第561回 「先にやっとけば・・・」
私の一年間は、指導している大学のカレンダーを軸に動いていきます。日本の大学は4月始まり。ヨーイドンで4月に大学や通訳スクールの授業が開始。レギュラーの放送通訳のほかに会議通訳もスポットで入ります。よって、春は加速度的に忙しくなり、息切れし始めたころに夏休み突入です。
かつて大学の授業は90分15週間がメイン。でも近年、100分14週間が増え、私の出講先も14週です。よって、7月中旬から9月下旬までが長い夏休みとなります。春休みは1月中旬から4月上旬までです。
通訳や執筆、その他の業務も請け負っているため、「夏と春の長期休暇=私のお休み」とはなりませんが、それでも一息つけるのはありがたい限り。その時期に翌学期の教材研究をしたり、通訳訓練(自習)をしたりすることで、即応体制がとれます。
しかし。
現実はそうとはならないのですよね。大学の授業に関しては、使用テキストこそあらかじめ決めますが、実際の教材研究は授業が始まってから。長期休暇中に取り組みたいと思ってはいるものの、授業開始後に学生たちの雰囲気やレベル、個性などがわかってからの方が、授業計画を立てやすいのです。
一方、通訳自主練についても同じ。余裕のある時期に日英、英日のトレーニングをすることこそ、良きプロダクトにつながるというもの。でも、私の場合、実際の業務があてがわれて初めて、モチベーションや集中力が湧きあがってくるのです。「他の通訳者さんたちはちゃんとトレーニングしておられるのだろうなあ」と自省をしつつ。
では、繁忙期で授業や通訳業務が立て込んでいる時なら、「即」取り組んでいるかと問われれば、私の場合、実は現実逃避がかなり大きい。頭の中でやるべきことはわかっていて、しかも手帳にはTo Do Listもあります。なのに掃除洗濯片付け料理作りなどに勤しんでしまうのです。先日など、引き戸のガタガタ騒音を何とかしたくなり、戸車にオイルまでさしたほど。おかげで音は静かになるわ、家の中はきれいになるわ、お料理もできたわで大進歩でした。家事は、です。
これ以上、家関連で「やるべきこと」がなくなると、さあ、あとは在宅ワークに戻るだけ。もはや選択肢は他にありません。ようやくデスクに向かい、仕事を始めます。
でも、いつも思うのですよね。仕事準備や通訳トレーニングを始めてみると、
「こんなに楽しいんだったら、家事よりもこちらを先にやっとけば良かった。」
この繰り返しです。めげずに頑張ります。
(2022年10月25日)
【今週の一冊】
「悲しみとともにどう生きるか」入江杏編著、集英社新書、2020年
生きていれば人は悲しみや苦しみを経験する。これは誰一人例外ではない。そうした感情を抱くことそのものが「生きる」ということだから。
今回ご紹介するのは死別や離別をキーワードとした一冊。ルポライターの柳田邦男氏や作家の平野啓一郎氏など、計6名が登場する。編集されたのは入江杏氏。入江氏の妹君は、2000年末に起きた世田谷事件で家族ともども亡くなられている。迷宮入りしてしまったこの事件は、今なお解決されていない。
突然、凄惨な事件の被害者の「遺族」となった入江氏。その母親は、自分たち一家が事件にかかわりがあると世間から見られることを拒んだ。そして、それを娘である杏氏にも強いた。ゆえに杏氏は長年、苦しみを癒すことができずにいたと言う。
本書はそれぞれの登壇者が悲しみとどう向き合ってきたかが書かれている。入江氏は言う。
「何をはばかり、畏れて、自らの苦しみや悲しみをなかったことにしなくてはならないのか?」(p8)
「悲しみから目をそむけようとする社会は、実は生きることを大切にしていない社会なのではないか。」(p10)
日本社会はややもすると、「悲しみに耐え抜き、克服すること」が良しとされがちだ。でもそれができる人はごく少数派である。正々堂々と悲しみや苦しみを吐露できる社会であってほしい。
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