INTERPRETATION

第642回 戦争遺跡から感じたこと

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

高校時代の私は漠然と「新聞記者になりたい」という思いを抱いていました。幼いころから新聞の投書欄に投稿するのが趣味であり、新聞や雑誌は自分にとって身近だったのです。幼少期に家族新聞を手書きで作成したこともありますし、ロンドンの補習校(土曜日の日本人学校)では「学級新聞を作ろう!」と提案し、編集したことも良い思い出です。新卒後に入った航空会社でも社内報の立ち上げに関わりました。今振り返ってみると、「書くこと」が本当に好きだったのだと思います。

様々な紆余曲折やご縁を経て現在私は放送通訳をメインに稼働をしているわけですが、もちろん、それまでの間に多くの失敗も経てきました。20代のころ留学から帰国した際、「やはりフリーランスよりも安定の正社員になろう」と某企業に就職するも、何となく違和感を覚えてわずか一カ月で退職したこともあります。たった4週間で私からの辞表を受け取った当時の上司は、「あなたにはもっと羽ばたける場所があると思っていたのよ。勇気を持って決めてくれてありがとう。これからも頑張ってね」と笑顔ではなむけの言葉を下さいました。素晴らしい方々のお陰でここまで来られたと思っています。

放送通訳の仕事は、会議通訳同様、同時通訳がメインです。ただ、会議通訳と少し異なるのは、「すべてのトピックが予習の対象となること」なのですね。日ごろから新聞を読む、最新のニュースをネットでチェックするのはもちろんのこと、その国の歴史や文化、なりたち、慣習、価値観など、多角的に把握していくことが大切です。

数日前、トランプ前大統領が狙撃されるという衝撃的なニュースがありました。当日、私は日帰りで横須賀ツアーに参加していました。

そのツアーは、千代ケ崎砲台跡と東京湾の第二海堡(だいにかいほう)をめぐるという内容です。千代ケ崎砲台跡は19世紀に日本陸軍が建設した西洋式の砲台。第二海堡は明治から大正時代に建造された人工の要塞島です。いずれも戦争に備えて作られ、今は戦争遺跡として多くの研究がなされています。ちなみに第二海堡は非公開であり、ツアー以外で上陸することはできません。

今回ツアーに参加したのには理由があります。不透明な世界情勢に生きる一人の人間として、過去から学びたいと思ったからでした。なぜ戦争は起きるのか、戦いのためにどのような備えをしていたのか、戦争を経て人は何を教訓として得たのかということを、遺跡から知りたかったのです。

千代ケ崎砲台も第二海堡も、様々なタイミングや理由の積み重ねで実戦に投入されることはありませんでした。当時の姿を残し、無言のまま今に至っています。それらを眺め、過去に思いを馳せつつ、私はスマホに表示される狙撃事件のニュースに見入りました。複雑な思いを抱きながらのツアーとなりました。

今回の事件詳細はいずれ明らかになってくることでしょう。秋の大統領選の流れが変わることも大いに考えられます。ただ、その一方で、この事件は突発的に生じたものではない、という思いが私の中にはあります。なぜなら「今」というのは様々な出来事がうねりのようにつながっているものであり、その源は、それこそ数十年、数百年前までさかのぼることができるからです。

歴史を知ることは、「今」を理解することにつながります。なぜ幼少期、新聞記者に憧れ、今の放送通訳の仕事に私は至ったのか。その理由はおそらく「過去を学ぶこと」で今を生きる自分を理解したいからなのかもしれません。

戦争遺跡がそれを改めて私に教えてくれたと、今回のツアーから私は感じています。

(2024年7月16日)

【今週の一冊】

「プリズナートレーニング 圧倒的な強さを手に入れる究極の自重筋トレ」ポール・ウェイド著、山田雅久訳、CCCメディアハウス発行、2017年

私はスポーツクラブのスタジオレッスンで筋トレをしており、今でも好きで時々出かけています。しかし、スケジュールが合わなくなるとつい休みがちに。必然的に筋肉も落ちてしまいます。レッスン時間に間に合わないなら、マシントレーニングをすれば良いのですが、実はマシンの使い方をあまり知らず。となると、ますます筋トレから離れてしまうのですよね。

そこで今回ご紹介したいのが本書です。たまたま大学図書館で見つけたのですが、あまりにも衝撃的なタイトル(そのまま文字起こしすればprisoner training)で思わず手に取った次第です。正式な原書名は”Convict Conditioning“で、convictとは「受刑者」のことです。

300ページ強からなる大著ですが、体の部位をどう動かすべきかが写真付きで解説されています。しかも最大の特徴は、器具無し、すなわち自重ですべてをおこなう、というもの。独房に入れられている受刑者がトレーニングをする、という前提で書かれているのですね。

作者のPaul Wade氏自身、元囚人というプロフィール以外は謎に包まれているそうです。自重だけでトレーニングをすることを本人自らが実践し、証明した結果が本書ということになります。

中でも印象的だったのは以下の箇所です:

「(ジムに行く)ほとんどの人には目立った進歩が見られない。最初は、ちょっとした改善があるものの、すべてを変え、体の中に秘められた能力を解き放ち、その人が持つ潜在能力のピークに至ることは難しい。」(p42)

「あなたの身体、正しい知識、そして確固たる決意。これだけあればいい。」(p44)

「(私には屈辱的な人間関係がたくさんあったが)トレーニングはいつも良いものだけを与えてくれた。」(p323)

この3文から「自ら動く大切さ」を私は感じたのでした。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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