第157回 不自由さ
先日の日経新聞夕刊に「『朝ドラ』の魔力」という記事がありました(2014年3月4日木曜日夕刊)。執筆したのは中央大学の宇佐美毅教授です。宇佐美先生 は大学で「ドラマ学」の授業もなさっているそうです。
記事はNHKの連続テレビドラマ「あまちゃん」や「ごちそうさん」を取り上げていました。なぜそれらが私たちを魅了しているかが綴られています。まとめると以下の論点がありました。
ひとつ目は、情報の入手方法です。今の時代、情報というのはいつでもどこでも手に入るものであり、わざわざテレビの放映時間に合わせて観るということは時代遅れとの声があります。しかし、宇佐美先生によれば、むしろそうした縛りがある方が生活リズムを作ってくれるというのです。
あえて不自由さが私たちの生活パターンを作り出し、それが私たちにとって不可欠なものとなる。だからこそ、「あまちゃん」終了後に「あまロス」という現象も起きたのだと綴っています。
2点目は、ドラマ上で同じ人に会う意義です。毎日そのドラマを見続けることで、私たちは登場人物となじんでいきます。「同じ人」に会うことは、すなわち職場や学校で上司や教師と顔を合わせることと似ており、それが私たちに「さあ、これから仕事だ」「今日も授業を頑張ろう」という思いを抱かせるのでしょう。宇佐美教授はそのことを「気持ちが整えられる」と表現しています。
私が英語を真剣に学び始めたころはまだインターネットもなく、頼れるのはAFNのラジオ放送かNHKの英語講座でした。英語関連の新聞や雑誌にも限りがありました。一番真剣に取り組んだのはNHKラジオ「英語会話」。講師を務めたのは早稲田大学の東後勝明先生です。
そのころはカセットテープ全盛期の時代でしたが、私はあえて録音せず、放送時間にラジオの前で聞くことを選びました。聞き逃せないという状況に自分を追い込んだ方が真剣にレッスンに臨めたからです。
番組は非常に充実しており、文章も高度でした。リスナーが繰り返し練習する機会も多く、東後先生や番組内の二人の外国人講師の後について一生懸命声を出したことを思い出します。今にして思うと、とにかく英語を口にしたいという思いから、番組内に出てくる先生同士の会話など、英語の部分はすべて後についてシャドーイングもしていました。
当時の英語学習といえば、教材数も少なく、話す機会もほとんどなく、街中を歩く外国人も多くない時代でした。そうした不自由さが却って私の心に火をつけたのだと思います。ラジオ講座が私の中に生活リズムを作り出し、毎日同じ先生のお声を聞くことが私の気持ちを整えてくれたのだと思います。
何もかもが便利になった今、もしかしたら今後人々が欲するのは、そうした「不自由さ」によるモチベーションなのかもしれません。
(2014年3月24日)
「帝国ホテルの不思議」村松友視著、日本経済新聞出版社、2010年
本との出会いというのは偶然の積み重ねである。今回ご紹介するのは、そんな一冊。そのめぐりあわせの末に手にした本書は、私に大きな示唆を与えてくれた。本好きにとってこれほど嬉しいことはない。
きっかけはひょんなことだった。日経新聞の1面下段には雑誌の広告がある。そこに出ていたある定期刊行物に惹かれ、早朝の放送通訳シフトを終えた私はテレビ局を後に歩き始めた。しかし朝早くから営業している書店は少ない。どうしよう?そうだ、ホテルであれば売店があり、そこに置いてあるかもしれない。そう考えた。
元々歩くのは好きなので、赤坂から霞が関を経て日比谷公園を横切ると帝国ホテルが見えてきた。折しもロビーではフランク・ロイド・ライトのパネル展が行われていた。ライトは帝国ホテルを設計したアメリカの建築家。ホテルの新館がお披露目した日に関東大震災が起きたのだが、ライト設計の建物は難を逃れたという。
昔の書簡や写真など、ライトの建築に魅了されていた私にとって、このパネル展は偶然とはいえ、幸せな出会いだった。そしてロビーを横切ると、次に目に入ったのがホテルショップ。何とはなしに入り、奥へ進むと、落ち着いたオレンジ色が私の気を引いた。それが今週の一冊である。
著者の村松友視氏は小説家として有名だが、本書はそんな村松氏ならではの視点から、帝国ホテルで働く多様な職種のスタッフへのインタビューが掲載されている。フロントやレストランのスタッフなどは私たちも接点があるが、宴会場でお披露目される氷彫刻を作る職人さんや、機材管理の方など、表からは目立たない方たちがいる。そうした縁の下の力持ちがあってこそのホテルなのだ。
ドアマンであれ電話交換手であれルームサービス担当者であれ、必要なのは瞬時の判断と行動力である。仕事で求められる勉強法なども通訳の仕事に通じるところがあり、実に参考になった。
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