INTERPRETATION

第161回 学びのモチベーション

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

「英語学習を続けるにはどのようにしたら良いですか?」

勉強法や時間活用に関するセミナーを行うと、このような質問がよく出ます。忙しい日々を送るみなさんにとって、学習時間を捻出するのはかなりの努力を要しますよね。その時の心境や体調も勉強には影響を及ぼしますので、淡々と机に向かって学び続けるというのも、実は大変なことだと思います。

書店に行くと、「○○学習法」「△△攻略術」といったタイトルがビジネス書コーナーに並びます。そうした書籍を開いてみると、とても効果的に思えます。やる気も出てきます。でも、いざ自分で応用してみたにも関わらず、やっぱりなぜか続かない。そんな悩みを抱く方も多いのではないでしょうか。

学びの対象が「好きで好きでたまらない」というのであれば、おそらくその学習者は誰に言われなくても勉強できるはずです。むしろ周囲が「ほどほどにしたら?」と忠告しても続けてしまうと思います。つまり人間というのは、自分の好きなことであれば続けられるわけで、逆に不得手なものであればあるほど、腰が重くなってしまうのですね。

こと英語学習に関しては、「英語が好き。ことばが好き。辞書を引くのが好き。書くのが好き」などという要素が求められるでしょう。そうしたポイントが一つでもあった場合、きっかけさえあれば邁進できると思います。では、苦手意識がある場合どうすればよいのでしょうか?

私は幼少期に海外で暮らしていたのですが、授業の中でも特に嫌いだったのが体育でした。もともと運動神経があったわけでもなく、どちらかと言えば室内でおままごとをして遊ぶ、そんな幼児期を経ていました。一方、イギリスの小学校がめざしていたのはまさに「文武両道」。しかも体育の授業は、先生がいつも”Get a partner.(二人一組になって)”という指示から始まります。準備運動から基礎練習まで、すべてペアで行うものでした。

ただでさえ私は英語ができず、しかもクラス人数は奇数。それに加えて運動音痴だったため、毎回毎回私はあぶれました。一人ポツンと取り残されるあの孤独感と辛さは、今思い出しても胸が痛みます。転入から数年後、下の学年に別の日本人生徒が入ってきたのですが、彼女は英語ができなかったもののスポーツは万能でした。あっという間に友達に囲まれ、校内スポーツ大会でも大人気。本当にうらやましく思いました。

そんな「体育大キライ時代」を過ごした子ども時代でしたので、日本に帰国した中学2年生のとき、一念発起してテニス部に入ろうとしました。ところがいきなりの途中入部で先輩たちも戸惑ったのでしょう。入部希望を伝えたときの3年生の第一声は、「で、本気でやる気があるわけ?」でした。

日本の中学が「先輩・後輩関係の厳しい世界」であることは聞いていました。一方の私はと言えば、「上下に関係なく平等に話す」というイギリスの価値観が染みついていたのです。女子先輩の一声に震え上がってしまい、そそくさと退散してしまいました。そして中学卒業まで「体育イヤイヤ状態」が続きます。

高校に入学したとき、今こそ再出発の機会だと思いました。そこで私は体力がないにも関わらず、バドミントン部に入ったのです。運動神経が悪い私の場合、バレーボールやバスケットボールではチームに迷惑がかかります。せめて個人競技であれば何とかなるのではないかというのが入部動機でした。

幸い優しい先輩方を始め、同級生や下級生に恵まれ、引退まで続けることができました。試合成績は散々でしたが、自分で自分の気持ちを大転換させられたというのは大きな一歩になりました。

学びのモチベーションというのは、人それぞれであって良いと思います。悔しさからくることもあれば、「大好き」という熱い思いで生じることもあるでしょう。大事なのは、外部から強制されるのではなく、あくまでも自分でとことん考え、自分で行動をとることだと思うのです。

通訳者デビューをしてから、この仕事に必要なのは語学力、知識力、度胸、そして体力であると痛感します。今の私にとってはスポーツクラブでトレーニングをするのも本当に楽しいひとときです。高校1年生の時に体を動かす楽しさに気付くことができたのは、私にとって大きな財産となっています。

(2014年4月28日)

【今週の一冊】

「松浦弥太郎の仕事術」松浦弥太郎著、朝日文庫、2012年

ヘアサロンでファッション誌を読んでいたときのこと。そこには「暮しの手帖」編集長の松浦弥太郎氏が寄稿していた。私は前から松浦氏の文章が好きで、ときどき読んでいたのだが、今回そのコラムで目にした一文がとても衝撃的だった。「自分は人が思うほど本は読まず、ネットもやらず、人とも会わない」という主旨を氏が述べていたからである。

COW BOOKSという書店を経営し、しかも雑誌の編集長、さらに本も多数著している松浦氏である。プライベートでも大量の本を読み、人と会い、インターネットからの情報を仕入れているという印象が私にはあった。しかしご本人はむしろその逆を心がけているというのだ。

なぜか?その理由について松浦氏は、自分の心の幸せのために余裕を残す、逃げ道を作っておくためだと言う。まずは自分の気持ちが落ち着いていることこそ、幸せなのだという信念を抱く。

確かに今の時代、何もしなくても私たちの元には大量の情報やモノが入ってきてしまう。自分では価値観をしっかりと持ち、そうした状況に対処しているつもりでも、知らず知らずのうちに圧倒され、疲れ切っている自分がいる。私自身、仕事に必要だからと書店ではいわゆる「大人買い」をして、駅のラックからはフリーペーパーをわんさと手に入れる。それはそれで楽しい。だけど、常に追い立てられている感は否めない。

もし読者の中でそのような気持ちを味わっているならば、ぜひ今回ご紹介する本を手に取ってほしい。松浦氏のひとことひとことには、氏のやさしさが滲み出ている。自分を追い込まない。自分らしさを取り戻す。人と違うことを恐れない。実は生きる上で大事なことが書かれているからだ。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

END