INTERPRETATION

第177回 Facebookをやめた理由

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

お盆休み中、Facebookを退会しました。

メンバーになったのは数年前。友達が増えていくのが楽しく、その機能に驚きました。高校や大学の友人、青少年交流の仲間ともつながり、ネット上での「再会」を喜びました。友人の結婚や出産など近況を知ることも、喜びを共有できて嬉しく思いました。

しかし、Facebookに違和感がないわけではありませんでした。一時期、「いいね!」ボタンを押したり、コメントへの返信を書いたりという作業に没頭してしまい、気が付いたら長時間PCとにらめっこしていました。肩こりや目の疲れなどを覚え、疲労が抜けなくなったのです。

私は原稿執筆や授業準備など、コンピュータでの作業がたくさんあります。仕事がはかどるときは一気に進むのですが、いつもそうとは限りません。行き詰まると「気分転換」と称してFacebookを覗くようになりました。そのうちに「そう言えば小学校時代の○○さんってFacebookやっているかしら?」と気になってきます。検索を始めると今度は「音楽家の△△氏のファンページってあるかな?」と思い浮かびます。一つ思いつくたびに調べ、検索し終わらないうちに次のキーワードが頭の中に浮上してはまたキーボードを叩くということを繰り返していました。そしてあっという間に時計の針だけが進んでいたのです。

「これではいけない」と意を決して「お茶断ち」ならぬ「Facebook断ち」をしたこともありました。面倒でも毎回終了時にはログアウトし、再度利用の際にはいちいちパスワードを入れるようにしたのです。この方法は抑止力にはなりましたが、十分ではありませんでした。パスワード入力の手間をかけてでも友人たちの動向を知りたいという欲求が上回ったのです。

私は毎日手帳にその日のやるべきことを書き出しています。それとは別に「家事カレンダー」も作ってあります。掃除、衣替え、自転車拭き、布団干しなどをスケジュールに落とし込んだものです。ダイアリーとカレンダーを毎朝確認し、一つ一つをこなしていくことを自らに課しています。

しかしPCの前で過ごす時間が増えれば、本来のやるべきことが疎かになります。お金を頂くのと引き換えに提供する自分の労働力としての「仕事」はもちろん最優先です。けれども家事をこなす時間がこのところ格段に減っていたのです。その理由となったのが私の場合、Facebookでした。若いころの私の気分転換は読書でしたが、今では本を開くことよりFacebookが優先していたのです。

世の中にはSNSも仕事も家事もきちんとこなす人はたくさんいます。しかし私はそこまでできませんでした。心の中で「他人はどのような日常生活をしているのだろう?」というのぞき見趣味があったことも認めます。自らを律する心が、野次馬根性に負けていたのです。それを十二分に自覚しておきながら、軌道修正するだけの実行力も勇気もありませんでした。それがズルズルと長引くことに、とうとう嫌気がさしてしまったのです。

「やめよう」という気持ちを後押ししたのは、仕事帰りに見たある光景でした。

その日、通訳シフトを終えた私はいつもより遠回りをして駅に向かいました。その道沿いには大きなオフィスビルがあります。日傘をさして歩いていると、ビルの駐車場入口に差し掛かりました。ちょうど車が入ろうとしており、誘導係の女性が私たち歩行者を止めて車を招き入れていました。その係員さんは炎天下の中、帽子に手袋、長袖長ズボンといういでたちでにこやかにキビキビと動いていたのです。歩道で待つ私たち歩行者に丁寧にあいさつし、腕や手先、背筋はピンと伸びていました。

その姿を見て私は我に返ったのです。先ほどまでブースにいた私は、本当に丁寧に仕事をしていたのだろうか?これから自宅に戻り、原稿執筆に全力を傾ける気合はあるのか、と。そう考えた時、私はけじめをつけようと思ったのです。

今の時代、「Facebook経由で仕事が舞い込む」という人もいるでしょう。その可能性を考えると、せっかく築き上げた自分のFacebookワールドを閉じることは惜しいかもしれません。けれども私は目の前の仕事にしっかりと取り組み、目の前の日常を丁寧に生きたいという思いがあります。私への仕事依頼が減ったとすれば、それはFacebookをやめたのが理由ではなく、ひとえに私の能力不足・実力不足です。そうであればなおのこと、私は今この瞬間をさらに「学びのとき」とするべく、邁進しなければいけないのです。

これまで出会ったかけがえのない友人たちとは引き続き別の形で連絡を取り合えればと思います。「今、この瞬間」を大切に丁寧に生き、仕事や家庭、そして社会における「自分の責任」を真摯に果たしたいと思っています。

(2014年8月25日)

【今週の一冊】

“How to Write a Lot: A Practical Guide to Productive Academic Writing” Paul J.Silvia, American Psychological Association, 2007

大学で授業を請け負っているため、何か役に立つ雑誌をと思い立ち、昨年からイギリスで発行されているTimes Higher Education (THE)を購読し始めた。日本でも「世界の大学ランキング」などのニュースで名前が挙がる雑誌だ。イギリスだけでなく世界中の大学事情が本誌には掲載されており、なかなか興味深い。

本書は8月7日号のTHEに紹介されていたもの。書評欄ではなく、労働と余暇、生産性などについて書かれた特集で取り上げられていた。

記事本文によれば、どのような職業であれ、ダラダラと作業をしていても効率は上がらないと出ている。思い切って余暇を取り、メリハリのある生活をする方が、仕事に戻ったときに集中して生産性を上げられるとある。私も同感だ。

さて、本書を執筆したSilvia教授は現役の大学教員。学術論文や専門書の執筆をいかにして行うかがこの本には説明されている。わずか149頁という、いわば新書サイズの一冊だが、分かりやすい英語で書かれており、あっという間に読める。なかなか文章を書く気になれない、モチベーションが抱けないという悩みを抱える人は多いと思うが、そのようなケースへのアドバイスもたくさん盛り込まれている。

中でも印象的だったのが、とにかく執筆時間を一日のスケジュールの中に割りあてて、それを守るという下り。Silvia氏は毎日午前中の数時間を執筆時間に充てており、厳守しているのだそうだ。書く気力がなくても、疲れていても、とにかく書き出す。それをコツコツと続けることが蓄積となり、やがて論文完成に通じると説く。

本書の中で頻繁に出てきたのがbinge writerという言葉。これはbinge drinker(一気飲みをする人)にかけているらしい。「時間ができたら論文を書こう」「土曜日の午前中なら空いているから今は後回しにしよう」という具合に、「時間の大海原」を期待する人を指す。しかしSilvia氏によれば、そのような時間など訪れることはないのだ。ならば細切れの時間を活用するしかない。

学術論文の執筆に限らず、時間そのものに対する概念を変えさせてくれる、読んでいて励まされる一冊であった。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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