INTERPRETATION

第170回 なぜ失速したか~私の場合~

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

「語学学習に必要なものは?」

このような問いを投げかけられたとき、みなさんはどう答えますか?「ヤル気」「継続する意思」といった精神論ではなく、「もの=物」ととらえ、具体的なアイテムを挙げてみてください。

まずはテキストやノート、筆記具、辞書などが思い浮かびますよね。今の時代であれば、インターネット学習やスマートフォンのアプリも主流になってきています。アナログ的な紙版テキストや辞書などを持ち歩かなくても、あるいは、机に向かわなくても、今やいつでもどこでも学ぼうと思えばできるのです。技術の進歩を改めて感じます。

さて、私は数年前からフランス語を独学で取り組んでいます。厳密には通信教材をとっており、週1回、電話で日本人講師のレッスンを受けます。それ以外はCDテキストとプリントをコツコツとこなすというタイプの学習です。

フランス語のABCの読み方から始まり、女性名詞・男性名詞といった基本文法を経て、何とか最終教材のゴールも見えつつあります。学習過程において仏検を受験するなど、小さな目標を少しずつ達成しながら今に至っています。

私が取り組んでいるのは公文式の教材なのですが、公文の場合、中級までのプリントにはCD音声がつきます。しかし、レベルが上がるにつれてCD音声はプリントによりけりになってくるのですね。

現在学んでいるのはボードレールの作品なのですが、CD音声はプリントのごく一部に付いているだけです。このため、CD無しの箇所では自力で辞書の発音記号をひとつひとつ確認しながら読み進めています。あてずっぽうに読むのは何となく私の場合気が引けますので、紙の辞書を丁寧に引くよう心がけています。発音記号や例文、文法説明など辞書に出ていることは目を通すようにしているため、時間がものすごくかかります。しかも私の場合、紙辞書の同一ページにある他の単語に「寄り道」しますので、1枚のプリントを解読するのに30分以上かかることもしばしです。

さて、そのようにしてカタツムリ並の歩みで進めてきたのですが、この1か月は完全に失速していました。仕事や家庭が忙しかったというのも理由の一つではあるのですが、私の学習意欲が突如として萎えてしまったのが大きかったと思います。

そこで、なぜ突然モチベーションが下がったのか、自分なりに考えてみました。

最大の理由は、やはり教材の難易度がグンと上がったことでした。それまで培った単語力では太刀打ちできなかったこと、さらに、ボードレールの作品は非常に抽象的で、日本語訳を読んでも内容が頭に入らなかったことが挙げられます。

さらに大きかったのは、音声の欠如でした。私の場合、音を耳で聞いて確認し、音読やシャドーイングを何度も繰り返すことがとても楽しいのです。また、CD音声があれば「音の確認作業」に費やす時間を減らせますので、その分、単語や文法の確認をじっくりできます。辞書をひたすら引くための時間もありました。一方、CD音声がないと辞書引きまで手が回らなくなってしまいます。それでどんどん失速したのです。

それでも執念(?)のおかげか、インターネットで音声を探し当てることができました。以前はYou Tubeで検索しても見つからなかったのですが、今回はグーグルの検索ウィンドウにBaudelaire audioと入れたところヒットしたのです。あきらめなくて良かったと思います。

音声を見つけた今は再びモチベーションも上がり、辞書引きに時間を費やせるようになっています。今回、自らが語学学習者という立場になることで、なぜ停滞したかを振り返ることができて良かったと思います。こうした自分の経験を、今度は通訳指導の際に役立てられればと考えています。

(2014年7月7日)

【今週の一冊】

「『いのち』を養う食」佐藤初女著、講談社プラスアルファ文庫、2014年

本書は2011年10月に単行本で出た書籍の文庫版である。私が敬愛する佐藤初女先生によるもので、食に関する話題だけではなく、生き方そのものについても色々と考えさせられる内容だった。

初女先生は現在92歳。全国だけでなく海外でも公演を行うなど、幅広い活動を今も続けておられる。拠点となるのは青森県・岩木山の麓で営む「森のイスキア」だ。ここには心に悩みを抱える人たちが各地から訪れ、初女先生の手料理で元気を取り戻していく。先生が心がけているのは、そうした人々の心の内にじっくりと耳を傾けることとおいしい料理を出すこと。あれこれアドバイスをするのでなく、とにかく「寄り添うこと」を心がけておられる。

誰かに心を寄せるというのは簡単でいて一番難しいように私は感じる。悩み事に対して人はつい助言をしたくなるし、自分の体験談を披露したくはならないだろうか。けれども初女先生によれば、誰もが「答え」をすでに自分の心の中に持っているのだという。心に響く食事を通して人は元気になり、生きる力を取り戻してゆく。

目の前のことを丁寧にする。ひと手間をかける。当たり前のことを今の時代を生きる私たちは「適当に」こなしてはいないだろうか?初女先生の本を読むたびに私は自らを反省する。

本書に出ている「読むレシピ」はどれもシンプルな物ばかり。自らを振り返り、おいしい食事を作る。そうした地道な作業を通じて、今日一日を大切に、丁寧に生きていければと思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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