INTERPRETATION

第596回 夢の競演

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日のこと。山形まで一泊2日の旅をしてきました。お目当ては山形駅西口「やまぎん県民ホール」で行われたクラシック・コンサート。山形交響楽団と仙台フィルハーモニー管弦楽団の合同演奏会です。

大元のきっかけは指揮者の高関健さん。数年前、たまたまテレビで観たら私の敬愛する指揮者マリス・ヤンソンスの振りに雰囲気が似ていたのです。そこでSNSフォローを開始。しばらくすると、高関氏がテレビに出るとの情報が出ていました。BSテレ東で毎週土曜日放送の「エンター・ザ・ミュージック」。ナビゲーターは指揮者の藤岡幸夫さんでした。

藤岡さんで思い出すのはイギリスで大学院生活を送っていた94年のこと。夏の風物詩・BBCプロムス音楽祭で藤岡さんのお名前を拝見していたのです。当時はまだ日本人マエストロがプロムスに出ること自体珍しかったので、記憶に残ったのでした。

で、この「エンター・ザ・ミュージック」、実にトークが楽しくて藤岡さんのユーモア満載。すっかりファンになりました。高関さん出演後、毎週欠かさず視聴するようになったのですね。

その数週間後、藤岡さんプロデュースの弦楽四重奏団The 4 Players Tokyoが特集されました。4名のうちのお一人が矢口里菜子さん。本業は山形交響楽団のチェリストです。山形と言えば、現在我が家の息子が暮らしているため、ますます親近感を抱いたのでした。

「山形交響楽団を聴きに行き、我が子に会いに行く」という、「1粒で2度おいしい」タイミングはあるかしらと調べたところ、運良くコンサートを発見。しかも仙台フィルとの合同演奏会。珍しい企画です。演目は私の大好きなラヴェルの「ボレロ」に「ラ・ヴァルス」!聴かない手はありません。ちなみに仙台フィルの常任指揮者はあの高関さんです。迷わずチケットを購入しました。

いざ会場へ。美しいホールに音響も素晴らしく、座席のデザインも山形の米沢織物を連想させる赤色の織。スタッフのみなさんも実に親切。パスカル・ヴェロ氏の指揮でコンサート自体も大いに盛り上がり、首都圏から出かけて行って本当に良かったと大感激しました。ちなみに普段私はコンサート後に「ブラボー!」の掛け声はしないタイプ。でも今回はあまりの感動に「ブラボー!」を連呼したのでした。見渡すと周囲の人たちも老若男女問わず、「ブラボー!!」を唱えていました。

両オケの「合同演奏会」は東日本大震災を機に始まり、2020年度からは「東北UNITED~東北は音楽でつながっている」シリーズとして開かれているそうです。まさに私からすると「夢の競演」でした。

「夢の競演」で思い出すこと。それは学生時代に通っていた英語塾・弘道館です。同時通訳者の松本道弘先生が主催する私塾なのですが、ある日、先生の恩師である西山千先生がゲストで来館されました。あのアポロ月面着陸の同通をなさった西山先生です。その日の弘道館では「師弟による同時通訳」がお披露目されたのでした。松本先生の英語を西山先生が日本語に同時通訳。こちらも私にとっては「夢の競演」であり、両先生の美しいことばにしびれたのでした。

東北の2大オケを知るきっかけは実にささやかなものでした。でもそれが芋づる式にどんどんつながっていき、私に大きな喜びをもたらしてくれたのですよね。本当に幸せなことだと思います。小さなきっかけが「夢の競演」につながることは、他にもきっとあるはず。これからもささやかな出発点を大切にしていきたいです。

(2023年8月1日)

【今週の一冊】

「松井直がすすめる50の絵本」松井直著、教文館、2008年

最近私が関心を抱いているテーマは「愛着障害」。育つ過程で親とどのような愛着を形成したかによって、その子の人生は決まると言われています。しっかりとした絆ができれば子どもは安定型となり、他者と健全な人間関係を築けます。しかし、親自身が何らかの課題を抱えており、それが子育てに影響が出てくるケースもあります。そうなると、子どもは人間関係で他者を信頼できなくなったり依存型に陥ったりするそうです。昨今のいわゆる「毒親問題」や「育児放棄」などは世代を超えて連鎖しますので、どこかで食い止めなければ悪影響は続いてしまうのです。

私は「愛着」という観点から絵本を再読するようになりました。たとえば「しりたがりやのこぶたくん」(ジーン・バン・ルーワン作、アーノルド・ローベル絵、三木卓訳、童話館出版、1995年)の中で、お母さんぶたが「ひとりでいたいの」と我が子に述べるシーンがあります。以前はそのまま解釈していたのですが、愛着という視点で見ると、「ああ、お母さんは少し子どもと距離を置いて自分を見つめ直しているのだろうな。充電して元気になり、また我が子に愛情を注ぐためなのね」と思えたのです。

今回ご紹介する本は福音館書店の創業者・松井直氏が綴ったものです。絵本は子どものためだけでなく、大人の心をも癒してくれることがこの一冊からわかります。本書には古典的名作絵本はもちろん、新しい作品も紹介されています。松井氏が添える文章は、どれも温かい視点ばかりです。

中でも印象的だったのは、
「いま親が心して努めなければならぬことは、自尊心のある子どもに育てることです。」(p35)
でした。でも私はこう解釈したのです。万が一、親との愛着が構築できなかったとしても、まだ間に合う、と。大人自身が自分を大切にして、自尊心を作れば良いのだ、と。

大人こそが自尊心を取り戻すことで、次の世代が安心して生きていける。

そのように解釈しています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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