INTERPRETATION

第661回 「資料が無いってどーゆーこと?」

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

小学生向けのSNS使用について、とある記事を読んだことがあります。子どもの場合、言葉の使い方が発展途上ですよね。よって、「活字にするとどのような印象を相手に与えるか?」を指導することが大事、という内容でした。たとえば、LINEで「誕生日のプレゼントにぬいぐるみをもらったよ」と書いて写真を送ったとしましょう。それに対する友達の返信は、「なんか、かわいくない」の一言。これを見た送り主は、自分のぬいぐるみを否定されたように感じてしまうかもしれないのです。

対面であれば相手の表情や言葉のトーンで雰囲気がつかめます。上記の「かわいくない」も、もしかしたら「かわいくない?(=かわいいよね)」という意味だったかもしれません。でも、文字だけゆえに読み手にはわかりづらい。これがSNSトラブルへと発展してしまうのです。

さて、本日のタイトル、よーくご覧ください。「資料が無いってどーゆーこと?」とあります。この文章も、解釈が分かれますよね?具体的には、

1 「資料が無いというのは、どのようなことですか?」という疑問文を口語的に述べたもの。話し言葉の発音の場合、「どういう」はそのままdo-u-i-uと発音しません。doh-yuhとなります。それを書き起こしたのが「どーゆー」です。

2 その一方、文字で「どーゆーこと?」と書くと、「一体全体、どういうわけ?何か文句あるの?」といったニュアンスも感じ取れます。口調によっては、非常に強い印象を与えます。

そう考えると、このタイトルも二通りの解釈ができる、というわけです。

まあ、確かに通訳者サイドからすれば、「業務前には徹底的に予習をしたい」「原稿や資料などは事前に入手したい」というのが切なる願いです。けれども、諸般の事情でそれが叶わず、いざ当日に。本番が始まり、上階の通訳ブースから階下の会議場を見降ろすと、何と、登壇者たちはみな、資料を手にしている。そして本番では猛スピードで読み上げ!

このような時など、確かに上記「2」のような気持ちにならなくもありません(涙)。

通訳者あるあるの光景です。

では、通訳という仕事になじみのない方に、「資料が無い状態」を説明するとしたら?私ならこう伝えます:

シナリオ1: プロのピアノ演奏家に対し、公演日と会場、共演オーケストラと指揮者名だけは伝達。ただし、曲目は知らせず。当日、ピアニストが舞台袖からステージに上がり、ピアノの前に座った直後、オケが協奏曲を奏で始める。ピアニストは暗譜状態でそれに合わせて正しいメロディを演奏せねばならない。もちろん、観客は完璧な演奏を求めている。

シナリオ2: テニスのダブルス試合。日時と会場だけ知らされるも、対戦相手が誰かは当日、コートに上がるまで不明。試合開始直前、コートに立って初めて、お互いに相手ペアを知ることに。共に戦術も立てられぬまま、試合で勝つことが求められる。

ざっとこのような感じです。通訳になぞらえるなら、シナリオ1は通訳者一人の場合。シナリオ2は2人一組の同時通訳体制です。

以上、「資料が無いってどーゆーこと?」とは、「こーゆーこと」でございます(笑)。どうか通訳者をご依頼のみなさま、何卒なにとぞ、資料を事前に共有してくださいますよう。

(2024年12月10日)

【今週の一冊】

「小林克也 英語がひらいた道」小林克也著、高橋基治解説、玄光社、2024年

昭和世代の私にとって小林克也さんと言えば、「ザ・DJ」という印象です。とにかく流暢な英語で世界の大物アーティストにインタビューを実施。「ベストヒットUSA」という洋学番組を長年率いたレジェンド的存在なのです。まだ海外が遠い時代だったころ、私たちにポップスやロックを紹介し、世界へのあこがれを築いてくださったのですね。

そんな小林さんも御年83歳。でも埼玉のFM NACK 5では毎週金曜日にFUNKY FRIDAYを担当。この番組、何と午前9時から18時近くまでの生放送なのです。小林さんのスタミナには脱帽するばかりです。

さて、今回ご紹介する一冊は、そんな小林さんのこれまでの歩みが凝縮されたもの。生い立ちから仕事、英語に関する情熱に至るまでぎっしり詰まっています。英語教育専門家である高橋基治・東洋英和女学院大学教授の解説も読みごたえ大。小林さんがおこなってきた英語学習法を読むと、やはり地道な練習がとにかく大事であることがわかります。

小林さんは慶応大学在学中に通訳ガイド試験を突破。若い頃にはアルバイトで通訳の経験もしました。そこで通訳者の苦労も実感したそうです。一方、CNNについての記述もありました:

「CNNなんか見ていると、午前7時から同時通訳の放送をやっているんですよ。(中略)よく聴いていると、優秀な人でも7割か8割しか伝えきれていないんじゃないかな。拾い切れていない部分が結構ある」(p92)

あ~~~、これは私から反論を!「拾い切れていない」のではないのです。「あえて落としている」のです。と言うのも、英語をすべて日本語に訳すと、日本語のボリュームが1.5倍ほどに増量。ニュースの場合、画面と和訳が合致していることが必要であり、CM突入時に日本語がずれ込むことは許されません。ゆえに「わざと」7割ぐらいに抑えているのです。

現場からは以上です(笑)。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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