INTERPRETATION

第598回 共同作業

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

数か月前のこと。近所の公民館でとある講座を受けました。アート系のレッスンです。その授業はとても素晴らしいものでした。

もともとそのテーマに興味があったので受講したのですが、どれほど自分が関心を抱いていても、先生の熱量が低いと、こちらもテンションが下がってしまいますよね。でもこの講座の先生は冒頭から授業終了まで、にこやかに、そして先生ご自身のテーマに対する愛情が溢れ出ていました。タイムマネジメントも完璧。トークも楽しく、あっという間の2時間だったのです。

先生のエネルギーが受講生を巻き込むものであれば、受けている側もグーンと魅了されますよね。先生からの問いかけにクラス全員が頷いたり、挙手したりと活気あるものに展開していくのがわかりました。私は仕事柄、セミナーの通訳を仰せつかることが多いのですが、やはりスピーカーがそのトピックに高い関心と情熱があると、話し方に反映されます。そしてその熱意は通訳者にも伝染するのです。それが「聴衆にとって理解しやすい通訳」になると私は感じています。

では「参加者から見て満足感の高い授業やセミナー」とはどのようなものでしょうか?

先に述べた講師のエネルギーや知識、トークの楽しさ、時間管理などはもちろん大事です。スライドなどでトラブルが発生しても臨機応変に対応できる柔軟性も求められます。受講生の様子を常に見渡しながら、少し空気が緩んでしまった際には雑談を挿入するなど、飽きさせない工夫も大切ですよね。

一方、参加する側にもできることがあります。「より良い授業を一緒に作り上げよう」という気持ちです。「ええっ?こちらは受講する方なのに、参加者も何かする必要があるの?」と思われた方。実は答えは「イエス」。もし先生の話が自分にとって響くものであれば、先生の目を見て頷いたり、楽しい話には勇気を持って声を出して笑ったりしてほしいのです。質問があれば質疑応答時間でなくてもぜひ問いかけていただきたいのです。そうした双方向のやりとりと活気があると、先生は嬉しくなります。そしてありとあらゆる知識を総動員して「よし、このクラスでは私が持てるものすべてを出し切ろう!」という気持ちで授業をしたくなるのですね。

私は大学で教えているのですが、今の学生はとてもまじめです。課題もきちんとこなし、出席率も良好です。また、クラスの中には上記のような双方向コミュニケーションを積極的にとってくれる若者がいます。講師である私に対してはもちろんのこと、グループワークではクラスメートの話を「うんうん」と頷きながら聴いたり、笑顔を見せたり、面白い話題にはにこやかに笑ったりしてくれます。そうした学生さんが多ければ多いほど、そのクラスの中には和やかな空気が生まれるのです。すると講師にとってもますます授業をしやすくなります。

授業というのはつくづく「共同作業」であると感じます。これは授業に限った事ではありません。通訳も同じです。セミナー登壇者が自分のトピックに対して情熱を持ち、それを展開していく。それが「その場にいる人」の熱量を引き出すという「共同作業」につながるのだと思います。

(2023年8月15日)

【今週の一冊】

「遠慮なく幸せになればいい 68の言葉と笑い文字」廣江まさみ著、かんき出版、2018年

今回ご紹介するのは「笑い文字」に関する一冊。満面の笑顔を筆で描くというもので、にこにこ顔だけでなく、文字に笑顔を付け加えるというアレンジもあります。実は先ほどご紹介した「アート系講座」とは、この笑い文字講座のことだったのですね。

著者の廣江さんは結婚してから40代になるまで、4世代同居の中、3人の介護をなさったそうです。しかし、介護疲れなどで体調不良に陥り、後ほど離婚。お子さん二人を抱えながら新たな人生を歩まれたのだそうです。そうした中、ご本人が始められたのが笑い文字。今では笑い文字普及協会を率いながら、多数の講師や受講生のトップとしてご活躍です。

本書はオールカラーで見開き左側に笑い文字、右側には優しいメッセージが添えられています。苦労された廣江先生だからこそ、読む者の心に染み入る文言です。

中でも印象的だったのは、「生ゴミは観察しない」(p32)の一文:

「人生のなかで
だめになったものや
もう使えなくなったものとの関係は
生ゴミと同じ。
くさっていくのを眺めない。
掘り返して臭いをかがない。
しばらく埋めて時間が経てば、
からっからに乾いているか、
ちゃんといい肥料になってるの。」

人はついつい過去を悔んだり、自分を責めたりしてしまいますよね。それらを「眺めない、臭いをかがない」というのはとても大事。可愛い笑い文字と共に、読み手を励ましてくれる一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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