日もきちんと時間通りに来てくれた。さらに嬉しかったのが、日本人と現地スタッフの合計3名で来宅した際、玄関口できちんと靴を脱いでくれたことである。室内でも靴を履くという現地の習慣が当たり前の中で暮らしていたので、日本の良さをそこで見られたのが懐かしく、「そうか、これから私は『靴を脱ぐ』という日本に帰国できるのだ」としみじみ思った。
さて、今回ご紹介する本はヤマト運輸に関する一冊である。宅急便が生まれるまでのエピソード、さらに今のようなオールラウンドなサービスを提供するまでの苦労話など、ヤマトの成長と共に歩んだ著者ならではの視点から書かれている。私は仕事柄、宅配便のお世話になることがとても多いのだが、お客様の立場を常に考えてくれるヤマトには大きな信頼を寄せている。
どのような業種であれ、素晴らしいサービスを提供するためには様々な試行錯誤があり、失敗がある。そこで諦めることなく教訓を次へつなげることでさらなる飛躍につながる。本書を通じて私自身、通訳者として、英語講師としてどうあるべきかを考えさせられた。失敗を恐れず、常に前を向いて果敢に歩み続けたいと思う。
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