INTERPRETATION

第614回 つながる見聞

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳の授業を担当していてよく受ける質問の一つに「勉強法」があります。たとえば、「どうすれば通訳の実力がつきますか?」という具合です。

楽器演奏やスポーツ同様、通訳や英語力というのは一朝一夕ではつきません。演奏者や選手たちは、日ごろの努力と練習の積み重ねを経て、公演日や試合日にその力を最大限発揮します。通訳者も同じなのです。日々のトレーニングは語学力にとどまらず、体調管理や一般教養・知識の蓄積も伴います。

私が大切している考え方の一つに「すべてが学びにつながる」があります。机に向かう勉強しかり、外に出て見聞することや体験することしかり、です。通訳をおこなう上で無駄となる作業は一つもないと思うのですね。ですので、これから通訳者を目指す若いみなさんには、たくさん本を読んだり映画・芸術を鑑賞したり、様々なことにチャレンジしてほしいなと思っています。そうしたことは通訳の仕事にとどまらず、自分の人生を豊かにしてくれますし、生きるチカラをくれるのです。

私も先週末、その「生きるチカラ」をしみじみ感じました。ただ、そのきっかけはここ数年間の世の中の変化。今日に至るまで、ニュースと言えば感染症や戦争に関する話題ばかり。誰もが前代未聞の状況に戸惑ったと思います。

そうした中、笑いを求めて観始めたのが日本テレビで日曜夕方放映の「笑点」。以前の私は落語に興味がなかったのですが、すっかりハマりました。そこで知ったのが桂米團治(かつら・よねだんじ)師匠です。昨年4月、円楽師匠が病気療養の中、上方落語の米團治師匠がピンチヒッターとして出演していました。師匠の話が非常に楽しかったため、その数か月後、京都・南座で師匠の会に出かけたほど。プロフィールを読むと、オペラにも造詣が深いとあり、クラシック好きの私として嬉しく思ったのでした。

そして今年。たまたまネットをチェックしていたら、米團治師匠がJ.シュトラウス作の喜歌劇「こうもり」に出演予定と知りました。「こうもり」は私が小4のとき、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで観た人生初のオペラ。しかも演出は狂言師の野村萬斎さん。何だかそれだけでワクワクします。一方、今回の開催場所・山形では山形交響楽団が音楽を担当とのこと。山響と言えば、私が応援している指揮者・藤岡幸夫さんが山響を振ることもあり、藤岡さんのテレビ番組によく出ておられる山響首席チェリスト矢口里菜子さんも在籍。ということで一昨日、山形まで観に行ってきたのでした。

当日まで出演者全員をチェックせずにいたまま会場入りすると、何とテノールは福井敬さん(前日の藤岡さんの番組で観たばかり!)、ソプラノの幸田浩子さんと言えば、ずいぶん前にサントリーホールで私がオペラの通訳をした際、研修生として参加しておられました。様々な「嬉しい再会」があり、「こうもり」自体をより一層楽しめたのでした。

美しい音楽、楽しいオペラ脚本だけでも元気をもらえますが、幼少期から今に至るまで私自身が経験してきたこと、観てきたことすべてが「つながったこと」に大きな幸せを感じました。これが自分の人生に幸せをもたらしてくれるのですよね。

様々なご縁やタイミング、多くの方々との出会いのお陰と思っています。つながりゆく「見聞」は、生きる活力になります。そのエネルギーが仕事への頑張りにもなると思うのです。

(2023年12月19日)

【今週の一冊】

「男性論 ECCE HOMO」ヤマザキマリ著、文春新書、2013年

映画「テルマエ・ロマエ」の原作はマンガ。それを描いたのが今回ご紹介するヤマザキマリさんです。名前は知っていたのですが、背景については知らないままでした。たまたま数週間前にインタビューをネットで読み、ユニークな生い立ちに関心を抱くようになりました。

そのインタビューに出ていたのはマリさんの母リョウコさんです。リョウコさんは札幌交響楽団の創設当初からビオラ奏者として活躍されました。もともと深窓の令嬢だったリョウコさんは単身で札幌へ。そこで指揮者と結婚して生まれたのがマリさんです。しかしマリさんが赤ちゃんの頃父親が死去。その後再婚して妹が生まれるも離婚。リョウコさんは女手一つで子どもたちを育てたのでした。

既成観念にとらわれないリョウコさんのおかげで、マリさんも14歳の時に欧州単独旅行へ。その後、イタリア留学や海外在住など多様な体験をされています。ここには書ききれないほどたくさんの人生経験をマリさんは積んでおり、それがのちのマンガ作品に投影されています。

本書に綴られているのは、そんなマリさんから見た独自の男性論。古代ローマの偉人たちも出てきます。文章を読むにつけ、狭い日本の社会観念「だけ」で生きていかなくても良いのだなあと勇気づけられます。

後半には理想の女性についての文章も。可愛さや若さよりも、成熟さが大切であることに気づかされた一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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