INTERPRETATION

第138回 豊かな国で考えること

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日、ある教育関連の座談会に出席しました。日本の現在の教育環境や子どもたちの様子などを自由に語り合うという会です。最近話題になった「学力テスト上位校公表」「子どもとストレス」「教育格差」といったテーマが設けられました。

日ごろから海外のニュースに携わっていることもあり、日本の教育や社会環境というのは非常に恵まれていると私は思っています。その一方で、世界を見渡せばまだまだ教育はおろか、基本的な生きる権利すら与えられていないような国がたくさんあるのです。アフガニスタンの少女、マララ・ユスフザイさんは教育の権利を求めていました。しかしそれが武装勢力タリバンの反感を買ってしまったのです。マララさんは銃撃され、一時期重体に陥りました。しかし、一命を取り留めた後も暴力にひるむことなく、果敢に活動を続けています。そうした国のことを考えると、私たちが今こうして日本という国に生まれて暮らしていけるのは、たくさんの偶然と運の巡り合わせとしか言いようがありません。

しかし、日本という社会だけを見れば、確かに「豊かさの中の格差」は存在します。その中で立ち往生してしまい、どうにも前に進めず苦しむ人がいるのも事実です。政治や社会がやるべきことは、そうした状況に陥った人々を見過ごさず、制度を構築し、国として存在し続ける方法を考えていくことだと思います。

座談会の中で、ひとつ興味深い統計を見ました。それは、あるアンケート結果だったのですが、設問が次のようなものでした。

「所得の多い子どものほうが、よりよい教育を受けられる傾向があると言われます。こうした傾向について、あなたはどう思いますか?」

それに対しての結果は「当然だ」「やむをえない」「問題だ」「無回答・不明」の4つでグラフに表されていました。

私が戸惑ったのは、この設問そのものです。というのも、「こういう傾向がある」という大前提をアンケート実施者がすでに設定していたからです。また、回答には「そうは思わない」という選択肢がありませんでした。

少し客観的に考えてみると、これはある意味で誘導尋問ともとらえることができるのです。別の言葉をあてはめて考えてみましょう。

「所得の多い家庭のほうが、より大きな家に住み、高級車に乗る傾向があると言われています。こうした傾向について、あなたはどう思いますか?」

いかがでしょうか?別の用語を入れた文章が、あえて世論調査アンケートのような場で使われることはあまりないように私は思います。けれども、こと教育に関しては「日本には格差がある」という大きな前提を誰もが設定し、それに対して憤ったり、あるいは無力感から何の行動も起こさなかったりしているように感じられるのです。

昔と今を比較したり、他国と日本を比べたりすることだけで語れるとも思えません。けれども過去の日本人は今よりはるかに貧しい状態にありましたが、向学心や学びへの工夫は見られたのです。一方、今、海外を見渡せば、たとえ物質的・金銭的に恵まれなくても、自力で学問にはげむ人はたくさんいます。たとえばアフリカ最貧国マラウィに暮らす14歳の少年は、ゴミ捨て場の廃品だけを集めて電気を起こす風車を組み立てました。そうしたことを考えると、「今の日本には格差がある」と簡単に口にすること自体に私は抵抗を覚えるのです。

イギリスには「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。英国には貴族制度や階級社会が今でも残っているのですが、「ノブレス・オブリージュ」とは、上流階級の人たちが自分なりにできる奉仕や施しを行うという考え方です。最近私が目にしたのは、チャーチル元首相の子孫による活動です。

アレクサンダー・パーキンスさんはチャーチル氏のひ孫にあたります。アフガニスタンには2度従軍経験があるのですが、現地で雇った通訳者たちがタリバンの報復対象になっていることを憂えたのです。そこで自ら活動を始め、アフガン通訳者にイギリスへの亡命権を認めるべきだと主張しました。そして5万5千人以上の署名を集め、その嘆願書をキャメロン首相に手渡したのです。

このニュースを知ったとき、同じ「言葉を訳す人間」である私は大きな衝撃を覚えました。自分は身の危険を感じることなど一切ない通訳現場で安心して仕事をしている。なのに、世界には言葉を訳しただけで命を狙われる人がいるのだ、と。

私一人で達成できることは小さいかもしれません。けれども今、社会に対してどのようなことができるかを考えること。これこそが、豊かな国に生きる私たちに求められているのではないか。そのように私は感じています。

(2013年11月4日)

【今週の一冊】

「放送記者、ドイツに生きる」永井潤子著、未来社、2013年

今回ご紹介するのはドイツの放送局ドイチェ・ヴェレで長年放送記者を務めた永井潤子氏の自伝。たまたま未来社のPR誌に紹介が出ていたので入手した。

私は1970年代にイギリスに暮らしていた。当時はインターネットもなく、日本からの情報は1週間遅れの新聞と1カ月遅れの雑誌だけ。現地校に通っていた私はひどく日本語に飢えていた。自分の手持ちの本や雑誌を読み倒してしまうと、あとはもう両親の日経新聞しかない。内容は政治や経済で難しすぎる。けれどもむさぼるように日本語の活字を追っていた。

そしてもう一つ、「ライフライン」のような役目を果たしたのが短波ラジオの日本語放送である。今のようにネットラジオなどないので、短波が受信できるラジオを手に入れ、ザーザーピーピー雑音が入る中、ダイアルをゆっくりゆっくり回しては、目的とする放送局を探すのである。私が聞きたかったのはNHKのラジオジャパンであったが、アフリカのガボンを経由しているはずの放送は全く入らない。失望の日々が続いたある日、偶然にも日本語放送が聞こえてきたのである。その局名がドイチェ・ヴェレであった。

私が聞いたのは確か土曜の午後だったと記憶している。日本人学校補習校の授業が午前中にあり、帰宅してラジオをつけ、ケルンからの日本語を必死に探す。今となってはどのような内容だったか詳しく覚えてはいない。けれども自分や友人の親、そして補習校の先生以外の大人が話す日本語というのはとても印象的だった。

当時、受信記録を放送局に送ると「ベリカード」というものがもらえた。Verification Cardの略語で、こちらが「○月○日に△△メーターバンドの□□メガヘルツで聴きました」と書いて送ると、放送局のロゴやデザインが描かれたカードが届くのである。これが実に魅力的なのだ。そこで私はドイチェ・ヴェレに受信記録と番組へのお手紙を送った。すると数週間後にベリカードが届いただけでなく、番組内でも紹介されたのである。本当に嬉しかった。

あのとき私の投書を読んでくださったのが永井氏なのかどうかは分からない。けれども永井氏が制作した番組を子どもなりに耳を傾け、救われる思いを抱いていたのである。そしてどういうめぐりあわせか、大人になった私は放送通訳という、言葉を用いる仕事に携わるようになったのである。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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