第587回 単語リスト変遷中
通訳の仕事は毎回トピックがさまざま。「先週は宇宙関連の国際会議」「今週は自動運転に関する社内セミナー」「来週は国際情勢がテーマの議員懇談会」という具合。その都度、自力でリサーチをして単語リストを作り、猛勉強をします。
以前の私は単語リストを「手書き」で作っていました。自分の手で書いた方が記憶に残りやすいからです。尊敬する大ベテランの通訳者の方も、やはり手書きにこだわっておられます。手書きならではの脳への刺激があるのでしょう。
しかし、とある国際会議でのこと。
自作の手書き単語リストを持参して会場の同通ブース内で広げたのですが、あまりにもページ数が多くなってしまったのです。広げるにもデスクのスペースには限りがある。しかも手書きなのでランダムに単語が書かれており、一貫性が無い。いざ、会議が始まるや、難易度の高いセミナーだったこともあり、緊張感で内心パニックになりました。知っているはずの単語が訳せなくなってしまったのです。目の前に単語リストがあるにも関わらず、参照すらできない。困り果てました。
そこで反省して、本腰を入れてエクセルで単語リストを作るようになったのです。
エクセルの良さは並べ替えができるということ。アルファベット順・あいうえお順など瞬時にできますし、「日→英」「英→日」も縦の列(ちなみに英語では縦列はcolumn、横の列はrow)を左右に動かせばあっという間に入れ替えられます。この便利さはたまりませんでした。
さらにもう一つのメリットが。それは「行数」を見ればいくつの単語リストを作ったかがわかること。私など「おお、今回の予習では240個も単語を集めた!」と、まるでスタンプラリーのごとく嬉しくなってしまいます。あとはこのリストをタブレット端末に保存し、当日は端末を持参するだけ。心配なら印刷して現地入りすればOKなのですね。日英・英日やアルファベット順などその場に応じて瞬時に入れ替えられるので、本番中に不明単語が出てきても素早く見つけられるようになりました。
時代の流れと共に変遷してきた「マイ単語リスト」作成スタイル。これからも進化していくことを期待しつつ、今はお気に入りのエクセルでせっせせっせと単語集めをしています。
(2023年5月23日)
【今週の一冊】
「ネオサピエンス 回避型人類の登場」岡田尊司著、文藝春秋、2019年
愛着に関する著書を多く出しておられる岡田尊司さんの一冊。今回のテーマは「回避型」です。人間は幼い頃、親とどのような関係を築くかによって、その後の愛着状態が決まります。簡単に言うと、親の愛情をたっぷり受けたなら「安定型」、それが不足していると「不安定型」になり、さらに幼少期以降の人生でトラウマを受けて人間不信に陥り、人との愛着形成を諦めて愛情あふれる関係を避けてしまうタイプを「回避型」と呼びます。
「家族や親子問題を解決するなら、その根源は3世代前にさかのぼらねばならない」とよく言われます。つまり、自分と親の間に課題がある場合は、その親の親、つまり、自分の祖父母世代からそれは脈々と続いているのです。親子や家族関係は自分の代で突然発生するのではありません。過去からつながっているがゆえの苦しみということになります。
さて、本書で取り上げられている「回避型」。これは近年、人数的に増えていると岡田氏は指摘します。世の中が便利になり、自分一人でも生きていけるからです。誰かと共存して協力し合って暮らさなくても、日々の生活は満たされます。「おひとり様」ということばが市民権を得ていることからもわかりますよね。
では、男女の関係で見るとどうでしょうか?たとえば「回避型の男性」がいたとします。本人は過去にトラウマを抱えているケースが多く、なかなか他者に心を開くことができません。一方、「不安定型の女性」はそんな回避型の苦労を知り、「私がこの人を救ってあげたい」と思いがちです。なぜなら自分が回避型に尽くすことで自分の承認欲求が満たされるからです。一方の回避型も表向きには人を避けているものの、心の中では愛情を渇望しているため、不安定型が示す温かみに魅了されます。そして二人は惹かれ合います。
しかし、不安定型は心が常に愛情欠乏状態であるため、回避型に対して「もっと愛情を自分に注いでほしい」と求めるようになります。すると回避型にはそれがやがて重荷になってしまうのです。岡田氏は本書の中でケーススタディも紹介しているのですが、そのような不安定型の言動を「プレッシャーや恐怖」(p25)と回避型は受け止める、と説明しています。回避型にとり、「自分のテリトリーにどんどん入り込んでくる不安定型」は「脅威」(p155)であり、「感情的なエネルギーを損耗させられる」相手であり(p155)、「身の毛のよだつような不快事」(p155)となってしまうのです。
愛着形成を幼いうちにしっかりと築くこと。これは、人類が安定した心を持ちながら育ち、幼少期、青少年期、成年期を経て一生を終えるまでの大切な土台となります。岡田氏は本書の中で、昨今のデジタル社会がもたらす愛着形成への弊害にも警鐘を鳴らします。親自身が愛情欠乏状態であるがゆえにスマホの世界に安らぎを求め、やがてのめり込んでしまう。すると目の前に赤ちゃんがいても赤ちゃんの視線に気づかなくなり、視線を与えられなかった赤ちゃんは淋しい思いを抱いてしまう。つまり、親と乳児の間で築かれるべき愛着が未形成になります。その子はやがて大人になり、他者にどう愛情を示して良いかわからなくなる。そして同様のパターンが次世代でも繰り返されてしまうのだそうです。
本書には、私たちの未来が回避型という「新人類=ネオサピエンス」で溢れた場合、どのような社会になるかが描かれています。描写はリアルで、これを読むと将来を悲観したくなります。しかし、私はむしろ希望を抱きました。なぜなら、どこかで誰かが「自分の愛着課題」を自覚し修復していけば「安定型人間」になることができ、負の連鎖をそこで止められるからです。自分が「不安定型」であれ「回避型」であれ、本人自らが「愛情豊かな安定型人間になろう」という気持ちがあればそれは可能でしょう。逆を言えば、「不安定型」や「回避型」である相手を変えることはできません。相手の課題は本人が自ら解決するしかないのですね。そのことに気づかされた一冊です。
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