INTERPRETATION

第646回 集中時間、どれぐらい?

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

私が若い頃に読んだ本で非常に影響を受けた一冊があります。「ニュー・ウーマン」(三笠書房、1987年)というタイトルで、著者はジャーナリストの千葉敦子さん。千葉さんは乳がんにかかるも単身でニューヨークに渡り、闘病しながらフリーのジャーナリストとして生涯を全うされました。たくさんの本を出しておられ、生活の仕方、時間管理、価値観など、その著作から私は多くのことを学んだのでした。

その「ニュー・ウーマン」に千葉さんは、自分が集中できる時間は100分だ、と述べています。理由は、高校時代の100分授業にある、と書いているのですね。

しかし、その後出版された「ニューヨークの24時間」(文春文庫、1990年)で千葉さんは、

「精神集中できる時間は百分ではなく十四時間だ」(p16)

と書いています。当時出たばかりのワープロを千葉さんは日本から友人にNYまで届けてもらい、その後、マニュアルと首っ引きで一通り操作をマスターされたのです。それに費やした時間が14時間でした。

千葉さんは、もし途中で休憩を入れてしまえば、それまで学んだ内容を忘れてしまい、おさらいするのに時間がかかってしまい、習得も14時間では済まなかった、と考えたそうです。

もちろん、誰にも妨害されず何時間も自分のため「だけ」に時間を使えれば、それは恵まれた環境と言えますよね。でも、千葉さんは、「ときを忘れるような状態が、一番うまい時間の使い方をしている」(p19)と述べています。そういう意味で通訳の勉強というのはかなり没頭できるので、恵まれた職業なのかもしれません。

さて、その通訳現場での分担時間ですが、これは「人間が集中できる時間」が元になっています。国際会議の同時通訳の場合、たいてい10分ぐらいでパートナー通訳者と交代します。CNNの放送通訳ではスタジオに入るのが通訳者一人ですので、自分だけで30分を担当します。途中にCMが数回入るので、そこでホッと一息つけるのが良いところ。F1レースのピットイン、といった感じです。

ただ、民放で放送通訳をつける際には重要な会見や発表というケースが多く、その場合は複数の通訳者で5分ほどの交代間隔となります。数週間前にバイデン大統領が選挙戦から撤退表明をホワイトハウスからおこなったさいには、パートナー通訳の方と私の間で5分交代としました。

「5分」と聞くと時間的には短く感じます。スマホで検索している5分などあっという間ですし、楽しいコンサートなど数時間が瞬く間に過ぎるでしょう。しかし、同時通訳中の5分というのは結構長く感じるもの。柔道試合の制限時間は4分、空手は3分ですが、その数分間に選手はすべてを懸けますので、通訳者も同じだと私は考えます。チームスポーツのような数十分、数時間とは異なるのですね。

ちなみに最近の私は在宅勤務の際、「45分+15分」サイクルを守っています。45分間、調べ物や書き物に集中したら、15分間体を動かす、というもの。家事をしたり動画サイトでエクササイズをしたり、という具合です。過去の私は何時間でもPC画面を凝視しながら仕事をしていたのですが、肩や首の痛みに見舞われ、マッサージ店に通い詰めでした。でも、このサイクルになって以来、通院からは卒業しています。このサイクルのメリットは、仕事に煮詰まりそうになったころに体を動かせること。よって、「あと少し頑張れば運動タイム!」と楽しみになるのです。一方、エクササイズ動画の内容がたとえハードでも、「とりあえず15分頑張れば、また座って仕事に戻れる」となります。

45分というのは小学校の授業時間ですよね。今の私にはちょうど良いようです。

(2024年8月20日)

【今週の一冊】

「世界の美しい劇場を1冊で巡る旅」エクスナレッジ編集、エクスナレッジ発行、2024年

私の好きな出版社にエクスナレッジとパイ・インターナショナルがあります。前者は「建築知識」という雑誌を発行している老舗で、創業は1968年。後者はビジュアル・メインの出版社。いずれも美しい写真が満載の書籍を多数出しています。

今回ご紹介するのは劇場を取り上げた一冊で、そのきっかけとなったのが、数週間前に出かけた水戸市民会館。私は建築、音楽、ホールに関心があり、それにピッタリのイベントが開催されたのです。題して「建築X音楽」で、登壇者は水戸市民会館をデザインされた建築家の伊東豊雄さん、案内役の音楽プロデューサー・浦久俊彦さん、そしてピアニストの金子三勇士さんでした。デザインから施工に至るまでの苦労話や、ピアノを演奏する際のホールや音響のことなど、多様な観点から理解を深められた大満足のセッションでした。

さて、本書に掲載されているホールは世界各地に点在しており、いずれも美しいものばかり。ミラノ・スカラ座を始め、イギリスのロイヤル・アルバート・ホールやシドニー・オペラ・ハウスなど誰もが知っている劇場が紹介されています。一方、中米のコスタリカ国立劇場は「コーヒー税で建てられた中米屈指のオペラハウス」(p134)との記述も。中国のハルビン・オペラハウスは流線形の建物で、雪の大地との調和をテーマにしています。

こうした美しい建造物を見ているだけでも心が和みます。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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