INTERPRETATION

第650回 困ってもあきらめない!

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳業務当日に向けて、ありとあらゆる勉強やリサーチをするのも仕事のうち。アスリート同様、日ごろのトレーニングが本番のパフォーマンスに直結するのですよね。よって、業務の依頼直後から、私たちはその日に向けてテーマ関連本を読んだり、単語リストを作ったり、英日・日英の訓練をおこなったりします。他の仕事と同時進行におこないますので、気分は千手観音です(笑)。

こうしてめいっぱい準備をしてドキドキしながら迎える当日。ここはもう運を天に任せるしかありません。「やるべきことはやった!あとはベストを尽くそう!」そう自ら言い聞かせて会場に入るのです。

とは言え、人生にハプニングはつきもの。そこで「困ったケース」と「実は嬉しかった展開」を2週にわたってお届けします。今週は「困ったケース」から。

1 電車遅延
ここ数年、電車の相互乗り入れが増えたこともあり、どこか一路線で遅れが出ると、それが波及します。現場に遅刻するのはNGなので、私はデビュー当時から「とにかく会場近くに1時間前には着いていること」を原則にしています。60分あれば、不測の事態でも対処できるからです。ちなみにこの「60分ルール」で救われたのが「会場場所の勘違い」!まだ駆け出しのころ、思い込みで会場に着いたところ、まったく違っていたことがあり焦りましたね。幸い60分あったので事なきを得ました。

2 休憩なし
会議がインテンシブになってしまい、気が付いたら休憩が無いまま延々と続くことも。通訳作業は非常に集中力を要するため、どこかで休みが無いと頭がパンクしてしまいます。それがパフォーマンスの劣化にもつながりかねないのです。ほんの5分でも良いので、適宜ブレイクがあると助かります。

3 延長戦
「当初の業務終了予定時間になるも、終わる気配なし」。これは実に戸惑います。間にエージェントさんが入っているのであれば、一旦クライアントさんとエージェントで話し合って頂くのがベストです。通訳の延長料金が発生するからです。

4 原稿その1
当日まで「原稿なし」と言われているも、いざ会場入りしたら大量の原稿がお待ちかね、というケース。実は少なくありません。あるいは、修正版が何度も直前まで差し替えられるケース。サイゼリア顔負けの間違い探しのごとく、どの部分が変わったのか不明なことも。一方、びっしりと書かれたスライドを超早口で読まれ、同時通訳が追い付かないこともありました。Small printの脚注まで言及しておられたことも・・・。

5 原稿その2
原稿に関するトラブル、まだまだあります。たとえば、開会直前に重量級ファイル容量のスライドがあることが判明。Air Dropを試みるも、会場のWiFiゆえか転送不可、という展開に。紙コピーがなかったため、前方スクリーン凝視となりました。一方、原稿があるのに極端に逸れて話される登壇者もいらっしゃいます・・・。

6 BGM
オシャレなカフェなどでBGMが流れているとリラックスできますよね。でも、通訳現場では「話者の話す声」がすべて。もしBGMが流れていると、しっかり聞くことが難しくなります。普段私が携わるCNNの場合、番組によっては冒頭のテーマ音楽が延々と流れ続けることもあり、そうなるとなかなかハードです。内心「早くBGM消して!!」と叫んでいます。

7 ステージへの見通し
私の場合、たとえ通訳ブースが会場の後方であったとしても、出来る限り肉眼で話者本人の姿をとらえたいと考えています。表情や身振り手振りで話す内容を推測するのに役立つからです。随分前、とあるVIPご列席の同時通訳を仰せつかったときのこと。私のいた通訳ブースとステージの間にSPの方が警備に立っておられました。非常に体格の良いSPさんが舞台をまるまる隠すような形になってしまい、私からは演台がまったく見えず。ただ、ここであきらめては通訳パフォーマンスに支障が出てしまうため、椅子から半分立ち上がり、体をそらせた中腰状態で同時通訳しました。幸い、聴衆は誰もブースの方を振り返らずにいてくれたので助かりました(笑)。

以上、今回は「困ったケース」をお届けしました。ただ、どれほど戸惑う状況に遭遇したとしても、あきらめずに立ち向かうのが通訳という仕事。「念ずれば通ず」(?)の精神です。

(2024年9月17日)

【今週の一冊】

「鴻上尚史のますますほがらか人生相談 息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」鴻上尚史著、朝日新聞出版、2021年

今回ご紹介する著者の鴻上尚史さん。40歳近くにしてロンドンへ演劇留学されました。その当時、大変苦労されたことをインタビューで読んだことがあります。私自身、ロンドンで留学中は膨大の課題や、あのどんよりした秋冬の気候に参ったため、とても親近感を抱きましたね。

さて、本書「ほがらか人生相談」はタイトルからして明るいですが、実はここにお悩みを寄せておられる方の具体的な内容はなかなか深刻。親子や友人、職場関係や自らの性格など、誰もが一度は抱くような苦しみやモヤモヤがここでは取り上げられています。

実は私自身、お悩み相談にお世話になったことがあります。幼少期、海外在住時のこと。誰にも言えない気持ちを、当時購読していた小学生新聞の相談コーナーに送ったのです。有識者の思いやり溢れる回答にずいぶん励まされましたね。

今の時代、ネットにも同様の相談コーナーはあります。しかし回答している人は一般のネットユーザー。中には寄り添いの気持ちも見られますが、結構心をえぐるような回答が書かれているケースもあります。よって、悩みを抱いているときこそ、無料のネット掲示板ではなく、プロがいる相談窓口が頼りになると私は思うのです。

鴻上さんの本書は雑誌連載をまとめたもの。鴻上さんの一言一言には思いやりと温かさがあります。すでに2冊出ているとのこと。興味のある方はぜひシリーズで読んでみてくださいね。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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