INTERPRETATION

第132回 誠意とおもてなし

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

オリンピックの東京開催も決まり、一気に日本も前に向いて行こうという雰囲気が感じられますね。私は開催決定日の朝、放送通訳の早朝シフトでした。朝5時過ぎの電車に乗り、携帯ラジオのイヤホンをつけながら行方を追っていたのです。招致が決まった瞬間、車内を見渡すと、スマートホンで同様にニュースを見ている人がいました。小さくガッツポーズをしている人もおり、同じ車内で喜びを分かち合った瞬間でした。

さて、そのオリンピック招致で一躍脚光を浴びたのが「おもてなし」という言葉です。環境活動家ワンガリ・マータイさんの「モッタイナイ」同様、この言葉が今後は注目されることでしょう。そこで今回は私が考える「おもてなし」と「誠意」について綴っていきます。

数か月前のこと。双方の両親を交えて娘の誕生会を開きました。場所は近所のステーキ店。全国に複数の店舗を有する老舗です。本格的なお料理を味わえるため、お祝いの日にはこれまでも利用してきました。

ところが今回はサービスが必ずしも期待通りではなかったのです。スタッフさんに笑顔はなく、注文を間違えたり、ドタドタと歩き回ったり、周囲のテーブルでは後片付けがなされていなかったりと、雑然とした印象でした。お誕生日の場合は写真撮影サービスが着席直後にあります。しかしそちらも完全に忘れられていました。極めつけはデザートのソフトクリームで、ほぼ溶け切ったものが出てきたのです。

多少の事には目をつむり、穏やかに食事をしたいと思うのですが、さすがにここまで積み重なるのは問題だと考えました。主人がマネージャーさんにやんわりと指摘したのですが、埒があきません。わが家のように悲しい思いをするお客様が今後出てはいけませんし再発防止が必要だと考え、帰宅後に主人はホームページ経由でお客様センターにメールを送りました。

しかし、そのメールに関しては一切反応がないまま、半年近くが経過しました。そしてある日のこと、主人宛に1通のメールが届いたのです。開けてみると「お客様へ」という書き出しに始まり、そのお店がテレビの取材を受けたのでぜひ見てほしいという番組宣伝メールでした。おそらく主人のメールアドレスだけが先方に登録され、広告宣伝メーリングリストに載ってしまったのでしょう。これについても主人は早速、過日の顛末を記して返事を書きました。しかし反応はありません。

一方、上記とは正反対の出来事がありました。ある飲料メーカーの車内広告についてです。デザイン的観点から英語が添えられていたのですが、どう見ても綴りが誤っていたのです。国際的にも展開しているメーカーですし、車内広告であれば外国人も目にします。せっかくの評判が落ちてしまっては惜しいと思い、老婆心ながらそれを指摘するメールを私はお送りしたのでした。

すると送信当日にお客様相談室から返事が届いたのです。文面には日ごろのご愛顧への感謝とメールに対するお礼が綴られていました。そして「cがeに見える」という私の指摘に関しては、「確認したところデザイン上そう見えているものの、よく見れば正しいcになっている。しかし、スペルが見づらかったのは事実なのでおわびしたい」と書かれていたのです。「頂いた意見は真摯に受け止め、今後の広報宣伝活動に生かしていく」と結ばれていました。

先のステーキ店とこの飲料メーカーの対応の差に、私は大いに考えさせられました。何事も起きてしまった以上、時間を逆戻りさせることはできません。けれども何か指摘を受けたのであれば、それをどう受け止め、会社側はどのような誠意を持って対応するかにすべてがかかっていると私は思うのです。

私の中では先のcとeの綴りは、どう見てもやはり間違ったeが使われているように今でも見えます。けれども問題は誤植云々ではなく、その飲料メーカーが即座に対応し、誠意を持って答えて下さったことなのです。マニュアル的な「お客様へ」といったあて名ではなく、きちんと私のフルネームでメールを書いてくれたのです。

私はあの返事にすっかり感服し、そのメーカーのファンになりました。そして翌日の放送通訳シフトの際には迷わずコンビニでそのメーカーの飲み物を買ったのです。

夏季五輪を東京で開催するにあたり大事なこと。それは、「誠意」を見せることだと思います。素直な気持ちさえあれば、それは必ずおもてなしの心へと通じるからです。

(2013年9月16日)

【今週の一冊】

「アウシュビッツを一人で生き抜いた少年」 トーマス・バーゲンソール著、池田礼子・渋谷節子訳、朝日文庫、2012年

今回ご紹介する本は、国際司法裁判所で判事を務めたトーマス・バーゲンソール氏の自伝。氏は10歳のときにアウシュビッツに送られ、奇跡的に生き延びている。本書には収容される前の幸せな日々と、強制収容所時代のこと、そしてその後アメリカにわたって大学で教鞭を取り、国際司法裁判所で働いた経験などが綴られている。

新聞社に勤める私の知人が氏をインタビューすることになり、私はその通訳を仰せつかったのであるが、取材前日にはバーゲンソール教授の講演会が都内で催された。学会で来日したのであるが、日本訪問は初めてとのこと。2時間弱の講演会は満席で立ち見の人もいるほど盛況であった。教授は自らの経験を淡々と、そして穏やかに語ってくださった。

物心ついてから強制収容所で過ごしたとなれば、悲惨なことも相当目撃したはずである。恨みの心が今なお根深く残っていても不思議ではない。しかし誰かを非難する言葉は一切なく、むしろどのようにすれば私たちは同じ過ちを繰り返さないようにできるか、そのために私たちは何をすべきかということを氏は語ってくださった。

バーゲンソール教授は、自分が生き延びることができたのはたくさんの幸運のおかげと述べる。多くの偶然が積み重なったのだと。自分の運命を呪うどころか、感謝の気持ちを抱きながら生きてこられたことが分かる。実際に取材日にお会いして直にお話を伺っている時も、周囲への細やかな気配りが印象的であった。

世界では今も悲惨な戦争が続く。シリアを始め中東は緊迫状態だ。日本では報道されないアフリカ各地の内戦も深刻である。本書を通じて一人一人がどのような考え方を抱くべきか、そのきっかけを私は頂けたように思う。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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