INTERPRETATION

第632回 「どちらか」ではなく「共存」

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

昨今の予測では、「現在ある仕事の50パーセント近くがAIで無くなる」と言われています。通訳業もそのうちの一つ。過日読んだ「昔のお仕事図鑑」(日本図書センター発行、2020年)には、かつて存在した職業、たとえば電話交換手などが説明されていました。数十年後には、レトロ懐かし系の書籍に「昔は通訳という仕事がありました」と表記されるかもしれませんよね。

・・・と悠長なことも言っていられません。何しろ私の場合、これで生計を立てているのですから(笑)。

AIのことを考えると、ついつい「AIによって奪われる」と思ってしまいます。でも、本当にそうでしょうか?そのことを考えさせられる体験を先日しました。今日はそのお話です。

数週間前のこと。とある地方都市へ出かけました。ネットで選んだのは最近できた新しいホテル。説明や写真を見ると、お部屋も綺麗でラウンジには最新のコーヒーマシンもあります。ちょっとしたコワーキングスペースとしても活用できるようです。宿代もお手頃でした。

いざ到着してチェックイン。なんとそこは無人チェックインでした。事前に送られてきたQRコードをかざして部屋の暗証番号を得て入室するのですね。スムーズに済ませることができ、いざお部屋へ。写真通りコンパクトでありながら清潔感があり、寝具も最新のタイプでした。リラックスできそうです。

ただ、ひとつだけ、ふと不安になったのです。それは「万が一の時、誰に連絡すれば良いのかしら?」ということ。急病になったとか、非常事態が起きたとか、そのような状況です。部屋の中に電話はありませんので、いざとなれば自分のスマホだけが頼りなのですよね。そう考えると、ちょっと心細くなったのでした。

それから1週間後。今度は別の都市へ旅行に行きました。新幹線とホテルがセットになったパッケージ型です。ホテルは昔からあるタイプ。到着してカウンターに行き、スタッフさんを前に手続きを始めました。するとそのスタッフさんが、私の身につけていたリングに注目して「素敵ですね」とおっしゃったのです。

この一言がとても嬉しく、長旅の疲れも吹き飛びました!彼女はさらに私のお財布にも注目して下さったのです。聞けばこのお財布の生産地ご出身とのこと。私はこのブランドが好きなので、思わず話が弾みました。お部屋にはもちろん電話機があり、受話器を上げればすぐに受付につながるのも心強かったですね。

そして翌日のチェックアウトでのこと。実は私はこのホテルに昔、泊ったことがあり、その旨をお話しました。するとスタッフさんが、「それはそれは!ご贔屓ありがとうございます」と述べて下さったのです。「ご贔屓」という粋なことばが私の心に響きました。

実に対照的なタイプのホテル。どちらか「だけ」が良いという時代では無いのですよね。寝具が快適でぐっすり眠れた無人型ホテルも良かったですし、スタッフさんとの会話が良き思い出になったホテルも捨てがたい。要は好みの問題なのです。

そう考えると、「通訳という仕事もまだ大丈夫!共存できるはず」と極めて私は楽観的になっています。

(2024年5月7日)

【今週の一冊】

「日本の最も美しい図書館」(立野井一恵著、エクスナレッジ、2015年)

出講先の大学図書館が大好きな私にとって、様々な大学や公共図書館のデザインや使いやすさに興味があります。そこで借りてきたのが本書。エクスナレッジ社は月刊「建築知識」を始め、建築やデザイン関連の出版社です。

本書は日本各地にある図書館の中でも、美しいデザインのものを厳選しています。オールカラーで、開館時間や蔵書数はもちろん、設計者の名前もあります。アクセス方法も簡易マップ付きで出ていますので、本書を片手に図書館巡りをするのも楽しそうです。

中でも私が魅了されたのが東京都・北区立中央図書館。最寄り駅は京浜東北線・王子駅です。赤レンガのレトロな外観の理由は、ここがかつて陸軍の東京砲兵工廠銃砲製造所として使われていたからです。このようなレンガ造りは今の時代からすれば希少価値があります。よって、ここを活用する形で図書館としてオープンしたのが2008年でした。日本文学研究者のドナルド・キーン氏のコレクションもあるそうです。

他にもキノコ型の図書館や6000の丸窓が埋め込まれたワンフロアの図書館(石川県)などユニークなものがたくさん!どこも魅力的で、訪ねたくなります。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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