INTERPRETATION

第574回 通訳資料はホトトギス

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

まずはこちらのハイキャリア「不朽の名作」から:
https://www.hicareer.jp/inter/mariko/17207.html

現在、出版翻訳家として活躍されている寺田真理子さんの「マリコがゆく」。第一回の『そんな紙切れが、こんなにほしいの』をぜひご覧になってから、以下の続きを読んでくださいね。
***
マリコさんがお書きの通り、私たち通訳者にとってライフラインとなるのが「資料」。事前に頂けるか否かで当日のパフォーマンスは劇的に違ってきます。私自身、これまでの業務を振り返ってみると、

「資料は一切ありません」

と言われて現地入りするや、

「イラッシャイマセ~」と言わんばかりの状態でデスクに山のような資料が置かれていたことも。

一方、エージェントのコーディネーターさんが必死にクライアントさん(の窓口。別会社だったりする)に頼むも、なかなか得られず、当日になり、

「シバハラさん、申し訳ないです!!資料、届いてないです」

と開口一番。もっとも、私の方も長年この仕事をしてきましたので、さほど驚かず、

「わかりましたっ!ベストを尽くします」

と開き直るしかありません。が、いざ開演するや通訳ブースから見えるのは、原稿をしっかと手にして登壇なさるスピーカー。第一声からマシンガンで原稿読み上げスピーチ展開へ。これも割と(いや、結構?)あります。「通訳業界あるある」です。

さて、ここで問題。いよいよ明日に迫った大事な国際会議。資料は届いていません。さあ、皆さんなら「いつまで」資料を待ちますか?以下からどうぞ:

A 重量級セミナーなので、とにかく届くまで起きて待つ
B 明日は長丁場の通訳なので、24時までは待つ
C 通訳は体力勝負!さっさと22時には寝て、明日少しだけ早起きする

この選択肢、実に迷います。デビュー当時の私は「A」でした。とにかく不安でたまりませんでしたので、取り組めるうちに予習しておきたかったのです。万が一、翌朝にどさっと資料が来たら準備時間不足となるからです。実際、このケースで夜通し準備をしたことがあったのですが、翌日のパフォーマンスに響きました。午前中は良くても、昼食後にガクンとアウトプットの質が下がるのです。

これではいけないと反省し、次からは(しかもこのようなケースはしょっちゅうあり)、「B」へ。とりあえず24時まで待って、来なければ寝る。そうすれば6時間ぐらいは睡眠確保できます。しかし!「まだ来ない」「まだ来ない」と思うにつれて、心拍数が上がってしまい、寝付けなくなってしまったのです。ベッドに入った以上、今更起きてPCを開けるのも何ですし、でも寝なきゃいけない、でも眠れない。翌日は頭がさえずに起床。ボーっとしたまま現地入りで、やはりパフォーマンスがイマイチとなったのでした。

で、行きついたのが「C」。「来ない?じゃ、いつも通り22時に寝よう」と達観するようになったのです。日頃CNNの早朝シフトで22時就寝が定番になっているため、ただでさえ夕食後に眠気襲来。そこで普段通り寝て午前4時(これもCNNシフト時の起床時間)に起きれば、出発まで2時間は予習できます。つまり、いつも通りの生活・睡眠サイクルのままで過ごせるわけです。たとえわずか2時間でも、精いっぱい集中して準備できるのですね。

この「通訳資料待機状態」、何かに似てるなあと思ったところ、例の武将のホトトギス句。そこで以下、通訳者バージョンをどうぞ:

「来ないなら 来させてみよう 通訳資料」

「来ないなら 来るまで待とう 通訳資料」

「来ないなら さっさと寝よう 通訳資料」

・・・開き直る、という観点で見ると通訳者は織田信長??

(2023年2月21日)

【今週の一冊】

「カリグラフィーのすべて 西洋装飾写本の伝統と美」(パトリシア・ラヴェット著、高宮利行監修、グラフィック社、2022年)

かつて留学していた頃、ロンドンの大英博物館でカリグラフィー講座に参加したことがある。文字はアラビア語。先生が私の名前をアラビア語で書いてくださり、それを模写して練習するという講座だった。右から左へと綴られていく自分の名前が、まるで芸術装飾品のように見えたことを覚えている。と同時に、「相手の言語がわからないこと」というのは、これほどにも情報遮断状態になるのだなと思った。

今回ご紹介するのは西洋のカリグラフィーを取り上げた一冊。聖書の一節などを書き写すことで知られる手法だが、実に奥が深い。今のように筆記用具が充実していなかった古代では、葦のペンや鳥の羽を用いたペンが使われていた。時代とともに変化を遂げるのだが、特にカリグラフィーの世界で大きな貢献をしたのはエドワード・ジョンストン。20世紀初頭に書き方を確立させている。ペン先の角度や、保持の仕方など、細かく定めたことが本書からはわかる。日本の書道も同様のお約束事があることを考えると、「書」の世界はある意味共通項が多いのかもしれない。

中でも私のお気に入りはドロシー・マホニ筆の「タウン・ハウスの地図」。比較的新しい1976年の作品だ。これはイギリス・ケント州にあるWrothamの街地図を描いているのだが、のどかな住宅の絵と共に表されている。グーグルマップで現在の地図を調べてみると、このカリグラフィー作品とほぼ同一であることがわかって楽しい。

ちなみに私は書道も筆ペンもニガテ。冠婚葬祭の記帳など、とてつもなく幼稚な文字になってしまう。長年通訳の仕事を続けたからか、書くのも速さだけが取り柄である。本腰を入れてペン習字を習おうか真剣に考えているところだ。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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