INTERPRETATION

第565回 「ちいかわ」に学ぶ

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

指導の場に身を置くようになってから年月が経ちました。どのようにして受講生たちを見守るべきか日々考えるようになっています。というのも、かつて私自身が通訳者デビュー前に抱いたような悩みや行き詰まりに直面している人たちが少なくないからです。元・経験者としては「こうすれば突破できる」「これが最短メソッド」など、実体験をお話したいなと思うこともあります。

けれども、それらの方法は私がその当時に置かれた環境やライフステージから生まれたものです。万人には当てはまりません。ヒントはお伝えできても、他者が私のコピーではない以上、寄り添い見守る大切さを常に意識するようにしています。

「見守る」ということ。これは容易なようでいて実は難しいと私は考えます。相手の悩みを聞けば、体験済みの自分はその様子が手に取るようにわかります。だから余計アドバイスをしたくなってしまうのです。立ち往生している大切な人を早く助けてあげたいという思いもあります。

しかし、親切心も行き過ぎれば当人にとっては重荷になります。気持ちが弱い状況の者は、プラスのエネルギーを持つ人から元気をもらいたい反面、そのポジティブマインドが本人にとって押しつけとなり、かえって行動しづらくなるかもしれません。

私の好きなコミックに「ちいかわ」があります。ツイッター上で話題になったものです。その中の「草むしり検定」で私は多くのことを考えさせられました。

このエピソードに出てくるのは「ハチワレ」と「ちいかわ」という友達同士。ちいかわは報酬アップを目指して草むしり検定5級に合格するため、勉強を始めました。それを知ったハチワレも、「一緒に合格して二人で報酬を上げよう」と考え、ちいかわには内緒で勉強を開始します(ちなみに本作でセリフがあるのはハチワレだけで、ちいかわの心境はハチワレがそのセリフの中で代弁しています)。

ところが合格発表時、受かったのはハチワレだけ。しかもハチワレ本人は、不明個所を適当に答えた末での、いわばまぐれ合格。それに対し、猛勉強したちいかわは不合格でした。会場からの帰路、ハチワレはちいかわに「・・・だ・・・」と語り掛けます。「大丈夫、次に頑張ろう」と励ますつもりでした。しかし、結局声をかけることができなかったハチワレは言葉を呑み込み、ちいかわの隣を歩くしかできませんでした。

帰宅後のハチワレは食事をとろうとするも、胸が詰まり食べきることができません。「同じ気持ちじゃないとき・・・どうしたらいいんだろう・・・」とつぶやいて床につきます。

翌朝、ちいかわがハチワレの家にやってきました。ハチワレに合格祝いのプレゼントを持ってきたのです。感激したハチワレは、自分だけが合格して、大切なちいかわが不合格だったことが頭にあるだけに、戸惑いながらもお礼を言います。そして、しばらく言いよどんでから、「・・・ご・・・」と言いかけます。おそらく「ごめんね、自分だけ合格しちゃって」と内心言いたかったのでしょう。

するとちいかわは、5級テキストをハチワレに渡します。次の合格に向けてハチワレに「ここから出題して特訓してほしい」という思いでした。ハチワレは快諾します。ちいかわの思いを汲んだハチワレは、涙ぐみつつもその表情を悟られないようにテキストで隠し、出題をしていきます。結局それからしばらく後にちいかわは再受験しますが、またもや不合格。それでもハチワレは「何回でも・・・ずっと応援するからね!!」と伝えます。

あらすじはこのような感じです。

私がなぜこのエピソードに心を打たれたか。それは悩める相手に不要な助言もしなければ自分の苦労話もせず、さりとておごることもなく、うわべだけの激励などもしないハチワレの姿が印象的だったからです。つまり、苦しむ相手に対して言葉数を増やすのではなく、むしろそれを控える。ただただ寄り添う。それが当人を勇気づけることにつながる、というのが私の読後感でした。

指導というのは知識の伝授ももちろん大事ですが、それ以上に寄り添い、見守り、相手をただただ信じることなのだと思います。ちいかわの世界からそのことを教えられたエピソードでした。

(参考文献:「ちいかわ2」ナガノ作、講談社、2021年)

(2022年11月22日)

【今週の一冊】

「こんな数学だったら絶対に嫌いにならなかったのに」ICU高校数学科著、アチーブメント出版、2022年

かつてイギリスの小学校に通っていた頃の私は英語がまったくできず、自己存在感を示せるのは数学と音楽の時間だけだった。当時はまだ数学の授業内容も難易度が高くなく、太刀打ち出来ていたのだ。

しかし、中2で帰国して図形証明問題などが出てきたあたりからだんだん怪しくなってきた。そして高校入試直後に「有理数・無理数」が表れるやとうとう後れをとることに。以来、理系科目からすっかり離れてしまった。一方、通訳デビューしてからは財務や最先端技術など理系分野が多数。もっとしっかり勉強しておけばよかったと思う。

今回ご紹介する本に登場するのは、数学の入試問題が特徴的なことで知られるICU高校。実は私自身、卒業生であり、本書に出てくるような数学問題の「洗礼」は定期テストでたくさん受けてきた。

何しろ数学試験なのか国語の長文読解なのか見分けがつかないぐらいのテストなのだ。私など頭から数学ニガテ人間なので、テストでは文章を読む途中で挫折してしまい、毎回赤点であった。でも、今、こうして本書をめくってみて、もっとまじめに取り組んでいたらきっと数学ワールドを満喫できる人生になっていたのではと感じる。

中でも印象的なのが、いかに初代校長先生がおおらかであられたかということ。私の頃の校長先生だ。開校を控えた当時、数学科の先生が数学入試問題を校長に見せると、「これ、いいですね。きみの案でいきましょう」(p3)と言われたのだそうだ。「真のリーダー」は部下を信じて任せる。これに尽きるのだ。

校長先生は、私たち生徒のことも心から信じておられた。細かいことはおっしゃらず、生徒の自主性に任せ、いつも温かく見守ってくださった。だから私たちは校長先生が大好きだった。

本書の「はじめに」と巻末の「座談会」を読むだけでも、リーダーシップや組織運営がわかる。オススメの一冊。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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