INTERPRETATION

第672回 キャンセル

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日、フリー素材のイラストを探していたときのこと。「風呂キャンセル」なるイラストを発見しました。初めて聞くフレーズです。「スマホを見ながら寝落ちしてしまい、お風呂に入らない様子」を表しているイラストでした。それで「キャンセル」と言うわけですね。なるほど~!さらに調べたところ、この言い回しが誕生したのは昨年春とのこと。お風呂に入るのが面倒になり、入るのをやめてしまう人たちのことを「風呂キャンセル界隈」と言うのだとか。偶然ですが、数か月前に観た林家あづみさんの漫談も、「お風呂に入りたくない!」というネタでした。

「キャンセル」と言えば、数年前にCNNでcancel cultureがよく出てきました。意味は、「社会的に良しとされない言動をとった人物や組織に対して、糾弾したり不買運動したりする」というもの。2024年の米大統領選に向けてコメンテーターがよく口にしていました。一方、私がcancelと聞いて思い出すのはイギリス在住時代。電車が頻繁にcancelされていたのですよね。こちらは純粋に「キャンセル・運休」の意味です。たとえば冬の駅ホーム。雨の寒い中待っていると、以下のような自動アナウンスが:

“The train on platform 1 is now cancelled due to heavy rain.”

大雨で運休!?日本では考えられませんが、まあ自然災害であれば仕方ありません。でも、数年暮らしているうちにこの「運休理由」にバリエーションがあることを発見。たとえば「運転手が病気欠勤」「車掌が来社しておらず」「乗務員不足」「葉っぱが線路に落ちた」などなどなど。数えたことはありませんが、10個ぐらいの「もっともらしい言い訳」が。気分で選んでいたのではといぶかしく思った程でした!

とまあ、組織やインフラに対してのフラストレーションを表明することは簡単ですよね。でも、「自分に対してのキャンセル」はどうでしょう?先の「風呂キャンセル」のように、です。自分が本来すぐにすべきことを後回しにしてしまう。これぞ立派な「自分キャンセル」です。たとえば最近の私であれば、以下のような「気になること」がありました:

1 家の中の時計。微妙に針が進んでいるので、正確な時間に合わせねば。
2 窓が汚れている。早く窓ふきをしなければ。
3 そろそろ確定申告の季節。必要書類を集めないと。
4 たまっている大量の録画。早く見なければ。
5 冬で指先が荒れている。爪も伸びてきたし、何とかしないと。

・・・挙げ始めればどんどん出てきます。

あずみ師匠の漫談「お風呂に入りたくない!」で出てくる数々の言い訳同様、上記の「やるべきこと」をやらない言い訳は私も色々と思いつくのですよね。

ではどうする?

これはもう、とにかく「えいっ!」と掛け声をかけて取り組むしかないのです。そこで最近私がトライしているのは、「よしっ!」と声に出して手をパンッと叩き、立ち上がること。「パン!」という音が耳に心地よく、同時に「もう後には引けないゾ」という思いに駆られます。そのようにしていざ取り組み始めてみると、当初思っていたようなハードルは無かったりするのですよね。要は自分の中で勝手にバリアを高く設置していただけなのです。

幸いコラム原稿を書くのは大好きなので、重い腰を上げて取り組むことなく済んでいます。そう考えると、億劫なことを好きになる工夫をするのが大事なのでしょう。試行錯誤は続きます。

(2025年3月4日)

【今週の一冊】

「片付け・部屋づくりから一人時間の過ごし方まで 繊細ミニマリストのゆるっと気持ちいい暮らし」LuLu著、大和出版、2022年

今回の読書も芋づる式。きっかけは「SNSとの付き合い方」について検索していた際に出会った通訳者さんのブログです。明治大学・齋藤孝先生の著作を紹介されていました。齋藤先生はエゴサーチを自分に禁じているとのこと。自らが不機嫌に陥るのを避けるためだそうです:

https://qianchong.hatenablog.com/entry/2019/09/09/061802

この考え方がとても心に響き、齋藤先生の別の本を早速図書館から借りました:

https://amzn.to/3F59ven

この本を機に繊細な方々についての興味が高まり、別途借りてきたのが本日ご紹介するLuLuさんの一冊です。私自身、片づけや整理整頓が大好きなので、このキーワードとの組み合わせに惹かれました。

LuLuさんは元・客室乗務員。憧れていた仕事に就いたものの、不規則な業務や、つい先回りしてしまい最悪のシナリオを業務中に考えてしまうなどで疲労困憊になり、退職されたのだそうです。けれども、そこからあえて自分自身の性格を分析し、生きやすくするための工夫をされました。そのプロセスが本書には紹介されています。

参考になるヒントが満載で、とりわけ以下が印象的でした:

「(石けんのまとめ買いは確かにお得。でも)『この先、半年近く同じ石けんを使い続けます』という誓約書にサインしているようなもの」(p111)

「本当の友達は、連絡を取らなくなったからといって淘汰されない」(p144)

「(うまくいかないなと思う日であれば)無駄な抵抗はせず、よけいな動きをゼロにして、1秒でも早く1日を終わらせることに尽力」(p178)

慌ただしい情報過多の現代だからこそ、自分の心を見つめる大切さに気付かされました。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者、獨協大学および通訳スクール講師。上智大学卒業。ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2024年米大統領選では大統領討論会、トランプ氏勝利宣言、ハリス氏敗北宣言、トランプ大統領就任式などの同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラム執筆にも従事。

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