INTERPRETATION

第658回 原点を振り返る

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

私が担当している大学の通訳クラスで、毎学期の初めに視聴する動画があります。日産自動車でゴーン元会長の通訳を務めた森本由紀さんのインタビューです:

https://youtu.be/fdMaIErxbG4?si=5q84SZY8j6M8O7XM

7分弱のビデオですが、「通訳という仕事」にかける森本さんの思いを窺い知ることができます。中でも、「話者になりきる」という部分に私も共感しているのですね。

同様に「話し手の気持ちや雰囲気」を大事に通訳なさっているのが、橋本美穂さんです。ピコ太郎やふなっしーの通訳動画を観たことがある方もおられるのではないでしょうか。

私自身、通訳をする際には、話者のイイタイコトはもちろん、話者の雰囲気などを反映させたいと常に思っています。語気、ボディランゲージ、表情、声のトーンやボリューム、眉間にシワを寄せながら話している等々、non-verbalメッセージはとても大事です。過日、民放局で担当する機会を得たアメリカ大統領選のトランプ氏勝利宣言やハリス氏敗北宣言でも、とにかく話者の魂を反映させたい、という思いで通訳するよう心掛けました。

「一体私はいつぐらいから、このような『話者の雰囲気』を意識するようになったのだろう?」

先日、ふと考えてみました。記憶の糸を手繰ってみたところ、小学校5年生の国語の時間を思い出したのです。

当時の私は親の転勤でロンドンに引っ越したばかりでした。現地校に転入するも英語はわからず、日本人生徒は私が学校初。友達もできず、一方の自宅の雰囲気も色々な事情で暗く、八方ふさがりでした。子どもにとって一日の大半を過ごす学校生活というのは、幼いながらも人生のすべてとなります。そこに居場所がまったくないのです。実に堪えました。

その反動があったのでしょう。土曜日に通学していた日本人学校補習校では、自己存在感を確認するのに必死でした。平日の現地校で言葉を発することができなかった分、土曜日はオール日本語ゆえ饒舌になりました。

そうした中、国語の教科書に出ていたシェイクスピアの「リア王」を、クラス全員で演じることになったのです。

平日は身を潜めるように現地校で過ごしていた私は、迷わず「主人公・コーディリア」の役を希望していました。しかし、実際あてがわれたのは意地悪な長女「ゴネリル」の役。この配役が私にはとても悔しかったのです。でも、決まった以上は仕方ありません。そこで発表会に向けて、こう心に決めました:

「ゴネリルは意地悪な人間なのだ。ならば、徹底的になりきってみせる!」

そこからセリフを猛練習したことを覚えています。

生きていく上で「悔しさ」というのは、折に触れて味わうもの。本人の好むと好まざるとに関わらず、そうした状況に人は直面します。けれども私の場合、11歳の時のあの「悔しさ」が、「その人物にとことんなりきること」を教えてくれたのですね。

あの「原点」は決して無駄ではなかったのです。むしろ、通訳者になった今の私には、必要なものだったと感じています。

(2024年11月19日)

【今週の一冊】

「NHKが悩む日本語 放送現場でよくある ことばの疑問」NHK放送文化研究所著、幻冬舎、2023年

放送通訳現場で用語に迷った際、指針となるのがNHKです。NHKでどのように報道しているかが基準となるのですね。用語しかり、表現しかりです。これはBBCで働いていた頃も、現在私が携わっているCNNニュースも同様です。

そこで参考になるのが今回ご紹介する一冊。NHKでさえ現場で悩むことがあり、それを用例と共に説明しています。たとえば「食べ歩き」と「歩き食べ」の違い、「ゴールデンウィーク」と「大型連休」の使い分けなどがその一例です。

中でも印象的だったのが、次の3つ。まずは「パンデミック」のアクセント。カタカナはどこを強く読むのか迷いますよね。その答えが出ています。2点目は、有名な故人への「さん」付けをどうするか。そして3つ目はご年配の方の年齢を「御年(おんとし)〇×歳」と呼ぶことは失礼なのかどうか。

気になる方はぜひ本書を紐解いてみてくださいね。

あ、ちなみに私の素朴な疑問。NHKの話なのに、ナゼ出版社が幻冬舎?NHK出版から発行しても良いのでは、と、つい突っ込んでしまいました!

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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