INTERPRETATION

第579回 頑張り過ぎの弊害

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

いわゆる自己啓発本でそれぞれ共通しているのは、「願えば叶う」「頑張れば報われる」「自分らしく生きていく」「時間を味方に付けて効率化を図る」などです。もし自分の中に「将来ゼッタイにやりたいこと」があるならば、上記の方法はとても効果があるでしょう。なぜなら目の前に置かれた道の先にはハッキリとしたゴール、つまり目標が明らかに存在しているからです。目的地から逆算して、いつ、何を、どのような手順で実施すればそこに近づけるかを考えるのは楽しいことですし、ワクワクしますよね。歩み続けるほど着実にゴールは近くに迫ってくるのです。

でも、そうした「頑張り」というのも表裏一体だと最近の私は思います。私の場合、昔から国際会議同時通訳者を目指していたわけではありません。10代の頃はツアーコンダクターに、20代前半はジャーナリストに憧れていました。大学時代、通常の語学クラスが今一つだったため、たまたま履修したのが「通訳」の授業。そこで初めて通訳の世界に出会い、ダブルスクールで外部の学校にも通い始めました。しかし、その時の位置づけはあくまでも「より高度な英語に触れるため」。本格的に通訳の世界に入ったのは留学後のこと。修士号を終えて帰国するも仕事にありつけず、恩師から通訳業務を紹介されたのがきっかけでした。

けれども、この仕事は私にとって生きがいとなりました。何しろお金を頂きながら未知の分野について勉強するチャンスを得られるのです。事前準備はハードですが、努力すればするほど、それが当日の訳出に反映されます。他者による評価ではなく、通訳をしているその瞬間に、自分の頑張り度合いが計量できるのです。セルフ人事考課ができる、そんな仕事と言えますよね。もっとも、裏を返せば、準備不足や難易度が高い案件の場合、他者に指摘されなくても自分の実力不備を目の当たりに付きつけられるのもこの仕事です(笑)。

さて、今回のタイトルは「頑張り過ぎの弊害」。みなさんは普段どれぐらい公私面で頑張っておられますか?私の場合、小さい頃から集中して取り組むのが好きなタイプでした。たとえば定期試験でも「頑張る→テスト結果で好成績をおさめる→結果に喜ぶ→努力は裏切らないと再認識する→成功体験となる→同じ手を次の状況でも用いる」というサイクルが出来上がったのです。この循環を得たお陰で、通訳準備にも役立ちました。

ただ、このメソッドに味を占めてしまったからでしょう。色々な面で効率化や正解を求めることがデフォルトになってしまいました。たとえば日中ちょっと疲れたなと思っても、「横になって寝てしまうと夜に眠れなくなり、睡眠サイクルが乱れる」という健康関連記事を思い出してしまう。そして体がくたくたでもベッドには入らず、ソファにも寝転がらず、机に突っ伏して10分寝るのが正解などと決めてしまうのですね。よって、うたた寝したり寝落ちしたりすることに、妙な罪悪感を抱いてしまいます。

他にも、「お金は無駄遣いせずコツコツと貯めることが正しい」との考えに縛られ、店頭で「あ、欲しいな」と思っても、心の中でブレーキを踏む自分がいます。頭の中では「ほんとに買うの?もったいないでしょ?家にある〇×▽で代用できるよ」「買ってもすぐ飽きちゃうよ」「モノを増やしてどうするの?」などという声がこだましてしまいます。棚の前でその商品にトキメキを覚えても、脳内ボイスが大音量でそのワクワク感をかき消してしまうのです。世間ではこれを「お金に対するメンタルブロック」と呼びます。

なぜこのようになるのでしょうか?実はコレ、幼少期から大人になるまでの間に刷り込まれた考えが大きく作用しているからなのですね。育つ過程において見聞してきた価値観、とりわけ親の言動が無意識の形で子どもの潜在意識に形成されるためと言われています。当の親は意図的にそうした価値観を埋め込もうとしたとは限りません。しかし、親が知らず知らずに口にしていた内容は子どもの中で巨大な行動基準となるのです。

私の場合、「頑張りすぎ」の部分については、親から認められたい一心で行動していたと最近気づきました。お金のメンタルブロックも、やはり親がお金に対してそのような価値観を抱いていたと再認識しています。もちろん、そうした価値基準に私自身が違和感を抱いていないのなら、このままそれで生きていくのもありです。しかし、この行動規範が自分を縛り付けてしまい、息苦しいと思うのなら、それは「弊害」というもの。今こそ軌道修正に踏み出す時です。

頑張り過ぎの弊害でぐったりヘロヘロになりやすくなった昨今の私は、目下、試行錯誤でそれを変えようとしています。なかなかチャレンジングです。通訳準備同様、エンドレスです(笑)。

(2023年3月28日)

【今週の一冊】

「口に出せない気持ちをわかってほしい 思春期の女の子が親に求めていること」(中野日出美著、大和出版、2018年)

先週に引き続き今回も中野日出美さんの一冊。前回の本は「愛着障害」がテーマだった。本日ご紹介する書籍は女の子の育て方をメインに綴られている。

私自身は「思春期」をとうに過ぎているが、自分の生き方を見つめ直すうえで本書はとても参考になった。人間の価値観や潜在意識というのは、実は幼少期の育てられ方から影響を受けている。しかし意外にもそれが人生後半になって浮上してしまい、息苦しくなることがあるのだ。その理由を知る上で、とても参考になった。

本書は「思春期の女の子が抱えがちな問題」として「心と体」「人間関係」「勉強」「親子関係」「危険行動」の5つを挙げている。この5分野をしっかりと把握し、親子の信頼や愛情を築くことがいかに大切かわかる。

中でも私にとって考えさせられたのが「親思いで反抗もせず、家の手伝いもよくしてくれる」(p134)というタイプの女の子。そうした子はいわゆる「いい子」である。たとえば、親の愚痴をひたすら聞いてあげるカウンセラーのようなことをしたり、両親の夫婦喧嘩の仲裁をしたりというもの。その結果、思春期の女の子は「親の役に立つことによって初めて、存在価値がある」「自分が親を幸せにしなければならない」(p136)との思いを強くしていくのである。これを読み、まさに私のことだと思わず膝を打った。

年齢を問わず、人はときおり人生で立ち止まったり戸惑ったり、あるいは大いに力強く歩を進めたりということを繰り返していく。ただ、その根底には自分自身が育ってきたプロセスが影響を及ぼしているのも事実。本書を読むと、たとえ難しい親子関係であっても修復に遅すぎることは無いことがわかる。と同時に、大人も自分自身の心を振り返り、自分の心を育み直すことが大切なのだと気づかされる。子どもの有無に関わらず、自らを見つめ直したい人にぜひとも読んでほしい一冊。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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