INTERPRETATION

第584回 英語で達成感を抱くとき

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

世の中にはたくさんの学習法がありますよね。ネットで「英語学習」「通訳訓練」などと入れると山のように出てきます。デジタル以前の時代であれば、書店に行ってその道の達人と言われる方々の学習法を参考にしたものでした。ちなみに私は学生時代に松本道弘先生の著作に多大な影響を受けたことがあります。先生の私塾に通いながら、ディベートや同時通訳の訓練を仲間と共に受け、学生や社会人など多様なバックグラウンドを持つ方たちと切磋琢磨したのでした。今、私がこの仕事をこよなく愛して続けていられるのも、先生や先輩・仲間の方々のお陰です。

大阪で生まれ育った先生は日本を一歩も出ることなく、独学で英語力を高めました。大卒後は商社に入るも英語の勉強を続けていったのです。のちに東京のアメリカ大使館で西山千先生から厳しいトレーニングを受けながら同時通訳の仕事を本格化させます。さらにNHKテレビでも英語講座を担当されました。

先生の英語に対する考えは実にユニーク。中でも印象的だったのが、当時の英検ブームについてです。まだTOEICが主流になる前でした。いわく、
「英検1級を取得したとたん、人は安心して勉強をやめてしまう。そしてあっという間に英語力が落ちてしまう」
とのこと。つまり、学びというのは一生続くものであり、何かを獲得したから終わりというものではないのですね。当時の私はシャカリキになって英検1級を目指していましたので、この言葉はとても心に響いたのでした。

あれからずいぶん年月が経ち、先生は昨年、鬼籍に入られました。いつもパワフルなお姿だっただけに教え子たちは衝撃を受けました。一方、先生の膨大な著作は今なお読むことができます。朝日出版社の「月刊CNN English Express」では先生亡き後も連載が続いています。先生の英語に対するアプロ―チは独特でしたが、むしろ今、時代が先生に追いついたと言えるのでしょうね。

英語であれスポーツや芸術であれ、「ここまで取り組めば終了」というものは無いように私は思います。やればやるほどその奥深さが見えてきます。そこに魅了されるからこそ、学びや訓練が楽しくなってくるのです。資格試験に合格することは、自分の現在の立ち位置を量的に測定する上で役立ちます。しかし、それが絶対的指標ではありません。自分なりの目標を掲げてさらに上を、あるいは深さを目指していくことに醍醐味があると私は思います。

ちなみに先日のこと。イギリスの銀行から手紙が届きました。私は留学および駐在中に現地で銀行口座を開いてそのままにしているのですが、最近、銀行内のルールが変更したそうです。手紙には「あなたの口座は今年末で閉鎖する。よってしかるべき手続きを取ってほしい」とのこと。突然の内容に驚きましたが、規則であれば仕方ありません。早速、当方の状況や確認内容をしたためて手紙を書いたのでした。このメール全盛時代でも、先方がメールアドレスを記載しておらず、snail mailというのは何ともまどろっこしいのですが、これも経験。数時間かけて書いた手紙には、「そちらの状況はわかりました。でも、あまりに唐突で一方的な宣告に私としても戸惑っています」という旨を記しました。

何度も推敲を重ねて書き上げると、とうに1時間は経過。でも自分なりに納得のいく手紙が完成し、達成感でいっぱいになりました。思えばイギリス在住時代、complaint letterを結構書いたなあと苦笑い。でも、こうした「やり切った感」も自分に清々しさをもたらしてくれます。英語のお陰です。

(2023年5月2日)

【今週の一冊】

「ウクライナの料理と歴史」オレナ・ブライチェンコ他著、田中裕子訳、2022年

一つの国を知る上で参考になるのは、その土地に根ざした慣習や文化です。中でも料理は国民性を垣間見る上でとても興味深いトピック。私自身、CNNニュースでどこかの国が出てくると、その国特有のレシピを検索し、自分で料理することがあります。実際にその土地を旅できなくても、日本で買える食材を使って調理してみる。そこから思いを馳せることができます。

今回ご紹介するのはウクライナの料理本。全編カラーでメインディッシュからデザートまで幅広く掲載されています。どのメニューも美しくおいしそうです。中でも私の目を引いたのが「トマトサラダ、フツルのブリンザチーズのせ」(p77)。赤トマトやイエロートマトをレイアウトし、チーズをのせて塩コショウというシンプルな一品です。ブリンザチーズとは羊乳からできたチーズのこと。ウクライナが牧羊国であることがわかります。写真のレイアウトを参考にしながら市販のチーズで代用できます。

素晴らしい食文化を有するウクライナ。一日も早く人々の暮らしが安寧になることを願っています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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