INTERPRETATION

第563回 結局は見守ること

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳や指導の仕事をしていると、受ける質問として一番多いのは「勉強法」です。この中には、通訳者になるための学習法を始め、英語検定関連の得点アップ法についてのお尋ねもあります。皆さんそれぞれ工夫をされつつ伸び悩みを感じてしまう。あるいは、通訳者デビューをしたいものの、なかなかそのチャンスが到来しない。そのようなことで悩んでおられるのですね。

まだ私自身が若かったころにこうしたご質問を受けた際には、それこそ一生懸命アドバイスをせねばと思っていました。私自身がトライした学習法や活用したテキスト、一日の勉強時間捻出法からタイマーなどの便利グッズなど、少しでも学習者のお助けになればとお話していたのです。

でも、ある時からこの方法をやめました。それは私自身が数々の自己啓発本やハウツー本を読んだ結果、以下のような考えに至ったからです。

「私はこの著者本人ではない。だから、私にはすべてが当てはまらない。」

これは大きな発見でした。著者の本には数々のヒントが満載です。ネットで「○○ハック」と題するページを見れば、参考になることが多数書かれています。でも、そうしたことすべてを吸収するのは難しい。なぜなら私はその著者と全く同じライフステージでもなければ、同様の価値観や環境に置かれてはいないからなのですね。

以来、学習相談を受けた際には、こちらからの助言を吟味するように意識しています。学習者が「○○というテキストを一日△△時間やってみたけれど、伸び悩んでいる」という具体的な方法をおっしゃれば、私の方もそれに即したアドバイスができます。でも、「おすすめのテキストは?」といった漠然とした質問については、原則として「公式問題集」と答えることが多くなりました。実施機関が発行しているものなら一番間違いがないからです。

「質問する」という行為は、それだけでも勇気あふれるものだと私は思います。たった一人で悶々と悩むのではなく、「その道をすでに歩んでいる人に尋ねてみること」は、一歩踏み出したことを意味します。大いなる進歩です。よって、すでにご質問者はそのように歩み始めたことで、ある程度の「答え」や「方法」をご自分の中で構築されていると私は思うのです。その具体的方法がたとえまだ顕在化していなくても、きっとそう遠くない将来に、その方は飛躍されると私は信じています。よって指導者である私は、相談者の話をじっくり聞く。否定しないで耳を傾ける。すると質問者も前向きのエネルギーを感じ取っていくのではと思うのです。

私が敬愛する慈善活動家の故・佐藤初女先生は、手料理を通じて悩める人に寄り添っておられました。青森・岩木山麓で先生が運営しておられた「森のイスキア」には、全国各地から先生を慕う人が訪問されています。先生に苦しい胸の内を明かし、心のこもった手料理を頂き、再び生きるちからを得た人は多数おられたそうです。先生は、そのような方々の話をただただ聞くことに専念しておられ、助言は一切なさいませんでした。「答えはおのずとその人の中から出てくる」というのが先生のお考えだったのです。

私の恩師や友人に、「人の話を聴くこと」が非常に素晴らしい方がおられます。「聴」の漢字の右側は「徳」と同じであり、「聴」は「徳をもって耳を傾ける」、つまり、「徳のある人は、他者の話をよく聴く」という意味です。こちらの話だけで白黒の判断をしない、尋ねられない限り自分の体験談をしない、ただただ目を見て頷きじっくりと聴く。そのようなことが自然とできる方々に、私は随分支えられてきました。

悩みを抱えている人に対して「何かをして差し上げたい」というのは貴いことです。でも、それも踏み込み過ぎるとかえって相手にとっての重荷や押しつけになりかねません。私自身、これまでの学習相談から多くのことに気づかされ、どのようにすれば学びのきっかけを感じていただけるか試行錯誤を続けています。

ベストな方法は結局のところ、寄り添いの心で「見守ること」なのでしょうね。

(2022年11月8日)

【今週の一冊】

“Edgy Architecture: Living in the Most Impossible Places” Agata Toromanoff著、Lanoo Books, 2019

テーマを決めて歩くのが最近気に入っている。「空の青さ」「一軒家のお庭に育てられている花々」「シェア畑に青々と実っている野菜」という具合。自然の豊かさが心を癒してくれる。

もう一つ興味があるのが「建物」。近年は狭小住宅が多く、隣家の話し声が丸聞こえになるのでは、とつい老婆心で心配してしまう。でも、自分の家というのは、やはり格別だと思う。かつて実家が一軒家で今はマンション住まいの私にとっては余計そう感じる。

今回ご紹介するのは「まさかこんな場所に?」という場所に建てられた家の写真集。たとえば26ページに載っている中国・休寧県。窓から見える山や木々はまさに水墨画の世界だ。そんな借景を抱いたモダンな家がある。一方、スペインのサロブレーニャにある邸宅は屋根も屋内も波打っており、眼前の海を彷彿させる。

海外の場合、戸建てにプール付きというのがステータスなのだろう。これが日本の場合、やはり露天風呂付になるのだろうなと想像しつつ楽しめた一冊だった。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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