INTERPRETATION

第656回 焦る!同音異義語

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

第二言語習得論の世界にactive languageおよびpassive languageがあります。簡単に言うと、active languageは「自発的に話したり書いたりできる状態」、一方のpassive languageは「自分から書いたり発話したりするのは難しくても、その単語を聞いたり活字で読んだりすれば意味が分かる状態」のことです。

たとえば英単語のacrimonious。

あまり目にしない単語ですが、意味は「厳しい、辛辣な」という意味です。もし日英通訳で「厳しい」と聞こえてきてすぐにacrimoniousが出てくれば、それはactive language状態です。しかし、「厳しい→severe」までは訳せるもののacrimoniousはすぐに出てこない、ということであれば、acrimoniousという単語は自分にとってpassive language状態なのですよね。

ちなみに私は日ごろ英語ニュースを日本語に同時通訳することがウェイトとして大きいため、英日通訳にはなじみがあります。逆に苦戦するのが「日英通訳」。日本語は理解できてもすぐに英単語が出てこないことがあるからです。対策としては、とにもかくにも勉強するしかありません。

とりわけ苦労するのが「四字熟語」。先日の同時通訳現場で出てきたのは「語先後礼(ごせんごれい)」ということば。ヘッドホン越しに聞こえたそのフレーズに私の頭の中は、

「5005例?Five thousand and five examples???」

と混乱しました。実はこれ、おもてなし用語で「挨拶の言葉を先に述べ、後にお辞儀をする」という意味だったのですね。

日本語の漢字はコンパクトで便利すが、同音異義語が豊富でなかなか手ごわいです。「思考、試行、施行、志向」しかり、「講義、抗議、広義」も同様です。通訳現場に向かう前の準備段階で、しっかりと予習を行い、使い分けられるようにしなければなりません。私は単語リストをエクセルで作っているのですが、たとえ既知の単語でも敢えて列記することがあります。本番中の度忘れを防ぎたいからなのですね。

ちなみに、先日ラジオを聴いていたところ、通販番組が流れていました。紹介されていたのは「おせち」。「まだ秋なのに?」と思うも、考えてみれば年末まであと2カ月ほどです。

その通販ナレーションはこんな感じでした:

「本日ご紹介する○○社のおせち、サンダンジュウには色とりどりの食材が並んでおります。」

運転しながら耳にしたこのことば。私の頭の中は、

「え?散弾銃!!??」

と驚愕しました。・・・そう、正解はもちろん「三段重」です。

「なぜ急に武器名が?」とお思いのみなさま、ハイ、日ごろから私はニュースで銃乱射事件や武器供与や安全保障、紛争などのトピックを訳しております。おそらく脳内変換器が勝手に武器名を想像してしまうのでしょう。

武器名だけはactive languageになった・・・のかもしれません。

(2024年11月5日)

【今週の一冊】

「~『緊張』がパフォーマンスを高める!~音楽家のためのメンタルトレーニング」大木美穂著、ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス、2023年

通訳という仕事は、「着席型アスリート」と私はとらえています。あるいは舞台で演奏する音楽家とも言えるでしょう。本番に備えてひたすら準備とトレーニングを行い、その集大成を当日に披露することになるからです。よって、以前から私はスポーツ選手や芸術家のインタビューや著作などに注目してきました。

今回ご紹介する本の著者・大木美穂さんは、若い頃にシューベルトの歌曲「魔王」に出会い、すっかり魅了されます。そしてドイツで学ぶべく、横浜国立大学在学中に日本政府から奨学金を得て留学を果たしたとのこと。ご本人はピアニストでもあり、演奏家の「緊張」について研究するようになり、ドイツの大学院で博士号を取得されました。

本書は「緊張」をキーワードに、どのようにしたらパフォーマンスを高め、本番でより良い演奏ができるかを説明しています。なぜ人は緊張してしまうのか、その対策として何ができるかが学術的・科学的に考察されているのが特徴です。

中でも印象的だったのは、自分のありのままを肯定し、未来へつなげるエクササイズ。たとえば「私は下手だ」と思っていたとしても、「『私は下手だ』と、『今は』思っている」ととらえます。そして次に「でも、私は上手になって良いのだ」と自分を肯定していくのです。自らの可能性を信じて、次へのステップをとりやすくしていくのですね。

もう一つ、「手で書く効用」も紹介されていました。大木氏はこれを「ジャーナリング」と呼んでいます。自らの思いをひたすらノートに書きつけるという行為は、「書く瞑想」とも言われるそうです。私自身振り返ってみると、ただただ書き続けることでストレスを発散できたことは数知れず。なるほど、瞑想だったのですね。

本書は音楽家に限らず、「緊張」に悩む全ての方にとって必ず参考になります。ぜひともお勧めしたい一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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