第560回 敗因分析
通訳の仕事というのは、依頼時点で「準備開始」のゴングが鳴り響きます。業務日が1年先であれ、急な依頼で「今日の午後」のようなケースであれ、とにかく連絡を受けてお引き受けした段階から精一杯の備えをするのがこの業界の特徴なのですね。
かなり余裕をもって事前にスライド資料や当日の読み原稿など頂けると、実にありがたいもの。なぜなら、あらかじめそれらにしっかりと目を通し、単語リストを作成し、登壇者の動画や論文、書籍などに触れておくことができるからです。そして当日、それまでの準備が功を奏して最高の通訳アウトプットができ、お客様にも喜ばれて感謝される。これほど通訳者冥利に尽きることはありません。
上記が理想の姿です。で、最近は?
世の中の動きがスピードアップしたからなのか、価値観が変わってきたからなのか、「あらかじめすべての資料を頂けるケース」ばかりとは限らなくなってきました。今や登壇者ご本人がスライドを作り、ギリギリまで手直しできる時代。ゆえに当日になっても資料ゼロということが少なくないのです。
業務依頼時点で「資料無し」と言われた場合は、それでもあらゆる手段を尽くして当日までできる限りの準備をします。「○○先生の△△トピックであれば、ネットや動画サイトにあるわよね。ならばそれをしっかり見ておこう」という具合。そのようにして山掛けをします。
が、いざ、当日フタを開けてみると、開始数分前に資料がどっさり届くことも。私の場合、自分なりに山掛けしていた内容を頭の中で反芻しようとするも、目の前に届けられた資料の山に内心パニック状態となります。そうなると、本番でも「焦っている自分」にますます緊張してしまい、いつもなら出てくる訳語にも詰まってしまうことがあるのです。悪循環です。
そのような経験は鮮明に覚えています。「お客様に迷惑をかけてはいけない」と焦れば焦るほど、「トンチンカンな訳をしているのでは?」との恐怖感に見舞われました。ちなみにそれは「日→英」同時通訳でした。
それでも何とかプログラムを終えるも、その日はホッと一息つく間もなく、同時通訳の後は別件のビジネス通訳がありました。こちらは逐次通訳です。開始前に心の中で思ったのは、「先ほどの日英同通がボロボロだったからなあ。逐次の日英もひどかったらどうしよう?」という不安感でした。
ところが、いざ商談通訳が始まると、日英の逐次通訳は特に負荷を感じずにできたのです。ところによっては日英ウィスパリング同通にもなりました。先の国際会議の日英同通では散々な思いをしたのに、です。
帰路、自分なりに敗因分析をしてみました。いくつかありました:
1: やはり自分自身、日→英の苦手意識がある
2: 件の国際会議では、日本人話者が超早口で原稿を読んでいた
3: しかも横長A4用紙に細かく記入されたスライドを多用していた
ざっとこのような感じです。
国際会議終了後は敗北感でいっぱいだったのですが、直後の商談通訳で少し復活したのは幸いでした。が、これで妥協していては先に進めません。上記1から3までの敗因を自分なりに真摯に受け止め、さらに研鑽を積み、訓練を続ける必要があると感じたのでした。
終わりのない通訳という仕事。めげても先には進めません。精進あるのみと痛感しています。
(2022年10月18日)
【今週の一冊】
「地図帳の深読み 100年後の変遷」今尾恵介著、帝国書院、2021年
小学校の頃から紙地図が大好きな私にとっては待望の新刊です。著者の今尾氏は地図のスペシャリストとして知られています。ぜひとも氏のお話を聞きたいと、数年前にセミナーに参加したほどです。
本書で取り上げているのは帝国書院の地図帳。小中高校向けの副教材として配られることでも知られています。表紙下部に「帝国書院」と厳かに印刷された出版社名が記憶にある方も多いのではと思います。
地図は単に地名や地形図が描かれているだけにあらず。読み比べることで時代の変遷や産業、文化、国同士の戦いなど様々なことが読み解けます。中でも私にとって印象的だったのは、昔の樺太の地図。ロシアおよび日本地図を比較すると、大きな違いがあることがわかります。両国の微妙な関係が地図からも垣間見ることができるのです。別冊付録として、昔の一枚地図があったのも嬉しいですね。
なお、本書の巻末には帝国書院のその他の本のPRも出ていました。紙版の書籍は、このようにその出版社の広告も掲載されています。こうしたところから、新たな本との出会いがあるのも楽しく思います。
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