INTERPRETATION

第153回 あえて不便さと手間を味わう

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

仕事柄、新しい英語表現に出会うとワクワクします。「わ!これって聞いたことない!どういう意味だろう?」「この熟語ってそのままでは想像がつかない。どんな文脈で使われるのかな?」そう考えるだけで楽しくなってきます。通訳という職業では、常に未知の単語やフレーズに遭遇しますので、「え?わからない!訳せない!どうしよう?」とパニックになってしまっては身が持ちません。よって、「分からないからこそ楽しい」と発想転換することで、ストレスをためないようにしています。

さて、私は車で出かける際、AMラジオでAFNを流しています。AFNとはAmerican Forces Networkの略称で、米軍向けのラジオやテレビ放送のことです。AMではそのラジオが聴けるのですが、NPR(アメリカの公共放送)やニュース、音楽、特集番組など幅広く楽しむことができます。

今の時代、「知りたい」と思ったことは本当に素早く調べることができますよね。スマートフォンの登場のおかげで、いつでもどこでも知識を仕入れられるようになりました。しかし私は何かを学ぶ際「手間をかければかけるほど、強烈に記憶に残る」とも考えます。ですので、あえて「手間」を大切にするようにしています。

たとえば先日、車を運転していたときのこと。AFNで軍関係者向けの公共広告が流れていました。女性兵士二人が話しています。一人が「一緒に山登りに行こうよ」と言うと、相手が「いや、先日ケガをしちゃって、I’m on profileなのよ」と答えていたのですね。全体像で考えると、どうやら「ケガをした。だから今は正規の活動ができない」と想像できます。そのようなことを考えながら運転を続けました。

理想としては未知の表現を即座に調べて意味を把握することですが、ハンドルを握っていますので、すぐに辞書を引くことはできません。しかもその日は電子辞書も持ち合わせておらず、私はスマートフォンを所有しないので、アプリに頼ることもできません。そこでどうしたかと言うと、I’m on profileという言葉を何度か声に出してつぶやくのですね。さらに記憶に残すため、左手にはめている腕時計を右腕に付け替えます。腕時計をはめかえることで違和感が生じますので、それが私にとっては「あとでメモする」「調べる」といったリマインドになります。

こうして運転を続けていると、「早く赤信号になってほしい」と思います。日ごろは青信号でスイスイ走りたいところですが、メモは信号で車が止まったときにしかできません。赤信号までは右腕につけかえた時計が頼りです。

そしてようやく念願の赤信号になると、助手席に置いたカバンから手帳を取り出し、空いているページにそのフレーズを走り書きします。あとで調べるためにチェックボックスもつけて「I’m on profile」と書き込みます。ここまでおこなったらば、右腕の腕時計も左腕に戻して一安心です。

このようにして記録をしたら、あとは帰宅後に調べるのみとなります。声に出し、メモもしたので、家に戻るころまでには「早く意味を知りたい!」という思いが募っています。

自宅に戻り、先の手帳を広げたら、次は紙の辞書の出番です。はやる気持ちをおさえてあえて紙の辞典を開くのは、あえて手間をかけるためなのです。ここでprofileを引いてみるのですが、学習者向け英和辞典には「プロフィール、素描」といった語義しか出ていません。私が先に想像した意味に近いものが出ていないのですね。そうなると、次はインターネットに頼ることになります。

ネット辞書でI’m on profileを引いてみますが、ここでも今一つしっくり来ません。そこで次は二重引用符を付けてグーグルで検索します。”I’m on profile”と入れ、続けてmilitaryと入力すると、軍事関連のページでこの表現が出てくる確率が高くなります。

そのようにしてどんどん調べたところ、どうやらI’m on profileというフレーズが軍事用語であり、「(けがで)故障中」という意味らしきことが分かってきました。おそらく軍の中ではよく使われるものの、一般的にはさほど広まっていないのかもしれません。ゆえに英和辞典には出ていないのでしょうね。

そんなこんなで、幾つかの段階を経てようやく辿りついた意味は、まさに「手間をかけた結晶」と言えます。それだけに私にとっては嬉しいものとなるのです。あえて不便さと手間を味わうことも、学びにおいては大切だと感じる次第です。

(2014年2月24日)

【今週の一冊】

「世界の路面電車ビジュアル図鑑」杉田紀雄著、北海道新聞社、2013年

「目的地まで早く、しかもお手頃価格まで行ければ最高!」

最近はこのような考えが増えてきていることもあり、格安航空会社はどこも盛況だ。かつては限られた人だけが乗れた飛行機や新幹線も、今では庶民の足となっている。

私はどちらかと言えばかなりアナログの方で、時計もデジタルよりは針がついているものを好むし、辞書や新聞も紙版を愛用する。スマートフォンは何となく必要性を感じていないので所有していないし、たとえ携帯電話を自宅に置き忘れても「ま、いいか」と思ってしまうほどだ。

そうした価値観が影響しているのか、どこかへ出かける際もできる限りスローな手段を選んでしまう。日ごろコンマ数秒で訳語を選ぶという、シビアな時間の世界で仕事をしている分、通訳業務以外の時間帯はのんびりしたいと思うからかもしれない。よって、飛行機より新幹線、特急より在来線、各停よりバス、自転車より徒歩という具合に、時間と状況が許せばそうした選択肢を選んでいる。

さて、今回ご紹介するのは世界中の路面電車を集めた一冊。著者の杉田紀雄氏は北海道の方。私が本書を知ったのは、日経新聞文化欄に杉田氏の文章が載っていたのがきっかけだった。私は幼少期にオランダで暮らしており、アムステルダムは路面電車が盛ん。BBC日本語部で働いていた2000年には地元クロイドンにライトレールが開通した。本書には車体の全容や街中の風景も写っており、実に懐かしい。世界各地を杉田氏自身が歩いて集めたデータは貴重である。

ところで今、ウクライナでは政府と反政府デモ隊の衝突が深刻になっている。本書をめくると、そのウクライナでは多くの都市で路面電車が導入されていることがわかる。抗議行動が最も激しい首都キエフでは、路面電車が1891年に開業したという。あの車体たちは大丈夫だろうか。抗議デモで破壊されたりしていないだろうか。

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボの写真に目をやると、背景に映っている高層ビルが戦争で破壊された状態であることがわかる。日ごろニュースの通訳をしていると、こうした書籍を読む際もなじみの地名が気になる。路面電車が路面電車として、人々の足として、平和に安心して乗れるときがどの国にも訪れることを願ってやまない。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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