INTERPRETATION

第651回 嬉しかったケース

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先週の本稿では、通訳の仕事にまつわる「困ったケース」を綴りました。今週はその逆。「嬉しかったケース」のご紹介です。

1 クライアントさんの通訳リテラシーの高さ
たとえば、「資料をかなり前に送ってくれる」「修正版の箇所も知らせてくれる」「休憩やお水の用意」「延長戦になりそうでも、時間が来たら終了にして下さる」などなど、挙げ始まるときりがありません。要は先週書いた「困ったこと」の「逆」がすべて通訳者にとってはありがたいケースと言えるのですよね。クライアントさんが通訳サービスを使い慣れており、通訳者の体力などを熟知しておられると本当に助かります。

2 スライドが見やすい
最近のプレゼンはスライド有りというケースがほとんど。そのスライドが見やすいとありがたいく思います。私の場合、印刷したり、PC上のタッチペンで書きこんだりしますので、元のスライドがダークモードでない方が助かります。背景が黒だとなかなか厳しいのですよね。

3 打ち合わせ時間がある
当日、たとえ5分でも良いので登壇者と打ち合わせ時間があると実に助かります。その方の話し方を確認するのはもちろんのこと、通訳予習段階で出てきた疑問をそこで確認できるからです。ただ、会場が離れていたり、登壇者がギリギリで到着されたりすると、打ち合わせはほぼ不可。そうなるとbest effortで臨むしかありません。

4 休憩スペースがある
たとえば長時間の同時通訳で複数の通訳者が担当したとします。10分交代であれば、自分が同通しているとき以外は20分休めることになります。頭を使うとお腹がすくので、ちょっとおやつをつまみたいのが正直なところ。でも同じ同通ブース内でガサゴソとおやつのラッピングをとったり、あるいは匂いの出る食べ物を食べたりでは気が引けます。ブースの外にイスなどがあれば助かるなあと思います。

・・・ざっとこのような感じです。

あ、最後にもう一つ。最近よくあるケースとして、登壇者のスライド接続や動画投影がうまくいかず、講演が中断、ということがあります。「では、こちらの動画をご覧ください」と訳すも、なぜか映らないのですね。ご本人や技術担当者であれこれ機材をいじることになるのですが、その間、私たち通訳者も黙ることになります。実はこの「数秒間(長くて数分)の沈黙」は、ほんの束の間の休憩になったりもします。聴衆にしてみれば中断は困りものかもしれませんが、私たちはここで脳・耳・口を休ませることになるのですね。ちょっとだけホッとしたりします。

でも、だからと言って万々歳ではありません。むしろ逆。それまでの緊張状態がふっと抜けてしまうと、一気にギアが下がってしまうのです。その後に「いざ再開」となると、またトップギアに入れるのに難儀します。

何にしてもスリリングな仕事です。

(2024年9月24日)

【今週の一冊】

「ありがとう、フォルカーせんせい」パトリシア・ポラッコ著、香咲弥須子翻訳、岩崎書店、2001年

今回ご紹介するのは絵本。主人公の女の子は絵を描いたり会話をしたりするのは得意なのに、文字を読むことに苦しんでいます。テーマは「学習障害(LD)」で、著者のパトリシア・ポラッコ氏の体験談が元になった作品です。

LDについては近年いろいろな所で取り上げられており、日本でも就学前に早期発見ができるなど、支援体制も整いつつあります。しかし、周囲が理解していないことも少なくありません。

本書では、そのような状況に苦しむ主人公が、学校の先生のおかげで文字を読めるようになったいきさつが描かれています。先生方の工夫や愛情を持って接する様子、そして何よりも主人公のことをひたすら信じて励ます様子に、読者は心を打たれます。

生きていく上で大切なこと。それは「この世でたった一人でも良いから自分を信じてくれる人がいること」なのではないでしょうか?そのような読後感を私は抱きました。教育現場にいる方々や保護者を含め、多くの方に読んで頂きたい一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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