INTERPRETATION

第674回 満タン志向

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

断捨離を提唱しているやましたひでこさん。BS朝日の番組では、SOSを発した一般市民のお宅を訪問。断捨離のお手伝いをする様子がドキュメンタリータッチで描かれています。番組の中でやましたさんがよくおっしゃるのが、「満タン志向」ということばです。

たとえば台所で出る生ごみ。やましたさんご自身は自宅キッチンに三角コーナーを置かないそうです。調理中に出るごみは、小さなポリ袋に都度入れて口を縛って捨てているとのこと。そうすればニオイも出ないのですよね。なのに私たちはついつい満タン志向になってしまい、「生ごみも袋がいっぱいになって初めてビニールを閉じて捨てている」と解説していました。

一方、先日聴いた落語家・春風亭昇太さんのラジオ番組で、昇太さんは「大きいゴミ袋がいっぱいになって初めてゴミ収集所に出しに行く」と述べていました。パートナーの乾貴美子さんが、「そのままゴミごと家に置いておくんですか!?」と尋ねると、答えはYES。乾さん同様、私も「たとえ大ゴミ袋がスカスカでもすぐに捨てたいタイプ」です。なるほど~、満タン志向の方は結構おられるのですね。

ではゴミ以外の分野で私自身、満タン志向はあるのかしらと考えてみたところ、ありました!

まずはノート。

私はカレンダー型手帳の他に、「日記帳兼備忘録兼仕事ノート」を使っています。B5サイズのリング型ノート。スターバックスで不定期に売り出されるキャンパスノートです。かつて私は罫線が書かれたB5ノート愛用者でした。でもスタバノートは方眼紙なので、自由に書きやすいのが気に入っています。こちらに時系列順でとにかく何でも書いています。

昔は読書ノート、通訳ノート、ネタノートなどに分けてノートを用意していました。でも、元外交官・佐藤優さんの本に「時系列ノートの方が記憶をたどりやすい」とあり試したところ、激しく同感!以来、日付順に書くようになりました。

ただ、このノートで私はついつい「満タン志向」になってしまうのですよね。

いえ、別に「通常のキャンパスノートよりスタバロゴ入りの分、値段が張るからちまちま使いたい」というわけではありません。でも、ことノートに関しては空欄があり過ぎると落ち着かないのです。よって、なるべく隙間を生み出さないような書き方になっています。

もう一つの「満タン志向」は、通訳業務の単語リスト。

かつては手書きで単語リストを作っていましたが、最近はもっぱらエクセル。何しろ並べ替えもできて「英日」も「日英」もクリック一つであっという間に表示を変えられます。その利便性で今はエクセルとなっているのですね。

で、どこが満タン志向かと言いますと、「知っている単語も書き出さないと落ち着かない→膨大な量になる」という部分です。たとえば過日のアメリカ大統領就任式同通の場合。私の中ではthe Republican Partyやinaugurationもなじみの単語です。でも、本番中の度忘れが怖くて、あえてリストに入れていました。ですので、既知の単語もたくさん盛り込まれたため、完成した単語数も莫大な量になったのです。これぞ単語における私の「満タン志向」ということになります。

そう考えると、「満タン志向」もケースバイケースなのでしょうね。あ、本稿は私のPCワードファイルでA4フォーマット上での執筆なのですが、「本文」と「今週の1冊」合わせてA4で2.5枚分に収まるよう意識しています。

・・・でも「満タン志向」ゆえか、大幅にオーバーすることも。今の時代、視覚的に「大きな段落」は画面上だと読みづらいだろうなあ~と思いつつ、つい書いてしまいます。悪しからず、です。

(2025年3月18日)

【今週の一冊】

Version 1.0.0

「同時通訳おもしろ話」西山千、松本道弘著、講談社+α新書、2004年

過日おこなわれたトランプ大統領とゼレンスキー大統領の会談。新聞の多くは「決裂」と表示していましたが、TBSラジオ「荻上チキ セッション」では、「物別れに終わりました」と述べていました。「決裂」の方がショック度が大きいと個人的に感じます。やまとことばの方が穏やかな印象です。

この米ウ会談。終了後に多くの人が「通訳者を入れていたら良かったのに」と述べています。たとえ非英語話者自身の英語が堪能であったとしても、外交舞台においては相手の発言を解釈する時間をとる方が良いからです。今回も間に通訳者というワンクッションが置かれていたら、双方が頭を冷やせる時間もあったことでしょう。

そこで思い出したのが、同時通訳者の故・西山千先生です。先生はライシャワー駐日米国大使の専属通訳者でした。ライシャワー氏自身は日本で生まれ育っており、完璧なバイリンガル。でも、政府間交渉では必ず英語を話し、そのことばを西山先生が訳しておられたのでした。

本書は西山先生の米国大使館通訳時代の弟子であられる松本道弘先生との対談集です。松本先生は日本生まれの日本育ちで海外経験ゼロの中、同時通訳やNHK語学番組の講師などで活躍されました。私は20代のころ、松本先生の私塾「弘道館」でお世話になったことがあります。とある授業日には偶然にも西山先生がゲストで登壇されました。その日のエピソードはこちらに書いています:

https://jaits.jpn.org/home/kaishi2007/pdf/21-03%20Shibahara_YS.pdf

さて、本書はその西山・松本両氏による師弟対談。西山先生のアポロ月面着陸エピソードや文化論など、話題は多岐にわたります。二人の同時通訳者がとらえた「ことば」への熱い思いが伝わってきます。通訳者をめざす方にはぜひ読んでいただきたい内容です。

最後に、新しいことばや表現について松本先生は、

「だれかがそれを使ってしまって権威となったら、もうそのまま通っちゃいますよね」(p43)

と述べておられます。ことばは生き物ゆえ変化するとは言うものの、生成AIが新たな表現を作り上げれば、きっと私たち人間も生成AIという「権威」の元でことばを変えていくのではないか。

そんな思いを私は抱いています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者、獨協大学および通訳スクール講師。上智大学卒業。ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2024年米大統領選では大統領討論会、トランプ氏勝利宣言、ハリス氏敗北宣言、トランプ大統領就任式などの同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラム執筆にも従事。

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