INTERPRETATION

第582回 月並みだけど

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

かつては日経新聞を長年愛読していたのですが、思うところあって数か月前に読売新聞に切り替えました。クイズや英語関連の記事、レシピや地域の話題などが満載で、気軽に読めるのが嬉しいところです。特にお気に入りは「人生案内」というお悩み相談コラム。読者が様々な悩み事を寄稿し、識者が回答を寄せます。調べたところ、1914年から続いているそうです。

数日前、若い女性の悩みが私の目を引きました。相談者いわく、親族の同年代の女性から「人生において夢が無いのはおかしい」と批判されてしまったとのこと。彼女自身は取り立てて夢や目標が無いまま今まで生きてきたものの、このようなことを言われて悩んでいたのでした。

夢や目標。

書店に並ぶ自己啓発書にもよく取り上げられているテーマです。私自身、そうした書籍が好きで、ずいぶんこれまで読み漁ってきました。目標を設定し、長期・中期・短期目標に分解し、日々のやる事リストを作成してそれを実践する。そうすればいずれ大きな夢も実現可能と言われます。かつての私はそうした生き方が好きでした。日々に張り合いが出て、目指すべき方向があると生きていきやすいと思ったからです。

しかし、最近はこの考えからシフトしています。それは私自身が痛い思いをしたからなのですね。あまりにも猪突猛進してしまったがために、肝心の「今、目の前の事」がかえっておざなりになったのでした。身近にいる大切な人の存在はわかっていても、自分の目標がややもすると優先してしまったのです。常に心の中があくせくしていて、「今、この瞬間」の小さな幸せよりも、先の事ばかり考えていました。かと思えば、過去を振り返って猛省したりという具合。心ここにあらずで、「先」か「過ぎ去った事」にばかり視点が行っていたように思います。

いわゆる世に言う「成功者」たちのメソッドに従わねば、という考えがあったのかもしれません。もちろん、人生の一時期、自分なりの夢を追求するのは素晴らしいことです。でも、皆が皆、そうした生き方をするのが良しという風潮が強すぎると、それに違和感を覚える人たちは苦しくなってしまいますよね。近年、「誰一人取り残さない」というフレーズが好んで使われますが、これはSDGsに限らず、個人の価値観や生き方においても適応されて良いのではと私は考えます。

人生の折り返し地点を過ぎた私は、「通訳者」「講師」という仕事を通じて、ささやかながらもどのようなことを社会に提供できるのか、思いを巡らせています。月並みではありますが、目の前の一つ一つの仕事を丁寧におこないたいと思うのです。私に思いやりを示してくれる家族や大切な人たち、仕事を通じて知り合った素晴らしい方々と、これからも誠意あふれる交流をしていきたいと願っています。

(2023年4月18日)

【今週の一冊】

「アルバニアインターナショナル」(井浦伊知郎著、社会評論社、2009年)

アルバニアとは、ヨーロッパ南部にある国。長年社会主義国家として存在し、「ヨーロッパの北朝鮮」とまで言われるほど、閉鎖をしていた国です。そのアルバニアは開国を遂げ、大いに変化してきています。私は数か月前にアルバニア政府関係者の通訳をしたのですが、実にユーモアたっぷりのプレゼンにすっかり魅了され、アルバニアに興味を抱くようになりました。

本書はそのアルバニアについて記したもの。実はアルバニア関連の本はまだまだ日本では少ないのが現状です。かつてはねずみ講が社会問題になったほどの国ですが、そこから復活し、今や魅力がたくさん。日本との接点もあります。写真もふんだんに掲載されており、見ごたえたっぷりの390ページという大著です。

今は緑豊かで環境に優しい国へと変貌を遂げているアルバニア。いつか行ってみたいです。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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