第143回 静かな闘志
一週間が終わりつつあった先週の金曜日朝、マンデラ元大統領の訃報に接しました。放送通訳の現場では、氏の病状が悪化して以来、何度かニュースになっています。取り上げられるたびに健康を案じていました。
マンデラ氏について知るようになったのは、1998年にBBCで放送通訳の仕事を始めてからでした。ロンドンに赴いた直後の6月下旬にマンデラ氏は80歳の誕生日を迎え、それを機にモザンビークの初代大統領未亡人・グラサさんと再婚します。この話題を始め、BBCの番組にもゲスト出演するなど、頻繁に画面を通じてお見受けするようになったのです。
もう一つ、南アフリカについて思い出すことがあります。BBCで業務に携わる数年前のこと、ステレンボッシュ大学の先生が来日なさいました。私は通訳者として、日本の大学に表敬訪問する先生のお手伝いを仰せつかったのです。先生はオランダ系白人の方でした。電話口で同僚と話していたアフリカーンス語は、かつて私が幼いころ暮らしていたオランダの言葉に響きがよく似ていました。業務の合間にデパートの地下街へ行きたいとおっしゃったので、新宿の伊勢丹へお連れしたところ、何と南アフリカ産のワインを私にプレゼントしてくださったのです。1980年代、日本では南アフリカ産の不買運動がありました。それがいつの間にか南アフリカが日本の貿易相手国となっていたのですね。そのとき初めて知りました。
話をマンデラ氏に戻しましょう。
手元の「まんが世界の歴史 人物事典」(小学館)には氏の半生が描かれています。自由を求めて「何度逮捕されても、運動をやめようとは思わなかった」とあります。戦いは自分の人生であり、差別がなくなるまで戦い続けるのだ、と。
一方、私がテレビを通じて見た氏は始終穏やかな話し方で、常に笑みをたたえていた好々爺という感じでした。そこから感じたのは、「真に強い人というのは、実は静かに戦い続けるのだ」ということです。
私が尊敬する精神科医の神谷美恵子先生や、青森で「森のイスキア」を運営する佐藤初女先生は、いずれもおっとりとした印象です。しかしその反面、心の中では自分の使命を強く意識し、人のお役に立ちたいという思いに溢れています。目の前のことに集中し、小さなこともおろそかにせず、むしろ淡々と取り組む、そんな方々です。
誰もがこの世の中で何かしらの役割があり、それを行うために日々生きていると私は最近感じます。もちろん、毎日の生活の中には大変なこともあるでしょう。予想通りに進まないかもしれません。けれども、ろうそくの火を絶やさず、静かに燃やし続けるためにも、大げさに語らず、騒がず、そして愚痴を言わずに前に進むのが一番の方法にも思います。
マンデラ氏を始め、たくさんの方々の考えに背中を押していただきながら、これからも自分の役割を考え、一歩一歩進んでいきたいと思います。
(2013年12月9日)
「この世に命を授かりもうして」酒井雄哉著、幻冬舎ルネッサンス新書、2013年
仕事で必要な本はネットで購入することが多いのだが、ふらりと書店へ立ち寄るのも大好きだ。特に考えもせずあちらの棚、こちらのコーナーへと足を進めていると、思いがけない出会いがある。題名に惹かれることもあれば、平積みになっている本の表紙にくぎ付けになることも少なくない。
本書は新書コーナーの棚に並んでいたのだが、良く見ると2種類の背表紙があった。オビがついているものとそうでないもの。私はこういうとき、迷わずオビつきを買う。販売促進用のオビではあるのだが、著者の写真が載っていたり、中身の抜粋が記されていたりと、実は貴重な情報源だからだ。
著者の酒井雄哉大阿闍梨は今年9月にガンで亡くなった。仏教の厳しい行道である千日回峰行を2度も行った方である。仏門に入る前は職を転々とし、妻を自殺で亡くし、それでも定まった生き方ができずにいたと本書には記されている。
先生の根底に流れている考えの一つに「ご縁」というものがある。タイミングもそうであろう。仏教の世界に入ったのも、様々なできごとの積み重ねであり、人と人との出会いがあったと説く。
「『やる』という決心を自分がしたんだから、もうそこでごちゃごちゃ考えないんだよ」という先生の言葉が私には大きく響いた。決めるのも自分、行動するのも自分。自分が覚悟して進むしかないのだ。
過日ご紹介した寺田真理子さんの本にも「心に決めてほしいのです」という一節があった。他人でもない、自分が決断したこと。それに責任を持ち、受け入れていくのが生きるということなのだろう。
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