INTERPRETATION

第633回 この世はすべて偶然

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

フリーランス通訳者として稼働し始めて少し経った頃、オペラ関連の通訳を仰せつかりました。その時の演目はヴェルディの「ファルスタッフ」。シェイクスピアの喜劇「ウィンザーの陽気な女房たち」をベースにした3幕のオペラです。

この作品の中で印象的だった曲があります。それは、「この世はすべて冗談だ」というフィナーレのメロディー。美しい旋律です。
https://youtu.be/5Lwn-LfdI38?si=xZaM8rj7HtWKrb9F

今日はこの一文を少しリフレーズして「この世はすべて偶然」というお話です。

私が通訳者になったきっかけは、留学直後のこと。ロンドンの大学院を終えて帰国するも、当時は職がありませんでした。どうしようかと困り果てていたとき、以前お世話になった通訳学校へあいさつに行ったのです。すると恩師が、「ちょうど良かった!今、繁忙期だから通訳、手伝って」とおっしゃったのですね。これが始まりでした。

そして最初の業務を終了すると、「では、次もお願い」となり、通訳の仕事を本格的にするようになりました。

しかしそれから数年後。またロンドンに行きたくなったのです。

まだインターネットも無い時代。毎日The Japan Timesの求人を眺めては「英国勤務」を探す日々。するとある日のこと、BBCの求人が見つかりました。応募して幸いにも合格通知を頂くも、実はwaiting list募集だったのですね。2年半待ってようやく渡英できました。

やりがいのある仕事でしたが、報道の世界ゆえ、勤務関連の変動が生じ、当時は乳児も抱えていたため思い切って帰国。日本に戻るも失業状態でした。ところが帰国から半年後、アメリカによるイラク空爆が始まり、在京の通訳者が不足状態に。民放からお声がかかり、放送通訳者として再稼働するようになったのです。

あれから20年ほど経ちました。あれから今に至るまで、様々なご縁とタイミングで現在につながっています。

そして最近の大きな偶然。それは先日(5月11日)の日本テレビの番組で「同時通訳」についてお話する機会を頂いたことでした。このきっかけも、宝くじ当選確率並みのレアさ。私の教え子がたまたま駅前で取材班から街頭インタビューを受け、私の名前を述べたことから始まったのでした。この学生さんは用事があってこの駅付近にいたとのこと。1秒ずれていたら取材班とは出会えなかったでしょう。

私は日ごろテレビ画面の陰で「声だけ出演」をしている放送通訳者ゆえ、カメラの前に出ることには緊張しました。でもその一方で、AI技術が進化する今だからこそ、英語や通訳、そして学びの楽しさを多くの方々に知っていただきたい、という思いもあり、出演を決めました。私の名前を述べた学生さん、連絡を取り次いでくださった大学関係者および番組制作スタッフや出演者のみなさま、そして視聴してくださった方々に心から感謝しています。

断捨離提唱者・やましたひでこさんは、「人生では趣味や仕事、出会う人もどんどん変わっていく」と述べています。様々な偶然の積み重ねで出会いあり別れあり、というのが人生なのでしょうね。

ファルスタッフのことばから派生させて、「この世はすべて偶然だ」という思いを強くしています。

(2024年5月14日)

【今週の一冊】

「純喫茶コレクション」(難波里奈著、河出文庫、2022年)

厚切りトーストが大好きです。出先ではスマートフォンの検索画面に「厚切りトースト 近く」と入力してお店を探すほど。ただ、あいにくモーニングの時間は終わっていたりということもあります。私はタバコの煙がニガテなのですが、分煙だったり、お客さんが少なかったりというタイミングであれば、入店することもあります。それぐらいトーストLOVEなのですね。

今回ご紹介するのは、「カフェ」でも「喫茶店」でもなく、あえて「純喫茶」を紹介している一冊。純喫茶とは同じ喫茶店の中でも、レトロ色が色濃く残るお店を指します。本書にはそうした純喫茶を全国から厳選して81軒が紹介されています。

嬉しかったのは、昔訪ねたことのある有楽町「ローヤル」が掲載されていたこと。世の純喫茶はビル建て直しや後継者不足などで閉店を余儀なくされていますが、ここ「ローヤル」は今も健在。あの厚切りハニートーストの写真がアップで載っていました。他にもステンドグラスが名物のお店あり、コースターやマッチのデザインがおしゃれな店舗など、様々な角度から純喫茶が楽しめます。

エッセイスト・泉麻人さんの純喫茶に寄せる思いも掲載されています。読み物としても楽しめる一冊です。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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